春時雨






入学式の長い長い式典が終わってやっと帰れる……と思ったら額にぽつりと冷たい雫が。

パッと顔を上げるとぽつぽつ雨が降ってきた。

「どうしよう、今日は傘持ってきてないのに……」

今朝の天気予報では雨が降るなんて言ってなかったじゃん……お天気お姉さんのうそつき、なんて一人心の中で毒づいている間に段々と雨足が強くなってきた。あまりスーツを濡らすわけにはいかないし、急いでバス停に向かうことにした。バスにさえ乗れれば駅まで直行してくれるし、そこで傘も買えるだろう。

ほとんどの新入生はサークルだとかの体験で大学に残っているみたいでバス停にほとんど人はいなかった。まだバスが来るまでには時間があったけれど特にすることもなくぼんやり風景を眺めていると、停留所に走ってくる人がいた。その人も傘を持っていないようで、キャップをぎゅっと目深に被り急いでこっちへ駆けてくる。

「……っはぁ、雨かよ」

多分私とそう年齢の変わらないくらいの若い男の人だ。この人も同じ大学の人だよね?パッパッとパーカーに付いた雨粒を払っているのでハンカチを渡してあげた。

「あの、これ良かったら使ってください」

「えっ、ホントにいいの? ありがとう」

男の人はキャップのつばをグイっと上げて人好きのする笑顔でハンカチを受け取った。顔には大きな傷があって少し驚いたけれど柔らかな表情と声色のおかげかそれほど悪い印象は持たなかった。

「いや〜災難だったね帰るときになって雨降ってきちゃうなんてさ」

「そうですね。天気予報では晴れマークだったんですけど、春時雨ですね……」

「スーツじゃあ濡れて帰るわけにもいかないもんな。君もしかして新入生?」

「はいそうです、苗字 名前と言います。よろしくお願いします」

「俺は杉元佐一、二年生。こちらこそよろしく」

そう言うと杉元さんがすっと右手を差し出してきたので握手をした。わ、杉元さんの手すごいごつごつしてるしマメもいっぱいだ。

「何かスポーツでもされてるんですか?立派な手ですね」

「そう?そんなこと言われたの初めてでちょっと照れるな……。柔道をちょっとね。そういえば苗字さんはサークルとか行かないの?新歓とかあったと思うけど」

「バイトで埋まっちゃってるんですよね。今年から一人暮らしなので生活費くらいは自分で賄おうと思ったら時間的に余裕が無さそうなので諦めました」

「そっか、じゃあ俺とおんなじだ」

「杉元さんも一人暮らしなんですか?」

「そう。この辺のこととか良かったら教えようか?」

「良いんですか?ぜひお願いします!」

私は大学進学を機に引っ越しして一人暮らしを始めることにした。だからこの辺りの地理にはあまり明るくないのでとても助かる。

ちょうどその時バスが到着した。バス車内は人もまばらで席も十分空いている。腰を落ち着けて話が出来そうだ。私と杉元さんは二人がけの席に並んで座った。

「えっと、じゃあさっきの話しの続きね。まずスーパーは〇〇ってとこが安くて……」

「ふむふむ」

「……あと××公園の近くは夜暗いから気をつけた方が……」

「なるほど」

適宜メモを取りつつ杉元さんの話に耳を傾けた。スマホで調べるのも良いけど、実際住んでる人の話はやっぱり役に立つものが多くて助かるなぁ。

「うん、こんなもんかな」

「ありがとうございました。実は今日この辺りを歩いて自分でも情報収集しようかと思ってたんですけどこの雨だし……」

「そうだったんだね。少しでも力になれたならこっちも嬉しいよ。また困ったことあったらいつでも相談して」

「はいっもちろんです!」

話がひと段落すると同時にバスが駅に着いた。結構時間が経っているはずだけど、杉元さんと話していたからかなんだかあっという間だったな。

「駅に着くまでに止んでくれないかな、と思ってたんですがどうやら今日はずっと降ってそうな空模様ですね」

「ホントだ。またビニ傘が増えるな」

「ちゃんと折りたたみ傘は常備しておかないとダメですね……」

「ねえ苗字さんはどっち方面の電車に乗るの?俺は△△方面なんだけど良かったら一緒に帰らない?」

「あぁすみません、私逆方向なんです」

せっかく杉元さんが申し出てくれたし私もそうしたいのは山々だったけれど、こればっかりは仕方がない。杉元さんはそっか、と小さく返事をしてちょっと肩を落としたように見えた。なんだか元気が無くなっちゃったみたいだ。

「また杉元さんのお話聞かせてくださいね?」

なんとか励まそうと言葉をかけると、にこりと小さく笑ってくれた。

「はは、ありがとう。……あ、そういや俺ハンカチ借りっぱなしだった。汚しちゃったしまた洗濯して返すよ」

「そんないいですよ!」

ちょっと雨粒を払ったくらいでそんなに気を使わせてしまうのも申し訳ない。私がそう言うと杉元さんは困ったような照れたような顔をして、

「えーっと、また次会うための口実にしようかと思ったんだけど……だめ?」

だなんてど直球に言ってくるものだから、

「うっ……だ、だめじゃない、です……」

としか返せなかった。私じゃなくてもあんな風に可愛らしくお願いされたら断れないと思う。

私の返答を聞くと杉元さんはぱぁあーっ、と効果音が聞こえてきそうなほど目を輝かせてニコッと笑った。

「良かった〜、じゃあまたね苗字さん!絶対返しに会いに行くから、またね!」

「ふふふっ、はいまた!」

またね、という言葉をあんまり強調するものだから思わず笑ってしまった。

ホームでも向かいにいる私を見つけた杉元さんが口パクで(また今度ね!)と言っている。応えるように小さく手を振るとにっこり満面の笑みを浮かべていた。年上のはずの杉元さんが子供みたいにはしゃぐのが可愛らしくて、私までつられてついにやけてしまう。

入学式から雨だなんてついてないと思ったけど、こんな出会いをもたらしてくれるのなら春時雨も悪くないかも。また杉元さんに会うのが楽しみだな。