「尾形さん!お出かけしましょう!せっかくのお休みですよー!お散歩にでも行きましょう!」

そう言いながら名前が俺の座るソファーにピョンと飛び乗ってきた。天気がいいからどうしても外へ出たいらしい。はぁ…散歩ねぇ…。
仕方ねぇな…行ってやるか。名前が喜ぶのなら。そうだ。どうせ外へ出るのなら少し足を伸ばすか。

「出かけるぞ。」
「やったぁ!準備しまーす!」
「早くな。」
「うぅ…善処しますっ!」

バタバタと準備する様は本当に忙しない。表情もコロコロと変わっていく。ニコニコとしていたかと思えば、何かを思い出した様にハッとした顔をしながら慌ててカバンの中をゴソゴソと探り出す。かと思うと服のチェックをしているのか鏡の前でにらめっこ。見ているとくっくっと笑いがこぼれる。

「尾形さん?何だか楽しそうですね?」
「お前…ホント忙しないな…」
「私を見て笑ってたんですか!?失礼ですね!もう準備できましたよー!!」
「ははっ!早かったな。上出来だ。」
「尾形さんの気が変わらない内にね!」

そう言いながら笑う名前は本当に可愛い。
見ていて飽きない。今は休みの前日に俺の家に泊まりに来るだけなのだが、名前と毎日暮らしたら…と考えるだけで顔が少しほころぶ。
毎朝、目を覚ますと隣に名前がいる。
そして仕事から帰ると名前が出迎えてくれる。そんな普通の日常が俺にとっての幸せなのだろう。

そんなことを考えながら二人で車に乗り込む。

「そういえば…どこに行くんですか?」
「どこだと思う?」
「いや!わかんないですよ…」
「ははっ、いい所だ。」
「ホントですかー?」
「何だ、俺の事信用してねぇのか?」
「え!違います、違います!」
「ははは!」
「あ、今絶対からかったでしょー?」
「俺を疑うなんて…傷ついたぜ、名前」
「うぅ…ごめんなさい。」
「ははっ。」

本当にからかい甲斐のある奴だな。
着くまで内緒にしといてやる。

車を一時間ほど走らせて来たのは、山の麓の田舎町。

「こっちの方に仕事で来たことがあるんだが…その時、この辺りを通って、いつか名前に見せてやりたいと思っていた。」
「尾形さん、すごい!すごくキレイ!」

ここには春になると一面がレンゲの花でいっぱいになる場所がある。名前は目をキラキラとさせながら一面赤紫に染まったレンゲ畑を見つめている。

こんなことで喜ぶのならいつでもしてやる。

車を近くの公園の駐車場に停め、田舎道を二人並んで歩く。見渡す限りのレンゲの花が、心地良く吹く風にサワサワと音を立てて波のように揺らいでいる。

「風が気持ちいいですねー!」
「そうだな。」
「尾形さんがこんな場所知ってるなんて…ちょっとびっくりしました。」
「あ?どういう意味だよ?」
「えーだってこういうの興味無さそう…」
「は?もう二度と連れて来ねぇぞ?」
「わ、怒らないでくださいよ!」

そんなたわいもない話をしながらのんびりと歩く。名前は出会った頃から俺に物怖じせずに思ってる事をハッキリと言うやつだった。それがこいつの良い所だ。最初は失礼なやつだとも思ったが、それが今は一緒にいて心地良い。
何を考えているかわからない奴より、こういうわかりやすい奴の方が断然、俺は好きだ。

少し歩くと大きな木が見えてきた。
その木の下にポツンと1つ小さなベンチがあった。そこに二人で座り風にそよぐレンゲの花を眺めていると腰の曲がった老齢の女が話しかけてきた。

「こんにちは。今日は天気がいいね。二人で日向ぼっこかい?」
「あ、こんにちは。そうなんです。暖かかったのでワガママ言って連れてきてもらいました!」
「そうかい、そうかい。素敵な彼だねぇ。」
「はい!そうなんです…かっこよくて、ちょっと怖いけど、本当はすごく優しい自慢の彼なんです!」
「おい…やめろ…」
「あらあら、仲が良いんだねぇ。」

名前は名も知らぬ婆さんと楽しそうに話している。本当にこいつは…危機感というものがない。すぐに他人とも打ち解けてしまう底抜けの明るさを持っている。心配でかなわん…。

「あぁ、そうだそうだ。これもらってくれないかい?」

そう言って婆さんは細い麻紐で束ねたレンゲ草を差し出し、名前に手渡す。

「え!?いいんですか?」
「いいよ!いいよ!収穫しすぎてしまってね、可愛い女の子にもらってもらう方がこの花も幸せだよ!」
「わぁー!ありがとうございます!とってもキレイ!」

うれしそうに名前が笑う。

「のんびり日向ぼっこを楽しんでおくれ。」

そう言って婆さんは手を振り帰っていった。

「もらっちゃった。」
「良かったな。」
「うん!うれしい!」

機嫌が良さそうにニコニコと笑っている。
名前のその様子に俺まで機嫌が良くなってくる。

「あ!尾形さん!ちょっと待っててもらえますか?」
「どうした?」
「さっきのお婆さんにお礼してきます!」

そう言ってパッと立ち上がり、「おばあさーん!」と大きな声で呼びながら、パタパタと婆さんの方へ駆け寄って行った。本当に忙しない。
しかもお人好しというか…まぁ、律儀な奴だ。

名前は婆さんに追いつくと持っていた鞄から小さな缶を取り出し婆さんに手渡す。少し立ち話をして、二人でペコペコとお辞儀をし合い、別れてまたこちらへパタパタと走って戻ってきた。

「礼はできたのか?」
「はい!私のお気に入りの蜂蜜入りキャンディを、ご迷惑じゃなければもらってくださいって渡してきました。」
「あれ、缶も気に入っていたんだろう?」
「はい!でもいいんです!お婆さん喜んでくれたし、私もお花もらってうれしかったんで。」
「そうか、よかったな。」
「はい、今日は本当に連れて来てくれてありがとうございます!」

そう言って名前は俺の手を握る。
驚いたが、すぐに俺も握り返す。
繋いだ手から温もりが伝わってくる。
今までに感じたことのない温かさだ。

「あ、そうだ。尾形さん、左手貸してください。」

名前はそう言うとさっきもらったレンゲ草の束から一本だけ引き抜き、俺の左手の薬指に器用に巻き付ける。花の部分をうまく宝石のように見立てたそれは、まるで指輪のようだった。

「婚約指輪みたいですね…なんちゃって。」

名前は少し照れたように笑いながら言った。
おいおい…そういうのは俺から言うもんだろう。

「はぁ…そういうのはお前から言うのはダメだろう。」
「えへへ…ごめんなさい。」

叱られた子供のようにシュンとする表情が何とも愛しい。

「子供の頃、よくお母さんとこうやってレンゲの花で冠を作ったり、指輪を作ったりしてたんです。何だか懐かしくて。」
「子供の頃か…」
「あ、ごめんなさい!」
「いや、名前が謝ることじゃない。」

俺は小さいときから親の愛を知らずに育った。
家庭環境はまぁ…最悪だった。今でも親の愛だとかそういった話はいまいちよくわからない。だから名前は気を使ってなのか、あまり自分の親の話をしない。でも、1つだけわかることは、名前が親の話をするときは決まってうれしそうに話す。その話を聞いているだけの俺もなぜか幸せな気分になるということだ。

「いつか…私の両親に会いに来てください。」
「お前の両親にか…?」
「はい!きっと尾形さんのこと、大好きになってくれると思うんです。」
「それは…お前からのプロポーズか?」
「プロポ…!?うわぁ!そんなつもりじゃ…」
「お前、気づいてなかったのか。」
「は…い…。」
「はははっ!」

顔を真っ赤にしてうつむく名前は何度も言うが本当に可愛いくてからかい甲斐がある。

「でも…いつか…尾形さんの…お嫁さんになれる日がきたら…いいな、とは思ってますよ!」

そう言って恥ずかしそうに笑う名前の顔が日の光を浴び、眩しく俺を照らす。

そうだ…。この笑顔が俺の欲しかった愛なのかもしれない。俺だけに向けられた無償の愛。

こいつだけは…離したくない、離してはいけない。無論、離すつもりもない。名前を強く抱きしめる。彼女は驚いたのか少し体を硬直させたが、すぐにそれに応えるように俺の背中に手を回す。

「尾形さん…」
「百之助と呼べ。」
「…百之助さん、愛しています。」
「俺もだ。名前、愛している。」

「百之助」と名前で呼ばれるとどこか照れくささを感じて、彼女の体を優しく引き離した。
すると彼女が俺の顔を優しく見つめながら言う。

「レンゲ草の花言葉って私の幸福っていうのもあるんですって。さっきお婆さんに教えてもらいました。」
「私の幸福か…」

間違いなく俺の幸福は名前だ。
そう思った瞬間、感じた事のない温かさが体を包む。彼女の滑らかな髪を揺らすように優しく光風が吹く。彼女の揺れる髪からはふんわりと春の香りがした。

「さて…帰りは急いだほうがいいな。」
「え?何で?」
「さっきの話、嘘じゃねぇだろ?」
「ん?さっきの話?」
「俺の嫁になりたいってやつ。」
「え…?」

さぁ、帰りに役所へ寄って婚姻届でももらってこようか、なぁ名前。