桜の花が開く頃






教室の窓から少しだけ身を乗り出し、校舎横に並ぶ桜の木をぼんやり眺める。

今年の桜は例年より開花が遅いらしく、この時期になってもまだ薄紅色の花弁は姿を見せない。

この学校に来るのも今日で最後なのだから、どうせなら満開の桜に見送られたかったな、なんて思ってしまう。

式も数時間前に終わり、卒業生も在校生もほとんど帰ったのだろう。外はとても静かで、風がサラサラと葉を揺らす音だけが鼓膜を揺らす。

「なんだ苗字、まだ残っていたのか」

ガラリと扉を開けて入ってきたのは、授業で三年間、クラスで一年間お世話になった担任の先生。

私の大好きな、月島先生。

「忘れものをしちゃいまして」

「そうか。見付けたら早く帰れよ。この教室も閉めるからな」

扉に背中を預け、腕組みをしながら私が出て行くのを待ってくれる先生。

でもごめんなさい。忘れものなんて嘘。本当は、先生が来てくれるのを待ってたの。

「先生、卒業アルバムの寄せ書き、書いてくれませんか」

「忘れものはもういいのか」

「もう見付けましたので。先生にはずっとお世話になってたから、ぜひ書いて欲しいんです」

「…わかった、貸せ」

適当な席に座りこちらに手を伸ばす先生に油性ペンとアルバムを渡す。キュッキュッと、ペン先がページの上を滑る音が教室に響く。

「好きです、月島先生」

ポツリと、でも先生にはっきりと聞こえるように呟く。

今まで何度も先生に伝えてははぐらかされてきた、私の気持ち。

今日が終わったら、もう先生と会えなくなってしまう。だからこれが、最後の告白。

今日こそは、先生の気持ちを教えてもらわないと。

「苗字、何度も言ったはずだ。お前は生徒で俺は教師。お前の好意を受け取る訳にはいかない」

書く手を止めて、呆れたような眼差しを私に向ける先生。もう何度も見てきた、我儘を言う子供を諭すような顔。

「でも今日卒業しました」

「卒業式を終えても三月いっぱいはこの学校の生徒だ。ホームルームでも言っただろ」

「だって四月になったら先生に会えなくなるじゃないですか」

「……」

「私は月島先生の本心が聞きたいんです。教師とか生徒とか、そんなこと抜きにして、先生が私のことをどう思っているのか。それが聞きたいだけなんです」

「……」

ハァ…と大きな溜め息をつくと、先生はそれ以上何も言わず寄せ書きに集中してしまった。

プリーツスカートの裾を強く握る。

先生はずるい。いつもそうだ。『勘違いだ』とか、『立場が違う』とか、そんな言葉で誤魔化してばかりで、先生の本心を話してくれた事なんて一度だってない。いつだって、子供扱い。

いっそ『俺は好きじゃないから付き合えない』と潔く振ってくれたら、こんなに悩むことなんてなかったのに。

最後の告白も、先生には届かなかったみたい。

悔しくて悲しくて、込み上げてくる涙を見られないように再び窓へ近付く。

見下ろすと一組のカップルが、仲睦まじく手を繋ぎながら校門へ向かって歩いている。

この二人は、以前から付き合っていたのだろうか。それとも今日、心を通わせたのだろうか。

どちらだったとしても羨ましい。私の想いは、届かなかった。

恋の蕾は膨らんでも、その花弁は開くことなく枯れてしまうのだろう。

「ほら、書けたぞ」

カチッとキャップを付ける音が聞こえて振り向く。

アルバムを受け取り寄せ書きのページを開くと、"卒業おめでとう""自分の力を信じろ""これからも努力を惜しまず頑張れ"などのテンプレのような言葉が男らしい字で書かれていた。

先生らしいな、と苦笑していると、次のページに薄緑色の紙が小さくはみ出しているのが目に入った。

こんなのさっきまであったかな、とページを捲ると、四角い付箋。内容を確認し、ハッと息を飲んだ。

だって、薄緑色の付箋に書いてあるのは…

「…っ!先生…!」

「さぁ、そろそろ帰れ。俺もここを閉めて職員室へ戻る」

そう言って扉の方へ向かう月島先生の耳は、少し赤くなっているように見えた。

「…はい!月島先生、三年間お世話になりました!ありがとうございました!」

「ああ、大学に行っても頑張れよ。気を付けて帰れ」

さっきまで溢れそうだった涙もいつの間にか引っ込んでしまい、口元が緩むのを抑えきれない。だってこんなの、嬉しすぎる。

「じゃあ先生…"また"ね」
「…ああ、"また"な、苗字」

アルバムを鞄にしまい、扉の前で先生と別れの挨拶をする。でもこれは同時に、再会の約束でもある。

次に会う時は、教師も生徒も関係ない。なんのしがらみもない、ただの男と女として、先生と一緒にいられるんだ。

叫び出したい衝動を必死に堪えながら、職員室へと戻っていく月島先生の背中を見送った。

校舎横を歩きながら、さっきまで教室から見下ろしていた桜の木を見上げる。

四月になったら、この桜が咲く頃になったら、私の恋の蕾も色鮮やかに花開くのかな。

四月になるまであと半月もある。あぁ、なんて待ち遠しいのだろう。

それまでの間、少しでも大人っぽくなれるように、メイクもファッションも勉強しておかなきゃ。ヘアサロンも予約して、ダイエットの為におやつ禁止にして、それからそれから…

頭の中であれこれと計画を立てながら、もうくぐることもないだろう校門を抜けた。

"俺も名前が好きだ。
四月になったら電話してくれ。二人で、花見にでも行こう。
090-○○○○-××××"