囚う手捕らえて


※ 備考
・モブの死亡描写あり
・夢主が既に死んでいる死ネタ要素あり
・全体的に暗い、ヤンデレ、メリーバッドエンド風





とある寂れた村の奥にひっそりと存在する儀式場。洞穴の中に拵えられたそれは、何年も祭典などに使用されることもなく放置されていたためそこかしこに埃が積もり、黴臭く湿った空気が充満していた。

しかし信心深い大人達が最早見向きもせず、村に残る数少ない遊び盛りの子供達ですら遊び場の勘定にも入れず人の出入りなどありはしなかったその場所に、この時は村中の人間が一人として欠けることなく集結していたのだった。


───それは、何故か。


村人全員を集めたとはいえ決して多いとは言えない人数が整列して座り、静かに祈りを捧げている。

その中から腰の曲がった老人が薄暗い儀式場の最奥にある祭壇の前へと進み出て、長い髭に隠された口を開いた。


「これより豊穣の儀式を執り行う。神輿を祭壇の前へ。」


村の長を務める彼が命じると、僅かに明るい儀式場の入り口の方から若い男衆が神輿を担いでゆっくりとやって来る。

その神輿は質素なものでお世辞にも豪奢とは言えない。大きさも人間1人がようやく入れる程度だ。

その中には祀られるべき神体などは入っていない。

今も儀式場を一歩一歩進んで行くその神輿の中に押し込められているのは、ある人間の娘だった。

そして、自分がこれから何に利用されるかも分かっていない娘を乗せて進んでいたその神輿が止まり、祭壇の前に降ろされた。


神輿を運んでいた男衆はさっとそれから離れ、正座する人々の列に加わる。すると彼等と入れ替わるようにして立ち上がった少年が、松明を掲げて祭壇と降ろされた神輿の間へとやって来た。

彼の掲げる松明の明かりによって、薄暗い儀式場の中でも一層その様相を確かめることが難しかった祭壇の上………捧げられた、薄気味の悪い「供え物」がその輪郭を表す。

蛇を模した禍々しい装飾の容器に、同じく蛇から作られた毒々しい色のスープが満たされている。その中には串刺しにされた蛙の干物も突き刺さっていた。いかにも邪悪な存在が好き好みそうな醜悪な物体だった。

これには松明を掲げて一番近くでそれを見ていた少年は勿論のこと、他の一部の村人達もそのグロテスクさに嫌悪を覚えて顔をしかめていた。


しかし、それでも儀式は滞りなく進行していく。


「さぁ、供え物は揃った。地の底に眠る魔神よ!今こそ目覚め、その大いなる力を以って我等の村に永久の豊穣をもたらしたまえ!」

村の長がしわがれた声を洞穴内に響かせ、やせ細った腕を持っていた杖ごと振り上げる。白く垂れ下がった眉毛の奥で、加齢と貧窮で落ち窪んだ瞳が爛々と輝いていた。


───そう、これは「豊穣の儀式」。大いなる力を持った「魔神」を不気味極まりない「供え物」によって眠りから呼び覚まし、ある日突然村に現れた一人の娘を「生贄」として捧げることで、荒廃した村に永久的な繁栄をもたらそうという儀式なのだ。


当の生贄の娘…ナマエはこのことを知る由もない。

村の近くで倒れていたところを村人に拾われ介抱の末に意識を取り戻した彼女だったが、自身がこの村の繁栄の為に儀式の捧げ物にされるなどとはこれっぽっちも思っていなかった。

それは村人達によって真実を隠蔽され、きちんと説明を受けていなかったから………などと言う理由ではない。

そもそも仮にナマエがその説明を受けたとして、それを了承するしない以前に話を理解することは出来なかっただろう。

彼女はこの村どころか、この村が存在する世界の外からとあるきっかけによりやって来た存在………言わば「別世界」の人間なのだ。

それ故言葉も通じず、彼女を保護した村人達が目の前で堂々と「時が来たらこの娘を儀式の生贄として捧げよう」などと話していても彼女は「何を言ってるのかは分からないけど親切な人達だな」ぐらいにしか思えなかった。


死なれた所で村には何の後腐れも残さない余所者の娘は、魔神に捧げる生贄としてこれ以上ない適任者だった。

村の復興に熱心な者達は貴重な物資をかき集めて魔神の御機嫌取りの為に娘を着飾らせ、ついには薬で眠らせて神輿の中へ放り込んだ。

勿論村人全員がそれに乗り気とは言えず、魔神などという得体の知れない者を頼ることを気味悪がって、あるいは生贄の少女を不憫に思って反対する者もいた。


けれど結果は見ての通り。儀式は計画の通り執り行われ、今にも娘を生贄に魔神が召喚されようとしている。


ある者は期待に震え、ある者は拭いきれない不安に拳を強く握り、またある者は罪の意識から村の長に命じられたものとは違った祈りを捧げていた………


その時だった。


「おお!?」

「これは…」


供え物が捧げられた祭壇の上の空間がまるで陽炎のように不自然に揺らぎ、そこに巨大な「何者か」の影が映し出される。

やがて不明瞭だったそのシルエットが確かなものに変わる時、その何者か………魔神ダークドレアムが口を開いた。


『わたしを呼び覚ます者は誰だ…』


地を這うような声が儀式場の空気を震わせる。誰もがその姿と声に本能的に恐れ慄き、圧倒され、暫くは誰も魔神の問いかけに答えることが叶わなかった。

…が、その中で最初に声を出すことが出来たのは、やはりと言うべきかこの儀式に最も執心していた村の長だった。


「おお、おお…!よくぞ現れてくださった!偉大なる魔神よ!さぁ、生贄は此処に用意した。どうかその人智を超えた力でこの村に永久の繁栄を………」


待ち望んだ存在を目の前に、彼は村を纏める長としての人生で最高と言っていい程にその心を昂らせていたかもしれない。


しかし。


『わたしは、誰の命令も受けぬ………』


長はその願いを最後まで言い終える前に姿を消した。


魔神が放った雷撃によって一瞬のうちに消し炭となったのだ。

ほんの少し前まで彼が立っていた場所には、真っ黒な残滓がぶすぶすと煙を漂わせているのみである。

あまりに一瞬の出来事で、目の前でその光景を見ていたはずの他の村人達は何が起こったのか理解出来ずに座り込んだままだった。


けれどその静寂もすぐに掻き消える。


「きゃあああああ!!」

「逃げろ!儀式は失敗だ!!」

「クソッ、だから魔神に頼るなんて俺は反対だったんだ…!!」


事態を理解した村人達が口々に叫び、儀式を放棄して洞穴から一目散に逃げ出そうとする。


………しかし、その後無事逃げ延びることが出来た者は誰一人としていなかった。


魔神が最初に村の長を跡形もなく消し飛ばしたものと同じ雷をあちこちに放つ。

一人、また一人と雷の餌食となって絶命し、その余波が祭壇や神輿すらも破壊した。村人達の阿鼻叫喚と破壊音で満たされた洞穴内がしんと静まり返るまで、そう時間はかからなかった。


『わたしは誰の命令も受けぬ。わたしは破壊と殺戮の化身。全てを無に帰すのみ………』


再び魔神の声が響いたが、既にそれに恐れを抱く者は残っていなかった。

もう此処に呼び出されている意味もなくなったと判断した魔神の影が、ゆっくりと消え始めた…………その時。


「ま…待って!!」


声が響いた。それは勿論魔神のものではない。


続いて、真上から降り注いだ雷によって中心から真っ二つに砕けた神輿の残骸が内側から押し退けられるようにして動く。

そこから咳き込みながら這い出て来たのは、村人達によって花嫁のような純白のドレスとヴェールを身に纏わされた生贄の少女………ナマエだった。


そしてこの時、彼女を見た魔神が僅かにその眼を見開いたがナマエは気が付かなかった。


数回噎せ、ようやく息を整えられた彼女が魔神を見上げて口を開いた。


「お願い、待って!!あなた………あなたは、日本語が分かるの!?」


その声は震え、瞳は今にも涙を零しそうな程潤んでいる。しかしそれは恐怖によるものではない。

確かに魔神の出で立ちはナマエにとっては馴染みなどなく、非日常的で、普段だったら彼女に多大なる脅威を感じさせてもおかしくはないものだった。

けれどナマエはそんなことを気にしてはいられなかった。今彼女の眼の前にいるのは、ようやく現れた「自分と同じ言葉を話し、何を言っているのかが理解出来る人」である。

未知の言葉が飛び交い此方の言葉も通じない見知らぬ文化と人々の中で暫く過ごしていた彼女が覚えていた孤独は、この異様な出来事への抵抗感をすっかり奪い去っていた。

厳めしい顔付きで、一部しか見えないもののその大きさからも人間の常識では決して計り知ることは出来ないであろうと分かる存在に対し、ナマエが恐怖を覚えるどころか縋るような気持ちになっているのはそういうことだった。


そしてややあって、問いかけられた本人………魔神が答える。


『…お前の言っている事なら、理解できる』


魔神はナマエの言った「日本語」という概念を知っている訳ではない。そして彼自身も日本語とされる言語を話そうと思って話している訳ではなかった。

彼は先程本人が言った通り、破壊と殺戮の化身、恐るべき魔神ダークドレアムである。けれどその彼をも力で圧倒し捻じ伏せた存在の願いは、何であっても聞き入れ叶えるという性質もあった。

よって彼は何時の時代、何処の誰に呼び出されようとその者と言葉を交わすことが可能になっている。だから異世界人であるナマエとも意思の疎通が図れているのだ。


「…そう、なんだ………。」


そんな事情も、自分が別世界に来てしまっていることも、そして先程この場で起こった悲劇すらも知らないまま、魔神の言葉を受けたナマエはその場にへたり込んで小さな声を零した。


その瞳から涙を溢れさせながら、同時に彼女は笑みを浮かべていた。


「…ごめんなさい。やっと、やっと言葉が分かる人に会えたと思ったら、なんか安心しちゃって」


時折しゃくり上げながらも、ナマエは言葉を紡ぐ。

美しいレースの手袋が嵌められた手を目尻に持っていくが、次々と溢れる涙を拭いきることは出来ないようだ。

彼女のこの姿だけを取れば、まるで愛する人と永遠に結ばれる日を迎えて喜びの涙を流す新婦のように見えたかもしれない。


けれど現実は違った。ここは永久の愛を誓う結婚式場などではなく、永久の繁栄を求める儀式の結果瞬く間に多くの命が散った悲劇の地だ。

祝福の声などあるはずもない。それはこの儀式が行われた思惑は勿論のこと、ここにいた人々はあまりに一瞬過ぎる死によって無念の思いを残すことすら許されずこの世から消えたのだから。

そして花嫁のような姿をした少女の前にいるのは、彼女が愛する相手ではなく、彼女が生贄として捧げられそうになった魔神である。それは人間に留まらず、魔王の魂すらも喰らい尽くしてしまう正真正銘の怪物なのだ。


───しかし、全てを破壊し無に帰すはずの魔神ダークドレアムの手は、この時目の前に一人残った人間であるナマエを何故か一向に壊そうとも殺そうともしなかった。


魔神は一言も言葉を発することなく、儀式場であった洞穴には暫くの間ナマエがしゃくり上げる声だけが響く。その様子はまるでナマエが泣き止むのを静かに待っているようだった。

実際、彼は待っていたのだ。最初にナマエに震える声で言われた通り、用がなくなったはずのこの場から去ることなく。


自身が認めた相手以外からは誰の命令も受けない破壊と殺戮の化身も、無垢な少女の涙ながらの「お願い」にはその限りではなかったのか………


「度々ごめんなさい。あの、私状況があまりよく分からなくて。出来ればもう少し一緒にいて色々教えていただけると嬉しいんです、けど………」


眼は赤く染まり、少し鼻声になったものの平静を取り戻したナマエ。


その腕を、実体を現した魔神の大きな手が掴んで引き寄せた。

ナマエの小さな身体はその圧倒的な体格差に破壊されることなどなく、魔神の力で宙に浮かんでいる。


「………その願い、聞き入れよう」


そうして優しく抱え込まれたナマエは、あ、とかえ?とか戸惑いの言葉を零しているうちに、魔神に連れ去られていくのだった。



………それから、一週間程。



「おはよう、ドレアム」

「ナマエ、おはよう」


魔神と少女が朝の挨拶を交わしているこの場所は、かつては魔神が人に召喚されていない時間を過ごしていた空間だった。

元々その空間には時の流れなどはなく、そこで過ごしていたダークドレアム自身にも朝昼夜といった概念はなかった。

けれど規則正しい生活を送るのが望ましい人間であるナマエを連れてきた際にこの家と共に創り出し、そして先程のように時間帯ごとに彼女に教えて貰った挨拶を口にしているのだった。

長いからこう呼ばせて欲しい、というナマエの要望通りの愛称を受け入れると共に。


最初はダークドレアムの姿と魔神という大層どころでは済まない肩書きに戸惑っていたナマエも、今では彼との少し変わった一時的な共同生活を受け入れていた。


そして二人は今から朝食を取る所だった。


無論、普通の生き物ではないダークドレアムに普通の食事は不要だ。

しかし「誰かと一緒に食べると食事は美味しくなる」という知識をナマエから得た彼は、彼女と共に食事をすることを望んだ。

向かい合う相手のことを考えて、見た目やにおいの強烈な例の供え物のような食べ物は用意しなかった。


これも人智を超えた魔神の力の成せる業であったが、それを破壊や殺戮の為ではなく、誰かと共に在る為に使うのは彼が如何に長い時を過ごしてきたとはいえ初めてのことだったかもしれない。


それでも、自分には必要のない物事を取り入れてでも、彼がナマエに寄り添い共にあろうとするのは。

あの日、彼女の手を取ってその願いを聞き入れたのは。


「ねぇ、その………私の元いた場所に帰る方法って、まだ見つからないかな?」

「…すまないな、ナマエ。だがわたしがいつか必ずそれを見つけ出し、お前を喜ばせて見せよう」

「そっか。ありがとう、ドレアム。」

この世界に迷い込んでしまった孤独な彼女を元いた世界に帰す為、それまでの間、彼女の笑顔を失わない為………



───否。魔神の思惑とナマエを取り巻く真実は、そんな生易しいものではなかった。



ナマエをこの空間に連れ去った時から、ダークドレアムの中には彼女を元の世界に帰す気など微塵もありはしないのだ。

魔神はありとあらゆる手で彼女を懐柔し、自身の元に繋ぎ止めるつもりでいる。


「…なんか、誰かとゆっくり朝ごはんを食べるのって新鮮だなぁ。うちは大体皆朝起きる時間も出る時間もバラバラで、皆バタバタしてたから」

「以前もそんなことを言っていたな。お前は、余程忙しい日々を送っていたのだな」

「そうだっけ?ごめん、何度も同じ話しちゃって…」

「いや、いい。お前の話は面白い。何度聞いたところで飽きはしない」

「えぇ…?流石に何回も何回も同じ話聞かされたら、ドレアムだって嫌になると思うけど………」

「では、わたしがまだ聞いたことがない話を新たに聞かせてくれるか」

「えっ?えーっと、じゃあ………」


朝食を食べ終えたナマエが元いた世界の話を語り出す。ダークドレアムはそれに静かに耳を傾けた。


実際の所今のナマエは、ここに来てから毎日………ついさっきもこなしていたような食事を必要とする存在ではなくなっている。

彼女はこの世界にやってくる直前に事故で死亡し、食事を取ることで維持せねばならない肉体も命も失っている。

謂わば現在の彼女は魂だけの存在なのだが、それでも生前と変わらぬ生活を送っているのは彼女が自身の死に気付いていないことに加え、魔神がそれに気付かせまいと手を回しているからだった。


そして、ダークドレアムが自身を圧倒的な力で打ち負かした訳でもないナマエに興味を抱いているのもそこに関係がある。


最早破壊するべき肉体も殺戮するべき命も存在しない彼女を、ダークドレアムは壊すことが出来ないのだ。それは彼女が魔神が放った雷の直撃を乗っていた神輿ごと受けてなお無傷だった事実が証明している。

魔神の力をもってしても破壊できない存在に対し興味を抱いた彼は、恐るべき魔神の力を利用してその存在を永遠に繋ぎ止める道を選んだのだった。

その思いは最早「興味」などという言葉で表すには余りにも生ぬる過ぎる。それは紛うことなき激しい「執着」に他ならない。


「…って、こんなことがあったんだ。」

「そうか。やはりナマエの話は愉快だ。わたしは今の話も何度でも聞きたいと思うぞ」

「それは、話す側の私がうんざりしちゃうかもなんだけど………」


困ったように笑うナマエは、目の前にいる魔神の思惑を知る由もない。

今のようなナマエにとっては何気ない会話が、彼女が自分以外の何かに思いを馳せることに内心どす黒い感情を燃やしつつも、彼女が楽しそうに話す姿を見ていたいという思いを優先させた魔神によって成り立っていることも当人は知らない。


薄氷の上に成り立つ穏やかな時は、果たしていつまで続くだろうか。


ナマエはいつか自分が別の世界からここにやって来たことも記憶から消し去られ、ここでダークドレアムと共に悠久の時を過ごすこととなるだろう。

彼女が元いた世界への郷愁で後ろ髪を引かれるままでは自分を見ようとしないだろうと考えた、魔神ダークドレアムによって。

他でもない、彼女が「彼は自分を元いた世界へ帰す為の方法を日々探し回ってくれているのだ」と信じて止まない、魔神ダークドレアムによって。


その後今日も「ナマエの元いた世界への手がかりを求めて世界を回る」と言うダークドレアムを送り出した彼女は、一人その帰りを待っている。


最初は何でも助けてもらってばかりで悪いとそれに付いて行こうとしたが、この世界には魔物と呼ばれる危険な存在があちこちに生息していて戦えない者が出歩くには危ない…という話を聞いた彼女は大人しく従ったのだ。

その時ダークドレアムが語った話自体は事実である。もっとも、恐るべき魔神である彼がナマエの傍にさえいれば魔物達など少しの脅威にもなりはしないだろうが。


巧みに事実と嘘を織り交ぜ、都合の悪い真実から彼女を遠ざける。全ては彼女を自分の手元から逃がさぬ為に。



(…早く帰って来てくれないかな………なんて、そんな我儘失礼だよね)



残されたナマエは1人、与えられた部屋のベッドに腰掛けて窓の外を眺めながら静かに思う。

自分の立てる音以外がなくなった家の中で再び心の内に孤独を芽生えさせた彼女だったが、今も自分の為に世界を回ってくれている恩人のことを考えてそれを振り切る。


「…よし、まず皿洗いと掃除を済ませちゃおう」


自分に出来ることをして、それで帰ってくる彼を迎えよう。そう考えた彼女は立ち上がり、再びキッチンへと向かった。



その日の夜、魔神と少女の二人は揃って家の外へと出ていた。


家の外と言っても、彼等がいるのは玄関から少し先に出た庭の範囲内である。魔物の危険などはない。

魔神の領域であるこの場所に、彼と彼が許したもの以外が存在するはずもないが。


「すっごく奇麗だね!こんなに星がたくさん見られるなんて………」

「お前が住んでいたという場所程この周辺に明かりはないからな。星がよく見えるだろうと思ったのだ」


家の中で過ごす都合を考え、約2.5m程の背丈になっていた(それでも十分大きい)が原寸大に戻ったダークドレアムの手に乗せられ、ナマエは近くなった満天の星空に声を弾ませる。

瞳を輝かせる彼女を見てダークドレアムも満足そうであった。

彼等が見上げるこの天球も魔神が作った所謂偽物であったが、その輝きの眩さと美しさはこの空間の外に広がる本物の空と比べても遜色ないものだろう。


………するとその時、はしゃいでいたナマエが突然ハッとして見上げていた顔を下ろして俯いた。


「ナマエ?どうした?」


このことにはダークドレアムも心配に思って彼女の顔を覗き込む。

続いて彼に具合でも悪いのか?と尋ねられ、ナマエはゆっくりと首を横に振って答えた。


「ううん、私は大丈夫。…でも私はまた、ドレアムに何かして貰うばかりだなって思っちゃって………」


申し訳なさそうに言うナマエを見て、ダークドレアムは彼女が常日頃から自分に何かを施されるばかりであることを気にしていた様子を思い出す。

その度「気にするな」と言い、それに渋々ながらも頷いていたナマエだったが、彼女の中でその思いは未だ解決に至ってはいなかったらしい。


「何を気にすることがある?これはわたしが勝手にしたことだ。それに、お前はいつも食事の用意や掃除をしてくれているだろう」

「肝心の食材を用意してくれるのはドレアムだよ。…やっぱり、あなたがしてくれることと私が辛うじてやっていることとじゃ、全然釣り合わない」


そこまで言うと、ナマエは俯いていた顔を上げ、ダークドレアムにしっかりと向き直って再び口を開く。


「…ねぇ、ドレアム。私に何かして欲しいことはない?残念ながら立派な家を作るとか魔物と戦うとかは出来ないんだけど………その、出来る範囲で頑張るから!」


出来る範囲で恩返しをさせて欲しい、と強い意志を示してくるナマエに、この時ばかりはダークドレアムも気にするなの一言で終わらせることは出来なかった。

しかし、そう言われてもすぐに「ナマエにして欲しいこと」を思い付けないのも事実であった。


「………特別、新たに望むことはない。これまで通りでいてくれればいい」

「…ええ、えぇぇ〜………?」


しばし考え込んだ後、ダークドレアムが至った結論はそれだった。

これには望みを尋ねたナマエも脱力するしかない。

なおナマエはそこまで知らないが、本来(彼を倒すという条件を達成した者のみとはいえ)願いを叶える側であるはずのダークドレアムが自身の望みを問われるこの光景は、些か奇妙なものだっただろう。


………しかし、ダークドレアムは本当にナマエに対して何も望んでいない訳ではなかった。

ガックリと項垂れる彼女に、彼は殊更優しく語り掛ける。


「そう気を落とさないでくれ、ナマエ。わたしは、これからもこうしてお前が話し相手となってくれればそれで嬉しいのだ。誰かとゆっくり語らう時など、以前のわたしにはなかったからな」

「ドレアム………」


それを受けたナマエの顔に、これまでのように渋々彼の言葉に従うような色は表れなかった。


「分かった。…元の世界に帰るまでの期間限定にはなっちゃうけど、私でよかったら喜んで話し相手になるよ」


そう言って柔らかく微笑むナマエを見て、ダークドレアムはその頬を僅かにだが綻ばせる。


「…お前がいいのだ、わたしは」

「………な、なんでそういう照れくさい言葉をサラッと言えちゃうの………」

「何か言ったか?ナマエ」

「何でもない!何でもないです!」

「そうか」


そうしたやり取りの後、二人は顔を真上の夜空に向け、中断していた天体観測を再開する。


先程ナマエが放った「期間限定」という言葉に関して口では否定も肯定もしなかったものの、無論ダークドレアムが互いのこの関係を一時的なもので終わらせる気はない。

もっとも彼が望み通り彼女を自身の手元に永遠に繋ぎ止めることに成功した暁には、両者の間柄はいつしか「語り合う友のような関係」から「愛し合う恋人のような関係」へと変化し、その為現在のそれは確かに一時的なものとなるかもしれないが。


強大な力のみならず狡猾さも持ち合わせた魔神はあくまで慎重に、少しずつ獲物をその手中に収めようとしている。

事を急いて無理に距離を詰めようとすればナマエはショックを受け、加えて様々な真実が明らかになればその時こそ実体を失った彼女に唯一残った「心」は壊れたかもしれない。そうすれば魔神は実体なきものすらも壊せたかもしれない。

しかし、魔神はその選択をしなかった。そしてこれからもその道を選ぶことはない。


魔神に宿る破壊と殺戮の本能とはまた別の、ナマエと出会う前は存在しなかった「何か」が彼女という不安定かつ唯一無二の存在を存続させることを選んだからだった。

その彼に芽生えた「何か」こそ彼が壊さずに守ろうと決めたナマエの「心」と同じものだとは、未だ気付いていないダークドレアムであったが。


破壊と殺戮に生きてきた魔神は、自身がナマエに抱く執着を人間ならば「恋慕」と表したかもしれないこともまだ知らない。

だが彼にはそのふつふつと胸の内に沸き上がる欲望を叶え、ナマエという存在を欲しいままにする力があるのも事実だった。


形ある何かを破壊しこの世から消し去るのではなく、その手の中に保ち繋ぎ止める力。

粉々に握り潰すのではなく、優しく、けれど決して逃げられぬよう閉じ込める力。


破壊を目的としてこそ振るわれないものの、やはり魔神は魔神。その圧倒的な力の前に、ただの人間は無力でしかない。


そのような恐ろしい真実の中心に居ながら、しかし同時に最も遠い存在でもある少女………ナマエは、魔神の掌の上で星を見上げていた。


「…そうだな。先程はああ言ったが、新たに望むことがあるとするならば………」

「ん?何何?」

「あの白い装束を纏ったナマエの姿を、また見たいと思う。あれはお前によく似合っていた」

「あ、あのヴェールとドレスを…?!」


突然の申し出にナマエは戸惑う。

無理もない。別にああいった衣装が嫌いという訳ではなくむしろ人並みの憧れを抱いていたとはいえ、他人から………それも男性から着た姿を見たいなどと希望されて恥ずかしさを覚えない程の肝の太さは彼女にはなかった。

しかも、衣装が衣装なのである。極端に露出が多いとかではないが、如何にも特別な意味を持っていそうな。

その外見は結婚式に花嫁が身に纏うであろう、純白のヴェールとドレスそのものなのだから。


「…わ、分かった!着る!ただ準備が大変そうだから、明日とかになってもいいなら………」

「そうか、着てくれるか。楽しみにしているぞ」


彼女の意を決しての返答に、ダークドレアムは嬉しそうにする。


ナマエは熱くなる頬を両手で押さえながら、「きっと魔神にとって人間のこういう文化は馴染みがないものだからドレアムは興味を持ってるだけなんだ、珍しがってるだけでそこに他意なんてものはないんだ」と必死に言い聞かせた。


(………あれ?)


*────そこで、ぐるぐると目まぐるしく巡っていた思考がふと記憶のある一箇所で停止する。


(そもそもなんで私は、ヴェールとドレスなんて持ってたんだっけ………?)


声に出すほどのものではなかった疑問はしかし、彼女をのぼせかけた状態から引き戻した。


髪をまとめてあのヴェールを被りドレスを身に纏っていたところを、「動きづらいから」とダークドレアムに頼んで代わりの服を用意してもらい着替えたのは覚えている。

不明瞭なのはその前の出来事だ。


自分があの格好をするに至った経緯。どこかの山道を………友達と共に………そう。学校の登山で、狭く木が生い茂った道を歩いていたら、突然足が滑って………?


(どこかに掴まることも、止まることも出来ないままどんどん滑り落ちて行って………)


何度も身体を硬い何かに打ち付けて、身体は動かなくなって。ようやく事態を理解してもうダメだと思っていた時、足音と人の声が聞こえて。


(…そうだ。私は、その人に助けられて、それで………)


木で出来た少し暗い建物の中。

あまり寝心地が良いとは言えない寝台に寝かされ、数人の女性が私の手当をしてくれて。

女性も、その他にいた人々も何を言っているかは分からなかったけれど、私に食事を与えてくれて。

(それである日運ばれてきた食事を口にしたら、そう、そうだった。何だか突然、眠くなって………)


………そこまで何故か薄れていた記憶を辿ったナマエの身体が、ぐらりと揺れた。


「ナマエ、大丈夫か」

「…あ、ドレアム………?」


ダークドレアムがすかさずその身体をもう片方の手で支える。彼女は勢いよく倒れずに済んだ。


そして手をついて起き上がり、考え事をしていたらこうなったこと、しかし身体に異常はないことを伝えようとしたナマエだったが、そのどちらも叶うことはなかった。

どうしてか身体に力が入らず、そしてダークドレアムが彼女が返答するより先に口を開いたからだ。


「疲れが出たのだろう。わたしが部屋まで連れて行くから、今日はもう寝るといい」

「………うん。そうするね………」


素直に従う彼女の瞳は今にも眠りに落ちそうな程とろんとしていて、そこに映る瞬く星々の光もその像をぼやけさせていたことだろう。


(…私、何を考えてたんだっけ………)


掌の上から両腕に横抱きに抱え直され部屋へと運ばれて行く最中、ナマエは自分が先程まで考えていたことを思い出そうとしたが、終ぞ思い出すには至らないまま彼女と彼女を抱えたダークドレアムは部屋の扉の前まで辿り着く。

記憶も思考も、跡形もなく掻き消える。それはさながら朝眠りから目覚めた時、それまで見ていた夢の内容をさっぱり忘れて新たな一日の始まりを迎えるかのように。

彼女が「それ」を思い出すことは、もう二度とないだろう。


徐々に、徐々に、消されていく。

ナマエがこの世界の外からやって来たという事実も、彼女が元いた世界での記憶も。

新たなる幸せな日々の始まりの前に、不要で残酷な真実は白昼夢の如く霧散する。


ナマエの身体をベッドに横たえる頃には、ダークドレアムの瞳に灯った怪しい光は消えていた。


布団を被せた相手が瞼を下ろして眠ったことを確認し、彼は部屋から去ろうとした。


「………?」


しかし、原寸大から縮んでなお大きいその手を彼のものではない小さな手が捕まえ、手を掴まれた彼は足を止める。

振り向けば、薄らと眼を開けたナマエが言った。


「…やっぱり、この手、安心するなぁ………」


自らを孤独から連れ出した、大きな手を捕まえて。

その手こそが自分から過去を奪い、永久に囚えようとしているとも知らずに。


魔神は少女の手を優しく握り返す。壊さないように、けれど決して逃がさないように。


「…おやすみ、ナマエ」

「おやすみ、ドレアム」


微笑みながら眠りに就く少女は、幸せな花嫁(いけにえ)だったに違いない。




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