ファブレ公爵邸の本館にあたる屋敷から遥か離れた、敷地内にひっそりと建つ小さな館。それは昔、心を病んでしまったとある王族を周囲から隔離するために作られたものなのだという。
普段は殆ど使われなくなっているその館の中で一人、彼──ガイ・セシルは、苛立たしい思いを持て余していた。
どうしてこんなことに。そんな思いばかりが胸を締めて、考えれば考えるほど憎しみと焦燥は募っていく。
ペールも、他の使用人すら居ないこの館に、何故彼一人だけが取り残されているのか。……始まりは、三日ほど前に遡る。
預言士によって晴天が詠まれたその日、ガイは、早足で屋敷の廊下を歩いていた。目的地は、親友の居る中庭の小さな離れである。
朝、目を覚ました時、彼は、己が過去に戻ってきていることに気付いて驚愕した。だがすぐさま遡る直前の出来事を思い出し、歓喜する。
今度こそ死なせない、今度こそ救ってみせると決意も新たに身を起こすと、着替えもそこそこに部屋を出て、『彼』の下へと向かったのだ。
そうして、離れの前に作られた花壇の、そのすぐ側に佇む少年の後姿を見つけると、懐かしさも相まって、ガイは思わず大声で『彼』の名前を呼んでいた。
「ルーク!!」
「!?」
ガイの叫びに、はっと振り返るかつての親友──ルーク。
驚きに彩られたその瞳に、疑問が脳裏を過ぎったが、再会の喜びが勝ってすぐに消え去る。
「お、お前……」
何年前に戻っているかは分からない。けれどルークの容姿は恐らく十四、五歳ほどだから、然程昔に戻ったわけではないのだろう。
ルークの側へ駆け寄ると、ガイは彼の手を取って、彼が生きていることの尊さを噛み締めた。
復讐を諦めさせてくれた、大切な親友。卑屈で馬鹿なところもあったけれど、それでも大事な大事な存在だった──そんな彼が、こうして生きてくれている。
その事実は、ガイにこの上ない喜びを与えてくれた。
だから、気付かなかった。ルークがどんな表情をしていたか。周囲の顔がたちまち険しさを帯びたことも。
「──ルーク様!」
聞き慣れない声。その叫び声に顔を上げる間も無く、ガイは次の瞬間、中庭へと叩きつけられていた。
「っ!?」
「ご無事ですか!」
「あ、ああ、大丈夫……っつーか、一体何が……?」
一瞬何が起こったか分からずに、後から襲ってきた背中の痛みが、攻撃されたことを告げる。
けれどルークはガイなど気にも留めず、恐らく自分を害してきたと思しき男の下へと駆け寄った。
それが信じられず、痛みに顔を顰めながらガイが顔を上げた先に立っていたのは、彼と同じくらいの年恰好をした、一人の青年だった。
黒い短髪にきつい目付きで、体躯はガイとそう変わらない。細身の剣を腰に携帯したその青年は、戸惑いの表情を浮かべるルークを宥めると、彼を背に庇い、ガイを見下ろした。
「ガイ・セシル、貴様という奴は……ルーク様の御名を呼び捨てた上、御身に無断で触れるとはな!」
何を言っているのだろう、とガイは思う。
ルークはそんな身分差に拘るような奴ではなくて──否、それ以前に、ルークは自分の親友なのだ。友人同士のコミュニケーションを取っただけなのに、何故其処まで怒鳴られなければならないのだろうか?
「レイル、止めてくれ」
其処へ、漸くルークの制止がかかる。助かった、という思いと同時に、もっと早く助けてくれたっていいだろうという考えが頭を掠めた。
──しかし。
「年齢もそう変わらない奴みたいだし、多分、雇われたばかりでまだ礼儀作法をよく理解していないんだろ? そんなに怒らなくてもいいんじゃねぇか?」
告げられた言葉に、ガイは愕然とする。
まるで、見知らぬ他人に向けるような態度。ガイは七歳の時からファブレ家に出入りしている。その後で屋敷へと連れて来られたルークが、ガイのことを知らないはずはないのに。
「いえ、この男は以前から……」
「……そうなのか? 俺、見たことねーんだけど」
「使用人として少しばかり教養が足りておりませんので、裏で雑用をさせているのです。ルーク様が知らずともおかしくありません」
ふーん、と相槌を打つと、ルークはガイへと向き直る。その瞳にはありありと『無関心』が見て取れて、ガイはどうしてと叫びたくなった。
「……兎に角、もういいよ。それよりレイル、仕事終わったのか? だったら俺と剣術勝負しようぜ!」
「はぁ……ルーク様、勉学の方はどうなされたのです?」
「今日の分は終わらせてあるっつーの!」
むす、と脹れたルークに、レイルは「仕方ありませんね」と苦笑すると、近くに居た騎士達に目配せしてから、二人してその場を後にする。
慌てて追いかけようと、痛む体に鞭を打ってガイは立ち上がったが、すぐさま足を阻まれてしまった。
「ガイ・セシル。何処へ行くつもりだ?」
「決まってるだろう、ルークの……!」
「ルーク様、だ! この無礼者を引っ立てろ!」
命令一下、騎士団員達が動き出す。碌に動けないガイは抵抗することも出来ないままあっという間に捕縛され、屋敷内にある簡易牢へと叩き込まれることになる。
その後ガイは、公爵家の人事一切を取り仕切っているラムダスにより厳しい叱責を受け、屋敷での雑用役すら外されてこの離れの館へと追いやられたのだ。
「何でっ! こんなこと……!」
憤るガイは、一度だけ自分の様子を見にやって来たペールから聞いた話を思い出す。
数年前、マルクトに誘拐されて戻ってきたルークを育てたのは、ガイではなく、あの時彼を叩きのめした青年・レイルなのだという。彼は名家と名高い軍人の家の次男であり、行儀見習いもかねて、ファブレ家へ奉公に来ているのだそうだ。
それが縁で、レイルとルークは身分差を越えた友情を築いているのだという。
まるで、『以前』のガイとルークの関係の様な、それ。
違うのは、其処に立っているのがガイではないこと。そしてレイルの出自に疚しいものはなく、更に彼の存在がルークに良い影響を与えているのだということだろう。
プライベートでは良き兄となりながらも、軍人として毅然とした態度を貫く清廉潔白なレイルに憧れるルークは、彼のようにならんと、自身も苦手な勉強に励み、政治を学んでいるらしい。
同じようで、まるで違う『物語』。その差異と、追い込まれた己が境遇を嘆くガイは、遡る直前、ローレライに告げられた言葉を終ぞ思い出すことはなかった。
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