姿形は違えども
気が付いたら、私はそこにいた。
およそ人が住むとは思えない空間。現に人は1人も居ない。此処に居るのは、冥王様が命を奪った魂だけなのだという。
そんな中で普通に行動出来て、食事を取る必要も無く、しかも魔力がひとかけらも感じられない私は異質なのだと言われた。
「見た目だけは人間なのにな!」
そう言って笑ったのは、誰だったか。魔物には違いないだろう。なにせ、私以外の人間に会ったことはないのだ。
自分のものなのかもわからない記憶だけはあって、しかしその世界は魔物達が話す人間達の世界とは違っていた。私が話して聞かせる、どこなのか分からない、魔物のいない世界の話は、魔物達だけでなくネルゲル様も興味深く聞いていたようだった。
恐らく、いや、確実に。この空間は良いものではないのだろう。
しかし、よく分からない記憶しか持っておらず、自分の事が何もわからない私は、彼と、彼の配下の魔物達と、この空間が全てだった。
「ナマエ。」
ある日、私はネルゲル様に呼ばれた。
呼ばれた名前は、ネルゲル様の近くに控えていることが多いアークデーモンがつけてくれた物だ。以前人の世界で戦った相手が必死に叫んでいた名前なのだという。その人の大事な人だったんだろうと思い、その人はどうなったのかと問うと、ニヤリと笑われただけだった。まあ、戦っていたアークデーモンが生きているのだから、どうなったのかなどわかりきったことだった。
閑話休題
私が駆け寄ると、ネルゲル様に抱えられた。割と細身に見えるネルゲル様は、かなり力持ちのようだった。以前、ネルゲル様の倍以上あるトロルを蹴り飛ばしたのを見たことがあったので、もう驚きはしない。蹴り飛ばした時は驚いたけれど。
「どうしたんですか、ネルゲル様。」
「どうしたわけでもないが…………あえて言うなら、気紛れだ。」
それだけ告げると、緩やかに浮いて手を上げる。黒い靄のような、霧のような、何かが目の前に広がって、ネルゲル様はその中へと足を踏み入れた。私は思わず目を閉じたのだが、一瞬だけ頭が揺れるような感覚があって、それもすぐ止んだ。
恐る恐る目を開けると、そこはいつもの空間では無かった。
青空と青い海、それから白い砂浜が広がっていて、少し離れた場所ではキャッキャと誰かがはしゃぐ声がする。
「海だ。」
「知識はあったのだな。」
「はい、記憶の中に。」
実際に見るのは初めて……かどうかは分からないけれど、今までほとんどが赤い世界に居たので目が驚いている。まばたきが多くなっている自覚はあったし、辺りをキョロキョロと見回してしまうのは、おそらく初めて見るんだから仕方ないと思う。
「フッ。」
だから、真横にあるネルゲル様の顔からそんな音がしたのが不服だった。
「なんですか、笑うために連れてきたんですか。」
ネルゲル様へと視線を向けると、笑ったはずの彼はもう何時もの様に口を引き結んだ真顔になっていた。笑った顔はレアなのに、勿体無いことをしてしまった。
「貴様を笑うのならこんな場所に来る必要はないだろう、向こうだ。」
それはそれで酷いことを言われている気はするのだが、いちいち突っかかっても仕方がない。ネルゲル様が向こうと言った方向を見ると、そこには先程から聞こえていた声の主が居た。
私と同じような見た目の人間も居た。だけど、それだけじゃない。角のある赤い肌や、等身の低い緑の肌、魚のヒレのような耳の青い肌に、尖った耳の紫の肌、小さいモフモフな生き物もいる。それぞれが、キャッキャとはしゃいでいる。
「あれが、この世界の人間だ。」
ネルゲル様は、そう仰った。
先日、私の記憶の中の世界には私のような見た目の人しか居ないということを話した。その時に何かを考えているようだったネルゲル様が、この世界の人間を見せるに至ったのかもしれない。
視線を感じてネルゲル様を見ると、私をじっと見ていた。あれを見てどう思うか、意見を求めているんだなと判断して、私は口を開く。
「私からしたら、なので怒らないでくださいね。」
「そこまで狭量ではない。」
「じゃあ……なんというか、魔族と何が違うのかなと。」
「は?」
整った眉を吊り上げたネルゲル様、目に見えて不機嫌になっている。人間と同じ区分に入れるような発言は嫌だろうと思ったから前置きをしたのに、そんなのお構いなしだ。そんなネルゲル様から視線をはずして、遊んでいる人間達を見る。
「私の価値観の中では、赤い肌も青い肌も緑の肌も異質です。あの小さいのなんて、モーモンちゃんと変わらない気がしますし。」
理性がある無いだとしたら、魔物達にだってある。見た目が違うと言うなら、あそこで遊んでいる彼らだって全然違うだろう。そもそも人間と仲良くするつもりのないネルゲル様達はともかく、そうでない魔物もいるはずで。仲良くしたいまではいかずとも、人間と関わりたくないと考えている魔物達が弁明も許されずに倒されると言うなら、それは理性があると言えるのだろうか。あの空間には、そうやって親を殺された魔物達も沢山いる、それが理由で人間を深く恨んでいる。
「だから、あれが人間と言われても基準が分からなくて違和感しか無い……そういう意味で、魔族と何が違うのかなと思ったんです。」
考えながら、なんとか捻り出した考えを話終えてネルゲル様を見ると、見たことのない表情をしていた。目を丸くして、驚いたと言いたげな……そんな顔をされると、こちらが驚いてしまう。
「ネルゲル、さま?」
私が呼び掛けると、ネルゲル様は我にかえったのか咳払いをして視線をそらした。
「貴様にそこまで考えるほどの自我があったとはな。」
「酷いですね……前よりはありますよ、多分。」
魔物達は、割と気のいい連中なのだ。そんな彼らと生活していれば自我だって芽生える。からかい半分の事がほとんどだが、構ってもらえるのは嬉しい。
「では、貴様にとって魔族とはなんだ。」
「えぇ……。」
まだ聞くのかと思ってしまったけれど、此方を見ていないネルゲル様の目はとても真剣だ。答えないわけにはいかないだろうなと、考える。
私は魔物達と同じ種族ではない、けれどこの世界の人間と仲良くすることは出来ない気がした。それはおそらく、初めて会ったのが魔物達だったからなのだろうけれど……今からでも人間達と仲良く出来ない理由、それは。
「仲間だから……?」
「何?」
「仲間だと思ってるのかもしれないです、魔族の事。種族は全然違いますけど、今までずっと一緒でしたし、それが1番言葉で表したときにしっくり来るかなと。」
口に出しながら考えを纏めると、思っていた以上に腑に落ちた。見た目が人間の私に言われて、ネルゲル様が怒らなければいいと思っていると、体が揺れだした。
ネルゲル様が笑っているらしい。顔をそらした上に俯いているから、表情は見えないけれど。これは勿体無い……。
ひとしきり笑ったのか、息を吐いてから私を見たネルゲル様はいつもの凛々しい表情だった。とても勿体無い。
「そうか、貴様は魔族の仲間か。」
「はい。」
言葉を覆すつもりはない。生きているのかもよく分からない私だけれど、彼らの為に──ネルゲル様の為に、死ぬのならば本望だとすら思っている。生きているのかわからないから、そう思うのかもしれないけれど。
「狂っているな。」
「そうですね、ああやって青空の下で遊ぶ人間を見てもそう思うんですから。」
「今ならばあれらの元へ行けるとしても、離れないのか。」
ネルゲル様が、何を思ってそれを言ったのかは分からない。
「離れませんよ、私の居場所はネルゲル様の玉座の間ですから。」
「今更ではあるが、いよいよもって人間ではないな。」
けれど、そう言ったネルゲル様は悪い顔で笑っていて。
この方の色々な表情が見れるのであれば、迷うことなく人間の世界など切り捨てられるなと思ってしまうのである。
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