強制変態




 努力とは、重ねることで実を結ぶものである―――

 アズールはそれを身をもって理解していたし、ほかの誰よりもその意味を分かっているつもりだ。それを言葉によって説明するならつまり、実を結ぶまでの時間や資材の浪費、失敗について、である。努力は試行、練習、僅かな成功もどきの体験と、延々と続く失敗でできた道だ。親指ほどの貝殻を重ねて家を建てるような遠い道。大きく荘厳な城を望むなら、その道はそれこそ果てしない。


 端的に言ってしまえば其れは「失敗作」であった。

 寮長室の中央に立つアズールは、ひらひらと舞う魔法の残痕が消えるのを見つめていた。膝の高さほどある水槽は倒れ、周囲の床をぐっしょり濡らし、アズールの靴先までもが浸っている。水槽とアズールの間には白くぬらりと光るものが横たわっていた。
 少女の体を得たらしい”それ”は、立ち上がる事すらままならず地面に伏している。息をするたび薄い肩が上下した。アズールはそれに対して立ったままで呼びかける。

「起きろ」

 反応はない。アズールは水浸しの床を踏みしめ、足で少女の体を小突く。意思を持たない体は外界からの刺激を受けるままにぐたりと歪むのみだ。

「聞こえているのか?……駄目だな、」

 もう一度地面の体に足をかけると、仰向けに転がした。重たく転がる体に、生態維持のためだけに使われる頭があくまでもつられた体で追って転がる。空を向く顔で、眼は何にも焦点を合わせないまま、数秒ごとに機械的なまばたきだけが繰り返される。

 暗色のインテリアのせいで明かりがあっても何処か暗い部屋を、届く光の薄い海の底で、とりわけ暗い蛸壺の中で育ったアズールは好ましく思っていた。夜の空を溶かしたような重苦しいネイビーの中で、真っ白の彼女が伏すその姿は月だった。僅かなを明かり集めてうっすらと発光するような肌が妙に目に焼き付く。そのまま眼球を通して脳裏を焦がしそうな月光を打ち払うように、アズールは目を閉じて二、三度軽く頭を振った。それは諦めるような仕草にも似ていた。

「……ま、初めてで成功するとは思っていませんでしたが」

 そう。試作に過ぎない。負け惜しみでもなんでもなく、アズールは冷静に呟いた。魔法薬の調合の欠陥か、かけた魔法の不備かはわからないが、今回の結果は完全な人間の生成ではなく、人の形をとった”もどき”だったのだ。其れが全てである。明らかな失敗の証拠に、少女の薄く開いた口からは彼女の正体を示す半透明のゼラチン質が覗く。
 荒く少女の腹を蹴り上げると軽い体は重たげに少し転がる。呼吸が乱れて震えるような甲高い音が漏れたあと、少女は激しく咳き込んだ。アズールは軽く眉を上げる。

「体の反射はあるのか。器は成功か……?」

 少女の苦しげな声も彼には波の音と何ら変わらないらしかった。だがそれ以上蹴りつけることはせず、脱ぎ捨てていたカッターシャツで雑に少女の体を拭うと、そのまま包んで抱き上げた。アズールの胸にあるのは失敗の悔しさよりむしろ、緻密に練り上げた完璧な計画書を、つまらないミスで廃棄しなければならなくなった時のような惜しさだった。部屋の隅の二つ並ぶチェストは備え付けで、特に荷物を持たないアズールは片方を空っぽのまま持て余していた。その中におろすと、少女の体は窮屈そうだがきちんと収まる。人間の雌雄は体格差が大きいらしい。肩にかかっているシャツはきちんと着られていないのに、チェストの中で縮こまる体を隠しきっていた。しかしさすがに蓋までは閉まらず、アズールは少し悩んでから扉のほうから見えないようにチェストの向きを調節する。
 もう一つのチェストに入ったバスタオルを取りだして、濡れてしまった絨毯に広げ水を吸わせる。水槽は拭いて窓のそばにひっくり返して置く。そうして散らかしていた物をてきぱきと処理し、実験前と同じ整然とした自室を再び作り上げ机の前に座った。
アズールの頭には次の実験のことだけが詰まっていた。今回の反省点を洗い出さなければならない。人として機能するには何が必要だったのか、今回足りなかったのは脳ミソか目玉か皮膚かもっと根本的なものなのか。今回の実験のための費用もなかなか嵩んだ。
次こそは成功させる。粘り気の強いマグマの意思をインクに浸し、ノートにペンを走らせる。


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