目の前で行われる光景に、ジェイドはただ、驚愕に目を見開いていた。
──何故?
問いかけても、返る答えは無い。そうしている間にも粛々と、皇帝から青年へ、親書の受け渡しが成されていく。そう……親書。キムラスカへ送る、和平のための。
ジェイドがこの世界へ遡ったのは、和平のための名代が任命される、その前日の夜。
このままいけば以前通りにキムラスカ行きを命じられ、そして彼に……『ルーク』に会える。ティアやアニスも、自分同様戻ってきているはずだ。ならば前と同じように『ルーク』を連れ出し、エンゲーブで再会することが出来るはず。
あの子を救えるかもしれない。否、それよりも、生きている彼に会えるのだ!
そんな喜びでいっぱいだったジェイドは、恐らく自身が思うより余程浮かれていたのだろう。既に夜だったことも理由の一つかもしれない。どちらにしろ、彼は確認を怠った。この世界が、何処までかつての『過去』と同じであるか、を。
(そんな──馬鹿な!)
謁見の間の壇上でピオニーから親書を受け取っているのは、彼の皇帝の甥に当たるという、幼さの残る青年。勿論、ジェイドは彼の存在を知らない。以前は居なかったはずの人間だ。
淡い金茶の髪を背中で束ねたその彼は、恭しく膝を付き親書を手にする。
「必ずや、使命を果たしてまいります」
「ああ、頼んだぞ。キムラスカとの和平、成るかどうかはお前の両肩にかかっている。──アスラン、不肖の甥ではあるが、リースを守ってやってくれ」
「はっ。アスラン・フリングス、この身に変えましても」
和平の使者であるマルクト帝国皇帝名代には、皇族であるリース・シュヴェルト。その護衛として、第一師団とその団長であるアスラン・フリングス少将。共に現皇帝の信頼篤い二人だ。納得のいく人選に、誰もが満足げな笑みを浮かべている。
無論、今回の和平に反対の声を上げているものが居ないわけでもない。だがそれはごくごく少数のことで、先帝時代幾度と無く繰り返してきた戦争により、民は疲れ、国庫も余裕は無い。大多数はこの辺りが手打ちだろうと、場のやり取りを静かに眺めていた。
しかしジェイドは心穏やかではいられない。エンゲーブへ行かなければ、そうしなければ、彼に……ルークに会えなくなってしまうではないか!!
任命式を終え、多くの貴族や軍人達が持ち場へと戻っていく。謁見の間には、俗にピオニーの腹心と呼ばれる者達だけが残った。漸く和平に向けて動き出せると、皆笑顔を浮かべている。ピオニーも例外ではなく、即位して早数年、やっと自分の思い描く国づくりに着手出来ることを、心から喜んでいた。
そんな中、ジェイドは意を決してピオニーへ話しかける。
「ピオニー、少し待って下さい」
マルクト史初の和平交渉ということで、未だざわついていた場が、ジェイドの声で静まり返った。
視線──たかが佐官が、気心の知れた者しか居ないとはいえ、謁見の間で堂々と皇帝を呼び捨てる、その非礼に対する剣呑な眼差し──が、ジェイドへと集まる。しかしある意味で他者の心に酷く無頓着な彼には、其処に潜む苛立ちを察することが出来なかった。
当のピオニーはと云えば、何とか場を取り繕おうと、苦笑を浮かべている。
「あー……何だ、ジェイド? 用があるなら部屋で聞くが──」
遠回しに、プライベートな用件や雑談なら人の目の無いところで、と告げるピオニーに、しかしジェイドは彼の気遣いをあっさりスルーし、言葉を続けた。
「いえ、この度の和平の件についてです。何故、あの二人に名代を?」
まるで、人選に不満があるかのような口調。事実、ジェイドは自分が選ばれなかったことに対する焦りを抱いていたのだが、そんなもの、彼の事情など知る由も無い周囲の人間にしてみれば、身の程知らずとしか言いようがない。
これには寛容なピオニーも顔を引き攣らせたが、気を取り直して答えを返す。
「……リースは、皇位継承権こそ持たないものの、れっきとした皇族だ。年は若いが、優秀だし、これまでにも結果も出している。期待に応えてくれることだろう。アスランの実力は、お前も知ってるはずだ。帝国への忠誠も折り紙付き。リースの護衛にはこの上無い人選だと思うが?」
うんうん、と頷くその他の面々。しかしジェイドは尚も食い下がる。
「ですが、足手纏いが居ては、万が一があった時に困るでしょう。フリングス将軍は甘い方ですから、リース様に気を取られて実力を発揮出来ない可能性もありますしね」
うん……? と首を傾げるその他の面々。思考の食い違いに眉を顰めるも、無礼に対する怒りが先立って、その違和感に気付かない。
「戦えない者を名代にするより、何かあった時のためにも、単身で戦う術を持った人間を名代にすべきです」
其処でピオニーは漸く、彼が一体何を言いたいのかに気付く。
言葉の続きを想像し顔を青褪めさせると、慌てて止めようとした。しかしそれよりも早く、嫌味っぽく眼鏡のフレームをかけ直したジェイドが、言ってはならない一言を口に出す。
「私ならば、キムラスカと和平を結ぶことが出来ますよ。ピオニー、今からでも遅くはありません。すぐに使者を私に変更なさい」
その瞬間、謁見の間は唖然とした空気で満ちた。
まず、まるで根拠の無い自信とその驕りに。そして彼がキムラスカからどんな風に思われているかという自覚の無さに。更に外交官でも文官でもなく、佐官位に過ぎない一軍人を使者にしろという非常識さに。最後に、皇帝に向かって平伏もせず、希うでもなく、平然と『命令』してみせたその態度に。
──貴族や軍人はおろか、プライベートでは幼馴染で友人であるピオニーすらも、呆れ果てる。
しかし当の本人は悪びれもせず、むしろそれが当然であるかのように振舞っているのだから始末に負えない。何故こんな馬鹿がこの場に居ることを許されているのだと、視線が交錯し──。
最終的に、縋るような皆の視線を受けることになったピオニーは、失望の隠しきれない溜息を漏らした後、白け切った眼差しをジェイドへ向けた。
「お前は、何様のつもりだ」
「……何ですって?」
「俺は皇帝で、お前は単なる軍人だろう。家臣達が選び抜き、俺が許可を出した使者に不服があるというのか?」
言外に察しろ、引き下がれという思いも込めて、ピオニーは強い口調で彼を諭そうとする。だがジェイドはそれに対し、肩を竦めて見せるという暴挙に出た。
「やれやれ。皇帝の間違いを正すのも、部下の役目でしょうに」
その上、今回の決定を『間違い』だと言った彼に、呆れていただけの周囲も、次第に怒りを露にし始める。流石のピオニーもこれはフォロー出来ず、しかも信頼する甥と将軍を馬鹿にされ、激怒した。
「ジェイド、俺はお前を買いかぶっていたようだな。──衛兵! この男を王宮からつまみ出せ!!」
「なっ!?」
「ゼーゼマン、ノルドハイム。あれに関しては追って沙汰を下す。だが今は和平の件もあるから、当面は謹慎させておけ。良いな?」
「了解致しました」
自分の絶対的な味方であると確信していたピオニーが己を排斥し、しかも己を評価してくれていた知人達がそれを受け入れる。その光景にジェイドは絶句した。
抵抗しようとしたが、多勢に無勢、しかも相手は味方であるはずの者達ばかり。そのため、ジェイドは実にあっさりと拘束され、そのまま王宮を叩き出されてしまった。
その後ジェイドは、軍事裁判にかけられ、皇帝不敬罪等で死罪を言い渡されたが、類稀な天才的頭脳を惜しまれて一命を取り留めた。だが罪や汚名が消えるはずも無く、カーティス家からは離縁され、妹のネフリーからも絶縁状を叩きつけられることになった。
そしてその後、彼は監視付きの座敷牢に放り込まれ、マルクトの地下研究員としてその生涯を捧げることとなる。
|