君だけのための若葉






街はいつのまにか夜明けていた。
笑いさんざめく声に溢れていた駅前は、新しい一日に向けて動き始めている。遊び疲れた俺と彼女と白石は、街の動きから取り残されたようにバーガーショップのモーニングセットにかぶりついていた。
お花見の名を借りた集まりは、夜風の冷たさに耐え切れず早々にただの飲み会となり、いつもと同じカラオケオールコースとなった。まだ少し残る余韻と頭の奥の眠気を消化させるように、俺たちは少し静かに徹夜明けの朝食を摂る。

「杉もっちゃあん。そろそろさぁ、俺の陰の働きを汲んでくれたっていいんじゃなぁい?」

彼女が席を外した隙を見て、不意に白石が真剣な目をした。咄嗟のことにどう返していいのかわからなくなった俺は、ハンバーガーの包み紙をくしゃくしゃと丸め、わずかに残っていたカフェオレを飲み干した。カップの底にたまっていた砂糖の甘さと白石の物言いたげな顔がなんだかだぶって居心地が悪い。

「おっと、俺今日のバイト昼番なんだよね。そろそろ行かないと。」
戻ってきた彼女に少しわざとらしく告げて白石は立ち上がった。
「え、そうだったの?ごめんね朝までつきあわせちゃって。」
「全然!俺こう見えてタフなんだから。また集まろうねぇ!」
上手くやんなよ、春なんだからさ。俺の肩口でそう囁くと、得意のウインクを残して白石は朝の街に消えていった。ムードメーカーを失った俺たちは沈黙を持て余す。手持ち無沙汰に耐えかねてカップを手にしたけれど中身はもう空っぽだ。

「とりあえず…帰ろっか。」
「…そうだね。杉元くんもありがとね。だいぶすっきりした、うん。」

彼女が落ち込んでるらしいよ、と教えてくれたのは白石だ。人伝てに恋愛沙汰で揉めてるとは聞いていたけれど、それを暴く気にはなれなかった。だけど少しでも気晴らしの時間をあげられたなら。せめてそれくらいはできたらいいなとこぼしたのを、さっき言われた通り白石が汲んで企画してくれたのだ。
本当ならばもう少し遊ぼうよと言いたい。だけどその台詞がこんなにも似合わない時間帯があるだろうか。人々がしかめっ面で改札に吸い込まれていく流れに、俺と彼女もまた呑み込まれていく。

ピーク時間帯の少し前とは言っても、電車はそこそこ混んでいた。ダークな色合いの群れの中で、遊び着姿の彼女と俺だけが浮いているような気がする。この先、もっと人が乗り込んでくる。今は腕が軽く触れるか触れないかくらいだけど、あと何駅か先のターミナルで密着度は増すだろう。まいったな。
電車は大きな川を渡っていく。河川敷の桜並木が、昨夜の風の冷たさが嘘のような暖かな日差しに揺れているのが見えた。

「まだ時間大丈夫?」
勇気を振り絞って聞こえるか聞こえないかの声で話しかける。
「桜が綺麗だからさ、降りてみない?」
顎で窓の向こうを指し示すと、彼女の頬がふわりと緩んだ。重苦しい通勤電車の中で、彼女だけが春の気配を纏っているように見えて、なんだか嬉しくなる。

朝の河川敷は人影がまばらだった。背後でカタンカタンと電車の通り過ぎていく音だけがしている。時折すれ違う犬の散歩に目を細めて微笑む彼女を盗み見ながら桜並木を歩いた。寒暖差の激しいここ数日のお陰で例年よりも永く見られるとTVで言ってたっけ。
「昨夜は結局ちゃんとお花見できなかったから…嬉しい。平日の朝のお花見なんて贅沢だね。」
来年の今頃はもう俺も彼女もさっきの通勤電車に揺られているのだろう。こうして一緒に桜を独り占めできるのはきっと今日が。咄嗟に白石の言葉が甦る。

「あ、あのさ、」
「ん?」

ひゅうと飛び込んできた川風が桜を大きく揺らした。満開の桜はたやすく花びらを周囲に降らす。文字通りの桜吹雪が彼女を包んだ。柔らかなショートボブが少し激しくなびいて、たくさんの花びらの髪飾りが彼女に舞い降りた。
可愛い。
心の中で呟いたはずの言葉は声に出てしまったらしい。またたく間に色白の頬が桜色に染まる。ふわりとたなびく白いスカートにも花びらはまとわりついて。本当に可愛い。

「もう少し、遊ばない?それで…よかったら、聞かせて?しんどかったこと。吐き出しちゃっても罰は当たらないと思うんだ。」
「ありがとう…でも、吐き出しちゃったら、杉元くんに嫌われちゃうよ。」

大丈夫だよ。ずっと傍で見てきたんだもん、君のこと。全部まるっとひっくるめて受け止めさせてよ。どんなことでも話してくれたら嬉しいんだよ俺は。
不意に彼女がつま先立ちに俺の髪に手を伸ばした。花びらをつまみ上げてふふと微笑む。

「優しいね、杉元くんは。」
甘えちゃおうかなぁと呟いて、手のひらから飛ばされていく花びらを見やる顔。彼方に消えていくそれを見つめる目は幾分すっきりしたかのようだ。
桜は散ってしまってもすぐに若葉は繁る。雨風から君を守ったり、木漏れ日を与えてあげられるような、そんな若葉になりたいと強く思った。

「あのね、」

ゆっくりと言葉を紡ぎ出した彼女のスカートをまた風が揺らして、名残の花びらを吹き飛ばしていく。彼女と俺の新しい一日が動き出した。