「お前は俺の劣化複写人間だ。フォミクリーで作られた、ただのレプリカなんだよ!」

 ――愛してくれていた筈の人から言われた否定の言葉は、俺の心を深く深く貫いた。



*  *  *



 ルーク・フォン・ファブレ。
 それが俺に与えられた、否、僅かな間貸し与えられた名前。
 本当の名前は無い。だって、そんなものは必要無いと言われた。何故なら、俺は兄《ルーク》の代用品だから。十七になって兄の代わりに死ぬまでの命。短過ぎる生。そんなものに与えられる名など、無い。
 ……それでも俺は、そのことが嬉しかった。愛する兄が全うしなければならない死の預言を、俺の存在一つで変えられるなら、そんなに嬉しいことはない。
 兄《ルーク》は、屋敷の座敷牢でひっそりと暮らす俺にとって、憧れだった。
 真っ直ぐと前を向いた瞳。堂々とした立ち振る舞い。神童と名高い、その頭脳。剣を使わせてみても、同年代の子供などよりはるかに秀でて、けれど驕ることは無い。
 青白い腕、筋肉一つ無いなよなよとした身体、美しい紅とは似ても似つかぬ、己の朱色の髪。
 どれ一つ比べても、己が兄よりも劣っていることは明らかで、それがより一層、兄への憧れを助長させた。

「ルーク様は、お嬢様のことを愛していらっしゃいますよ」

 俺の居る座敷牢に唯一足を運ぶメイドが、素朴な笑顔でそう告げる。愛しているけど、父公爵の言いつけがあるから会いに来られないのだと。
 彼の人にこんな薄暗い場所まで来てもらうだなんてとんでもない、と、ルークは思った。鮮やかに舞う紅の人。自慢の兄。
 彼には、日の当たる場所が似合っている。
 兄が日の当たる場所に居続けられるなら、自分がどうなろうと構わない。ただ、自分と云う人を知って、愛してくれているだけで幸せで。
 ……俺という人生を哀れんだメイドが吐いたささやかな嘘。それが長い間俺を蝕み続けることになるなど、彼女は知らなかった。

 そして、俺が《ルーク》の代わりにルークとなって外に連れ出されたその日から、そのメイドの姿を見ることは無くなった。



*  *  *



「こんな屑レプリカに……俺の家族も居場所も、全部奪われちまったとはな……!」

 違う、違う違う。
 何故? 俺はレプリカじゃないのに。人間なのに。――貴方の妹なのに!
 心の底で叫ぶ言葉は声にならずに荒れ狂い、自らの胸をも切り裂く。それはまるで鋭利な刃物のように。
 俺は貴方の居場所なんて奪っていない。貴方の居場所は変わらず日だまりの下で、俺はその傍らでずっとそれを眺めていただけ。
 本当に奪われたのは―――


「哀れな娘だ。下らぬ預言のために、その身をも投げ出すか」


 アクゼリュスでの、ヴァン師匠の声が蘇る。
 あの人は結局、俺にパッセージリングの破壊をさせなかった。預言を成就させないために。パッセージリングを破壊したのはあの人の放った譜術を切欠とした暴走。
 けれど、他の皆は俺が師匠に唆されて、アクゼリュスを崩落させたと思い込んでる。その場に居たイオンの言葉も、ミュウの言葉も全て踏み潰して、自分達の過ちにすら気付かずに!
 ……でも、そんなことは如何でもいいんだ。
 俺の愛する兄《ルーク》……今はアッシュと名乗っているあの人さえ無事だったのなら、俺が生きていようが死んでいようが、誰に罵倒されようが、耐えられると思ったから。


 でも、それは、俺の思い込みだったのかな……?


 薄れていく景色の中、ミュウとイオンの声が、必死に俺を呼び続けていた。



*  *  *



 ――時折そよぐ風が頬を撫ぜる。
 その度に、俺はすっかり短くなった髪を少し寂しく思いながら、ひたすら平原を北上した。
 俺の肩に乗ったミュウが時折威嚇援護をしてくれるし……旅の道程で少しは鍛えられたから、一人でもなんとか突破出来そうだ。この辺りの魔物はそう強くないから、それも幸いだった。

 あの後、俺は、仲間達から置いていかれ、ユリアシティに一人残された。

 否、一人と云うのは語弊があった。ユリアシティの出身者であるティアが残ったし、ミュウは俺の傍を決して離れようとはしなかったから。
 けれどもティアは、実の兄がやったことにショックを受けているのか部屋に閉じ篭っていたし、俺ももう、彼女に迷惑を掛けられなかったから……ユリアシティの市長であるテオドーロさんから話を聞き、街を出た。
 この時もやっぱりミュウは傍を離れなくて。

「ご主人様はミュウが守るですの!」

 ――声高に宣言されては、もう、引き離すことなんて出来やしなかった。だって、俺が皆から責められている間、俺を庇ってくれたのはイオンとコイツだけだったんだ。
 俺のナイトを気取るつもりらしいミュウに苦笑を漏らしつつ、けれどもその温もりが俺の心を少しだけ癒してくれる。
 ……無実の罪を着せられた哀れなヒロインなんて、俺のガラじゃない。
 事実、俺は確かにアクゼリュスを崩落させようとした。もう仲間と呼ぶことの出来ないあいつらが責めずとも、俺自身そのことは十分に自覚している。けれど、あいつらに断罪される気は更々無かった。あいつらはアクゼリュスの住民じゃない。その家族でもない。俺を断罪する権利があるのは、住民とその家族と――マルクトの皇帝だけだと思った。

 ……グランコクマまでの道のりは知らなかったけれど、ダアト港から船に乗ってケセドニアまでなら、手持ちの金でも十分に移動可能だった。其処で地図を買い、髪を隠すためのフードを買って……歩いてローテルロー橋を超え、ルグニカ大陸を北上していけば、テオルの森の向こうにグランコクマがある。
 まさかフードを被ったまま皇帝陛下と謁見など出来ないだろうが、この髪と瞳の色だ。誰が如何見たってキムラスカの王族だと知れるし、更に俺は、アクゼリュス崩落の重要参考人。通さないわけにはいかないだろう。

「ミュウは……良いのか? 俺なんかに付いて来て……ティアだって、心配するのに」

 もう、何度目になるだろうか。チーグルの森の更に向こう。テオルの森が視覚することの出来る辺りで、俺はミュウに問い掛ける。
 こんなもの、俺の自己満足に過ぎないのかもしれないけれど。

「みゅ? ミュウのご主人様はティアさんじゃないですの、ご主人様だけですの!」

 人懐っこい笑顔で言うミュウの言葉が嬉しくて、無意識に顔を綻ばせる。ミュウが俺を必要だと言ってくれる度に、俺はまだ大丈夫だと、ひび割れて原形を留めない心のカケラをかき集めながら、そう思える。

「……ありがとう、ミュウ」

 テオルの森は、すぐ其処まで迫っていた。



*  *  *



 ……ぽかん、と開いた口が塞がらない。俺を此処まで案内してくれた軍人(フリングス将軍、と云うらしい)が沈痛な面持ちで顔を押さえている。なんとなくその気持ちが分かるような気がした。

「うんうん、反応もなかなか初心だなぁ♪ アスラン、遊んでいいかー?」
「ダメに決まっているでしょう……」

 玉座の後ろから差し込む太陽の光がきらきらと反射して、まるで彼こそが太陽のようだと思う。
 ガイやナタリアともまた違う綺麗な金色の髪が揺れるたびに、身体中を遠慮無く撫で回し尽くされるような心地がして、俺は思わず頬を引き攣らせた。

「みゅううぅぅ……ご主人様へのお触りは禁止ですのー」

 先ほどからミュウは、俺に理解出来ない言葉で皇帝を威嚇している。その度に皇帝陛下は調子に乗って俺へのちょっかいをエスカレートさせるので、最早火を吐き出しかねない勢いだ。
 ……自国・キムラスカのインゴベルト陛下を思い出しながら、一国の王ってこんなに軽い人なんだっけと軽い現実逃避をしてみる。

「陛下、ルーク殿は真面目に謁見を申し出ておられるのです。相応の態度で相手をしてくださらなければ困ります」

 遂にはフリングス将軍が剣を抜きかけて――この光景すら、キムラスカでは有り得ないと思った。王の前で剣を抜くこと自体、不敬に繋がりかねないからだ。
 けれども皇帝陛下――そう、先ほどから俺にちょっかい出しまくっている金髪の彼こそ、マルクトの皇帝なのだ。信じられないことに!――はからからと楽しげに笑いだけで、怒りなんて微塵も見当たらない。
 マルクトでは、これが罷り通っているのか――と、俺は密かに溜息を吐く(これもまた不敬に当たりかねない行為なのだが、今までの空気に毒されて、無意識の行動を抑える事が出来なかった。不覚だ)

「すまんすまん。可愛かったから、つい、な」

 そう言って俺の頭をひと撫でしてから……ピオニー皇帝陛下は玉座へと戻り、どさりと腰を下ろす。

「ええと――そう、確か……アクゼリュス崩落の《真相》について、だったな」

 直後、いきな喉元に剣を突きつけられたような感覚を覚えて……俺はびくりと肩を震わせた。脅えてはいけない、怖がることなんて許されない。だって俺には、そんな資格なんて無いんだ。
 ミュウが、気遣わしげに俺を見上げる。その視線に微かな笑みで応えてから……俺は、アクゼリュス崩落の《真相》について語り始めた。



*  *  *



 ――アクゼリュス崩落の《真相》を全て話し終えたその後。
 謁見の間に居た、俺を含む全員が、一斉に黙り込んだ。
 当然だと思う。俺がルーク・フォン・ファブレのニセモノで、俺に超振動なんて力があって、アクゼリュスのパッセージリングを消滅させて大地を崩落させた……なんて。作り話めいて普通なら誰も信じないだろう。
 けれど、これらは全て、実際に起こった事だ。陛下が俺の話を聞いてくれた、ということは、少なくともアクゼリュスの崩落は知らされていた筈。或いは、ジェイドが知らせたのかもしれないけど、今の俺には如何でもいい話だ。
 ただ、秘預言のことは……キムラスカにとって不利になるから言えなかったけれど。
 自分でも、馬鹿だなぁって思う。アッシュに……《ルーク》にあそこまで詰られて罵倒されて、父上達から切り捨てられたも同然なのに、まだ、キムラスカの繁栄のことを考えている。

「さて、どうするかな」

 何気なくそう呟いた陛下が何を考えているのか、俺には分からない。

「――ひとつ、よろしいですかな?」
「ん、なんだゼーゼマン。言ってみろ」

 陛下の傍に立っていた老人(ゼーゼマンさんと云うらしい)が、陛下に発言の許可を貰ってから、口を開く。

「ルーク殿は超振動を起こし、アクゼリュスのパッセージリングを消滅させた、と言っておりましたな。成る程、超振動であれば、パッセージリングを消すことも容易いでしょう。――ですが、」

 思わせ振りに言葉を切るゼーゼマンさんに、陛下が口元を歪める。

「我がマルクトの観測台からは、超振動レベルの第七音素が収束したという情報は入ってきておりませぬ。それに、今の話から察するに、ルーク殿は崩落後間も無く、グランコクマへ来られたということですな。……いかにルーク殿が単独で超振動を起こすことの出来る稀有な存在だとしても、全身の第七音素が急激に消費された状態では暫く動くことすらままなりますまい」
「……だそうだぞ、ルーク」

 空の青にも似た迷いの無い瞳で射竦められて、俺はただ、肩を震わせて視線を彷徨わせる。けれど、その先に居たフリングス将軍と目が合ってしまいしかも微笑まれて、居た堪れなくなった。
 そんなやり取りに気付いたらしい陛下が、何故か不満の声を上げる――将軍に向けて。

「ズルいぞアスラン! 何を見つめ合ってるんだ羨ましい!!」
「陛下」

 腰を浮かしかけてた陛下に、ゼーゼマンさんの咎める声とワザとらしい咳払いが待ったをかける。
 渋々とでも言いたげに座り直して――

「――こっちを見ろ、ルーク」

 ダメだ、見るなと何かが囁く。見ればお前は全てを投げ捨てて、罪をも放棄して、優しく厳しい態度で自分を見てくれる誰かに縋りつきたくなってしまうからと。

 ……誰かって、誰だよ。
 俺には《ルーク》しか居ないのに。――父上にも母上にも、皆からも見捨てられたってのに!
 拳を握り締め……俺は、陛下を見つめ返す。俺の中の《絶対唯一》を見破られぬように、己を律しながら。

「俺には、分かりません。ただ、ユリアシティに着いた後で少し気を失っていたから……だから、大丈夫だったんだと思います」

 ほんの少しの嘘。それに真実を織り交ぜて話せば大丈夫。
 今にも爆発しそうな心臓の、五月蝿いぐらいに鳴る鼓動の音を打ち消すように、ひとつひとつ言葉にしながら……己に言い聞かせた。

「…………」

 数秒か、数分か、或いは数時間。
 陛下の眼差しはあまりに真っ直ぐで、何度も逸らしたい衝動に駆られたけれど、何とか耐えて。

「……アスラン」
「はい」
「ルーク殿を《牢》へお連れしろ」

 ――耐え切った。
 陛下の視線が外れて、フリングス将軍に向いた瞬間、俺は思わず、詰めていた息を吐いた。良かった。これで、アッシュにも父上にも……キムラスカにも、迷惑が掛かることはない。ニセモノのルークが罪を被れば、キムラスカは俺を切り捨てることでマルクトからの抗議を退けることが出来るだろう。

 ふと見れば、フリングス将軍が俺の傍までやって来て、微笑を浮かべながら片手を差し出していた。

「さぁ、参りましょう」

 その仕草はまるで軍人らしくなくて、力が抜けた反動だろう、俺は笑ってしまいそうになりながらもその手を取って、彼の誘導するままに歩き出す。

「アスラン、一番上等な《牢》に案内してやれよ」

 背後から聞えてきたピオニー陛下の言葉に、フリングス将軍が会釈だけで応じる。
 ……何故だか、謁見の間に微妙な雰囲気が流れた気がして、俺は一度だけ、振り返った。けれど其処に居たのは、何を考えているのか分からない笑みを浮かべた陛下と、呆れたような表情のゼーゼマンさんが居て。


 陛下がアスランさんに言った言葉の意味を、俺はこの時、知る由もなかった。



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