Childhood


強くありたいと願った一人の少年は
アストルティアのどこかの大陸のどこかの国に、オイゲン公爵家という貴族があった。
王族の宰相として国を支えるオイゲン家の嫡男ジャックマンというウェディは、婚約者であるオーガのクッキーという女性と結婚をした。
貴族同士の結婚とはいえ相思相愛だった二人の間に子供ができるのはそう長くは掛からず、結婚をした1年後には出産を果たした。
愛し合う二人の間に生まれたのは、双子のオーガ。長男として生を受けたモモンと、次男として生を受けたルロであった。
長男のモモンは漆黒の髪にアメジストの瞳で勤勉で人懐こい子で、弟のルロは目が覚めるような金糸に爽やかな青い瞳でいたずら好きな活発な子であった。
そんな二人にも弟と双子の妹ができ、オイゲン公爵家は賑やかで幸せな日々を送っていた…のだが。

*

「エイミィお嬢様…!?」
モモンが自室で家庭教師から出された宿題をしていると、遠くから悲痛なメイドの声が廊下を伝って響いてきた。
いつもは双子の姉がドロドロになって帰ってくるとメイドや執事たちが困ったような声を上げているが今日は違うようである。
昼過ぎに双子の姉、イリィが元気に外に出ていくのに連れられて、妹のエイミィも外に出たはずだが…。
姉に付き合って怪我でもしたのだろうかと、耳を澄ますとどうやらそうではないらしい。
「…?」
なんだろうと椅子から降りて扉を開けると、頭の後ろで腕を組んで玄関ホールに向かう末の弟、エリックと目が合った。
目が合ったはずなのに、ふぃ…と背けられてしまい少し寂しかったが、どうやら彼もかの騒ぎが気になったのだと思い問いかける。
「どうしたんだろうな」
するとチッと軽く舌打ちをしてから投げやりに答える。
「べつに、なんかエイミィがなきながらかえってきたんだってさ」
興味がなさそうにモモンに視線を向けたと思ったら、足早に喧噪の方へと歩いて行ってしまう。
(エイミィはよほどの事がない限り泣くことなんてないのに)
エリックの言葉にざわりとした何かが背筋を襲う。
何かに駆られて焦ったモモンは、小さい身体では少し長い廊下を走り抜けた。
(ああ廊下を走るなんて…ごめんなさいおじいさま)
心の中で厳しい祖父に謝りつつ、長い廊下を抜けて玄関ホールに繋がる円形に歪んだ階段を駆け下りると、大きな扉の前に人だかりができていた。
メイドたちは泣きじゃくる末の妹に必死に声をかけ、執事たちは執事長を中心にバタバタと屋敷内を駆け回っている。
その中をキョロキョロとしながら歩いていると、皆がバタバタと忙しそうにする中で一人のメイドがモモンの姿を見て足を止めた。
「あっモモン坊ちゃま!」
桜色の長い髪を揺らす彼女は、最近モモンの専属メイドになるべく訓練を受けている新人だ。
「なぁメディアどうしたんだ?」
メディアと呼ばれたメイドは膝を降り、モモンと視線を合わせるとその小さな両肩を優しく撫でる。
「心配なされずとも私たちでなんとかいたしますから〜、坊ちゃまはエイミィ様の傍にいてあげてください〜」
間延びした独特の喋り方でモモンに笑みを向けるが、その瞳の奥からいつもとは違う光が見えたコトにまだモモンは気付かない。
一体何なんだと人混みをかき分けて中心にいるエイミィの所へ行くと、思わずその姿に茫然としてしまった。
「え…いみ」
「にっにいしゃま…」
いつも優しく、幼いながらも淑女たる美しい笑みを浮かべるエイミィが、自分と同じアメジストの瞳からボロボロと涙をこぼしている。
いや、そんなことよりもその身だしなみは一体…とモモンは驚いた。
純白のワンピースは所々ちぎれており、薄汚れ、むき出しの膝からは血が薄っすらと滲んで、よくみれば腕などにも切り傷のようなものが見えた。
エイミィの異常な姿に一瞬目の前の光景が幻なのではないかと瞬きをしてみるが、それは消えることはない。
そしてモモンは傷だらけでボロボロのエイミィの横に、いつもいる双子の姉の姿がないことに気が付く。
「エイミィ…イリィはどうしたんだ?」
絞りだしたモモンの声に、びくりとエイミィは肩を震わし、流す涙の量を増やして黙り込んでしまう。
周りのメイドや執事に伺おうとしても忙しそうにしているし、話をきくにも何故だか視線を逸らされてしまうだけだ。
「なぁ…」
自分の大切な妹がこんなにボロボロで、もう一人の大切な妹も姿が見えないっていうのに誰も答えてくれない。
メディアも結局詳しいコトは話してくれず、ただ「傍にいてあげてください」とだけ言ってどこかへ行ってしまった。
モモンは仕方なくエイミィを優しく抱きしめて「先生の所へ行こう」と、抱えの医者の部屋に連れて行こうととした。
すると、すっとエイミィの後ろから金髪の双子の弟、ルロが姿を現す。
「モモ兄…」
「なんだよ居たのならはやく言えって」
ほらオマエも、と言うがルロはおずおずと自分の前に歩み寄り、耳元に顔を近づけてくる。
「なんだよ…」
「オレ、きいちゃったんだけどさ…」
言いにくそうにしている弟に、いいから話してくれよ。とモモンが言えばルロは眉間に皺を寄せながら小さく耳打ちをしてきた。
そうして耳打ちされた内容に、モモンは足元の地面が全て崩れるような感覚に陥ったのだった。

*

イリィが誘拐された。
その事実はものの数分で屋敷内を駆け巡る。
王城にいる父親とは連絡を取ったらしい母親クッキーは、執事やメイドたちに探すように言いつけている。
その中にメディアと、自分付きの執事アヤメの姿はなかったが、もうイリィを捜しに行っているの違いないのだろう。
これ以上被害が出ないようにと、屋敷にいる子供たちは外に出ることを禁じられて一室に集められていた。
末のエイミィは大好きなモーモンのぬいぐるみを抱きかかえて黙り込み、エリックは壁際に膝を抱えて座り、その隣には従弟のカインが寄り添う。
ルロはどこか落ち着きない感じでサッカーボールを蹴っており、モモンは大きなソファの上で高い天井を見上げていた。
(イリィがゆうかい…)
昼食までは元気な姿を見せていた活発でおてんばな妹が、今どこで何をされているか分からないという。
(なんでこうなったんだよ…)
昼食後、イリィはエイミィの手を取って外へと遊びに行くといったのだ。
広い庭で敷地内には湖だって川だってある。いつもそこへ遊びに行くのだろうと、母親もメイドや執事もそう思ったのだろう。
だがモモンは知っていたのだ…イリィは違うところにまで足を延ばしたのだ…と。
(オレが、とめてれば、母さんやまわりにちゃんと言っていれば…)
モモンは知っていた…イリィが敷地外から出て、近くの森で魔物たちと遊んでいるコトを。
魔物がいるから気をつけろよと言っても「だいじょーぶだよ!ボクにはつよいみかたがいるから!」というコトを聞かなかったし、いつも無事に帰ってきていたので気にすることもなくなっていったのだ。
だが今日は違った。
いつもは姉に「一緒に行こう」と言われても敷地内までで脚を止めてしまっていたエイミィだが、今日は興味をひかれて外へと出てしまったのだという。
そこへ運悪く、盗賊たちに見つかってしまいエイミィを庇ってイリィが捕まったのだ。
必死で逃げて帰ってきた最中、追ってくる盗賊とその手下の魔物たちに襲われたが幼いながらに持っていた魔力で魔法使用し、なんとか屋敷の敷地内まで逃げてこられてたという。
(オレがきちんとしていれば)
自分は勉強しなければならないから、といつも妹の誘いは断っていたし、大丈夫だろうとタカをくくって大人たちに話すこともしなかった。
だが自分がイリィについて行ったとして、大人と魔物たちに遭遇したときに自分は彼女たちを守れただろうか?
否だ。
ペンは剣よりも強しという言葉があり、モモンはこの家を守るには知識であるとずっと思っていた。
弟達のように剣を振るう術を学ぶことはしなかった。
もし、自分が少しでも強くあれば、二人について行って危険に遭遇したとしても守るコトができるのだ…と今、今日この瞬間実感した。
(オレは長男なんだ…だから皆を守らなくちゃいけない…)
ぐるりと部屋を見渡して弟や妹達の姿をしかと目に焼き付けて、そして決意した。
何かがあったとき、自分が大切な人の盾となり剣になりうるほど強くなれば…と、モモンはいまだ小さな、ペンだこしかできていない手を強く握りしめた。

*

「いや〜まいっちゃったよねぇ」
ぽかんとする屋敷の人間を前に、ボロボロになった妹はしかし、あっけらかんとした表情で玄関ホールの扉前に立っていた。
なんと、彼女は自力でここまで帰ってきたのだ…しかも元気な姿で五体満足の姿である。
「はやてときざむにたすけてもらったの」
イリィが言うには「仲良くなった魔物に助けてもらってここまで帰ってきた」らしい、確かに傍らにはベビーパンサーとダッシュランが寄り添っている。
「いっイリィちゃん…アナタどうやって…?」
階段を降りながら母のクッキーが、震えた声で自らの娘に問いかける。
「えっとねー」
掘っ立て小屋のようなところに閉じ込められたが、穴を掘ったベビーパンサーが出してくれた上に、見つかったときにはダッシュランが背中に乗せて走ってくれたとのこと。
ああ…それは…よかったことで…と、執事たちは豆鉄砲をくらったような顔でイリィを見ているが、はっとした執事長がイリィに詰め寄り、その躰を隅々まで眺めた。
「これといった傷はございませんが…賊はいかがなされたのでしょう?」
「わかんないけどメディアちゃんとアっくんならとちゅーであったよ!」
にっこりといつもと変わらない笑顔を見せたイリィに、全員が肩の荷を下ろしたように安堵のため息をついた。
クッキーも膝から崩れ落ちそうなのを耐えているらしい、手すりをぎゅっとつかみ、そして母として言わねばならないコトがあると、すっと息を吸った…。
が、そんな母よりも先にイリィの目の前に立つものがいた。
ヒールでもないのに革靴の音を大理石の床で鳴らしてイリィに近づいたのは、そう長男であり兄であるモモンだ。
「あっおにーちゃ…」
兄の姿を見てどこか嬉しそうにするイリィだが、目の前の兄は大きく手を振りかざし…。
「っ!!」
バシン、とホールに乾いた音が響く。
「え」
一瞬だった。
振りかざされた手はイリィの頬を叩いたのだ。
イリィと、それを眺めていた者たちの間にひと時の静寂が流れる。
ジンジンと頬に広がる痛みと熱、そして目の前で振りかざした手をそのままに、自分を睨みつける兄。
ああ、自分は叩かれたのだと自覚すると、次第に涙が溢れてきた。
今まで一度も兄に殴られたコトはない、ふざけて自分がどついたとしても兄は仕返しだと小突いてくることもなかったのに…と。
兄に怒られた、殴られたと実感したと同時に、ふわりと目の前の兄にイリィは体を引き寄せられた。
「おに…」
「ごめん…ごめんな」
強く抱きしめられているからその様子はうかがえないが、背中に落ちる暖かいナニかで兄が泣いているコトが理解できた。
「オレがちゃんと大人たちに言っていれば…ちゃんとオマエを注意していれば…一緒にいてやれば…強ければ…」
全部全部オレのせいだと妹を抱きしめたまま泣く兄を見て、まわりの人間は「モモン坊ちゃまのせいではございません」と声をかける。
「ちが…ちがうの…」
兄の涙と謝罪に、溜まっていたイリィの涙もついに決壊した。
「ボクがおにーちゃんのいうことちゃんときいて…エイミィのいうこともきいてればなの…!」
だからおにーちゃんはわるくないの!!と泣きじゃくるイリィの涙がモモンのブラウスを濡らしていく。
「ごめんなさい…!ごめんなさい!!」
一度決壊してしまえばもうあとはただ溢れるだけで、イリィの涙と声は大きく、そして悲しく響く。
「さぁ、モモちゃんは涙を拭いて…イリィちゃんを放してあげなさい」
そっと二人に近づいて、泣きじゃくる娘とそれを抱きしめてはらはらと泣く兄をまとめて抱きしめると、優しく二人の頭にキスを送る。
母の言葉にモモンは今までの自分の行動が少しだけ恥ずかしくなり、そっとイリィから体を放すと、イリィは母に手を引かれて浴場へと向かってしまった。
メイドや執事達が湯あみの準備や着替えの準備、そして父への連絡へと行動し始めるのをモモンはすっきりとした気持ちで見つめていた。
「オレが…強くなるから…」
バタバタと騒がしくなりだしたホールでの小さなつぶやきは、その喧噪へと飲まれていった…。

*

「リっくん?」
今までの光景を遠くから見つめていたカインは、隣で黙ったままの従兄の名前を呼んだ。
モモンの弟であり、この家の三男であるエリックだ。
「……」
元々寡黙で表情を崩さないコトで有名な彼が、今、神でも見たかのような目をしていた。
寡黙で何を考えているかわからず、一番上の兄には目もくれず懐いてさえもいないと、周囲が困っているのはカインも知っている。
だが、自分はそんな彼の傍にいるのが一番しっくりくるのだと幼いながらに感じていたから、エリックの大体のコトはわかっている…。
だからこそ、こんな彼を見るのは初めてだと驚いた。
「いたんだ…」
キラキラとした表情をホールの真ん中にある後ろ姿に向けて、ぽそりと呟く。
「え?」
カインはエリックの服の裾をギュっと握りしめながら聞き返した。
いた、とは何のことだろうと。
だがエリックの耳にはもうその言葉は届いていなかった。
「オレのせかいは…ここにいたんだ」

---モモン・ルロ11歳/エリック8歳/イリィ・エイミィ5歳の話。