言葉について





 ノックをして室内に入ったがしかし、そこに目的の人はいなかった。ジェイドはここまで足を運んだ徒労に憂うように小さく息をついた。部屋が開いていたこと、電気が点いている事からみても恐らくすぐ帰るとは思われるが、
「おや、これはまた……」
 ジェイドはそこまで言って言葉を切った。チェストの前にしゃがみ込むと、意思のない手を人差し指と親指だけでつまみ上げて放す。落ちた腕はチェストにぶつかってから、少女の膝の上に戻った。しかし、体のパーツがバラバラにできている人形のように、少女は自分の腕の一連の動作に眼球すら動かさない。
 ジェイドは口角をに釣り上げた。
「悪趣味なことを」


「さて……こんなものでしょうかね。」
 観測データを書き記し、計算の間違いがないことを確認すると、資料をまとめて立ち上がった。
さっさと処理する
魔法陣の書かれたシーツの上に少女の体を転がした。

「さようなら」

 戯れでそう微笑んだアズールを、少女の瞳は捉えた。


「さよなら」


 反射的に距離をとったアズールを、少女は無感情に観察する。

「い……今、喋ったんですか?」

 問いに、少女は答えない。アズールの耳に、突然静寂が主張を強くした。なんの雑音も通さない寮長室が喧しくて仕方ない。間抜けに開いていた手のひらをぎゅっと握りしめた。皮の手袋がギチリと鳴る。震える手でメガネのブリッジを押し上げた。

「今、さようならと言ったんですか」

少女は言葉など知らんという顔で黙りこくっている。驚きと混乱は苛立ちに姿を変えてアズールを支配する。
少女の前に再び腰を下ろすと、もう一度声を荒げて問うた。

「今!さようならと―――」
「さようなら」

今度ははっきりと、彼女は言った。怒りはすとんと抜け落ちた。瞬きをして、彼女は続けた。

「さようなら。あずーる」

アズールはもう冷静だった。模倣は高度な生態と言えるだろう。今まで教育をしたわけではないし、この瞬間に自分は「アズール」とは一言も発していない。それに彼女は自分を見てその名を呼んだ。双子がそう呼ぶのを聞いてそれが自分であることを突き止めていたのだ。彼女には記憶があり、考え、実行して見せたのだ。
木偶の坊と、言い切るのはまだ早いかも知れない。


****

「おはよう、メデュ―」
「今日は錬金術の授業でね、ま、今日は金ではなく銀だったが……おまえは見たことないだろう。これが銀だ。ぎ、ん。」
「ま、初めからなにか喋るとは期待していないが……」

「おまえは腹が減ったりはしないのか。便利な体なことだ」

「やっほー、くらげちゃん。今日はアズールいねえの?」
「あ?なにこれ、稚魚向けの絵本じゃん。こんなん読んでたんだー」

「授業」
「……今日は授業はない。ラウンジの勤務の用意をしているだけだ」

「お客様」
「いい言葉を覚えたじゃないか。」



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