厳しい寒さが通り過ぎ、北の大地にも春が訪れる、そんな季節になった。満開の桜の木の下には、友人や家族と笑顔で花見を楽しむ団体が大勢いる。
そして例に漏れず、私も今日は花見のためにこの場所に訪れていた。もっともメンバーは会社の上司や同僚、新入社員という、言わば会社が主催をする面倒なものではあるが。
そんな中、私はというと一際大きなブルーシートの上に一人取り残されていた。
花見で特に面倒とされているのが場所取りで、これは新人にやらせるとパワハラだ、なんて言われかねないだろうということで、毎年入社三年目の、比較的会社にも慣れてきた頃合の社員が選ばれるわけだけれど。
「なんであの時…グー出しちゃったかなあ…」
今年は同期でジャンケンをして、最初に負けた一人が場所取りの係を担当することになり、見事に負けた私は大きなブルーシートの上に一人取り残されている。
それにしても、今どき花見を会社の人間でやるなんて、正直時代遅れもいい所だと思う。
出勤日が潰れるというありがたい気持ちはあれど、どうせ潰れるのであればいっそのこと休みにしてくれたっていいのに、なんて思うのは私がここに一人取り残されているからだろうか。
今日は憧れの鶴見部長が別のお仕事で来られないと言うし、私の花見に対する心は益々億劫になっていった。
くあっと女らしくもない大きな欠伸を一つ零し、眠気と戦っていいると、ポンと後ろから軽く肩を叩かれる。
「…ッ!?……つ、鶴見部長!?」
驚いて後ろを振り返ると、そこには笑顔の鶴見部長が立っていた。
「鶴見部長、今日は別のお仕事で来られないはずじゃ…?」
「ああ、急に先方との予定が合わなくなってしまってね。せっかくだからこちらに足を運んでみたんだ。」
そう言いながら、彼は丁寧に靴を脱ぎ、ブルーシートの上へ腰を下ろした。
人事部の鶴見部長といえば、仕事はできるし、多くの部下から慕われている上に、女性からの人気も高い。もちろん私も鶴見部長に対してかなり憧れの気持ちを抱いてはいるが、まさかこのタイミングで部長と話ができる機会に恵まれるなんて。
「にしても、女性一人に場所取りをさせるなんて、皆酷いことをするね。」
「いえ、そんなことないです。お気遣いありがとうございます。」
緊張しているせいか、当たり障りのない返事しか返せず、会話が続かない。
思えば、私が入社してから部署の異なる鶴見部長とは数える程度しか話したことがない。いつも遠くから見つめるだけで満足していたし、お近づきになろうだなんてことも考えたことがなかった。
何を話せばいいかと戸惑っていると、一際大きな風が辺り一面に吹き、桜の木を大きく揺らした。
「桜というのは儚いものだね。こうして大きな風が吹くだけで、一気に花びらが散ってしまう。」
鶴見部長が大きく揺れる桜の木を切なそうに見つめる。
「儚いからこそ、こんなに綺麗な花を咲かせるんでしょうか。…私は好きです、桜の木。」
私がそう言うと、鶴見部長は私を見つめてにこりと笑った。釣られて私もにこりと笑うが、同時に彼の優しげな眼差しに吸い込まれて目が離せなかった。彼もまた、私から目を離そうとしない。
すると彼は私との距離を詰め始めた。
ゆっくりと、ゆっくりと、彼の深い漆黒の瞳が近づき、私を捉えて離さない。
「あの…鶴見…部長…?」
「じっとしていなさい。」
耐えきれなくなり、キュッときつく目を瞑ると、前髪に指の柔らかな感触が伝う。
ゆっくりと目を開けると、小さな桜の花びらを持って、少年のような笑みを称えている彼がいた。
「悪戯な風が君に春を運んできたようだ。」
ああ、やっぱりあの時、グーを出してよかった…かも、なんて。