たとえばわたしがすごくかわいいとか、胸がでかいとか、足が長いとか、あとは話がおもしろいとか、えーと、友達が多いとか、あとは部活でエースだとか、とにかくそういう取り柄があったならよかったんだと思う。でもわたしにはそういうのない。それってつまりこの学校という閉鎖的な空間では始まる前から負けてるってことなんだ。そうでしょ、黒田くん。
「知らねーよ、なんだよそれ」
黒田くんが三角コーンをリヤカーに乗せて引きながら言う。体操着の袖を肩までまくって、首にはどこか外国のサッカーチームのタオルをかけている。黒田くんは自転車部だけど、サッカーも好きらしい。わたしの知らない選手の名前を、クラスの女の子たちと語り合って笑ってるのを見たことがある。
「そのタオルどこのチームのなの?ブラジル?」
「ちげーよ、レアル」
「れある…?」
「レアルマドリード」
「は、なにそれ、そんな国あったっけ?」
「スペインだろ」
「……?」
対するわたしはサッカーのことなんてほとんど知らないので、話を振ったはいいものの、とくに盛り上がることもなく途切れてしまった。黒田くんのタオルにはかっこいい王冠のマークがプリントされている。
「もしかして名字、サッカーってワールドカップしか見ねーだろ」
「はい、まぁ」
「スペインの国内にあるいろんなチームのうちのひとつ、これは」
汗を拭いたタオルをひらひらさせて言う。ふーん、と返事してみたけど、そもそもあんまり興味がなかったのでそれ以上なにも聞けなかった。黒田くんもそれを察したのか、なにも言ってこない。こういうとき、あのかわいい女の子たちはきっとここで話を広げるんだろうな。いつか見た光景と、そこにいた何人かの顔が浮かぶ。それを苦々しく思ってしまう時点で、なんか、自分に負け犬感があっていやだ。べつにあの子たちだって、ただ単に、サッカーに興味があって聞いてるだけかもしれないのに。
となりを歩く黒田くんを見る。体育準備委員、という謎の係になっているせいで、わたしと黒田くんは週一で体育のあと備品の整理をしなくてはいけない。毎回重いほうの荷物を持ってくれる黒田くんのお陰で、わたしは今日も野球ボールの入った小さなカゴをひとつ持っているだけだ。黒田くんは前髪をピンでとめて、エメラルドグリーンのださいハーフパンツを絶妙なかんじに腰履きしている。体操着のハーフパンツの色は学年ごとに決まっているんだけど、これは自信を持って言えるけどうちの学年のエメラルドグリーンがいちばんださい。なんなのこの妙に明るい色。でもそれも、黒田くんが細い体で着こなすとそこまで悪く見えないから不思議だ。
「あっちーなぁ」
「ほんと暑い〜、ムリ」
「いやお前よりオレの方が暑い、リヤカー引いてるぶん」
「え、ごめん、交代するよ」
「はは、うそうそ」
こんくらい部活に比べたら余裕、と言って、またタオルで汗を拭く。黒田くんの所属する自転車部は今年もイケメンが豊作、イケメンぞろいの伝統を持つバレー部バスケ部に追いつき追い越す勢いだということで、しょっちゅうガールズトークの話題に上がる。黒田くんの名前もあがる。夏の大会に応援に行こうって話す女の子たちが、いまからグループを作り始めている。
夏、かぁ。5月の晴れた空は、夏ではないけど、春と呼ぶには暑すぎる気候で、季節がどんどん前に進んでいくまさにその中にいるって感じがする。これで6月になって、そのあと梅雨があけたら、夏が来る。高校最後の夏が。
「名字は夏休み、なんか予定あんの」
「えっ、なにいきなり」
考えていたことと同じワードが出て来てびっくりした。黒田くんは「いや夏ももうすぐだなと思って」と何の気なしに言う。
「そういう黒田くんは予定入ってるの」
「オレ?オレらは夏っつったらインハイしかないから」
「あー、そっかあ。そうだよね」
「別に好きでやってるからいいんだけどさ、一回くらい男臭くない夏を過ごしてみたかったよな」
「まだわかんないじゃん。これから彼女とかできるかもだし」
「いや〜、ないだろ」
「今年の自転車部は去年に引き続きイケメンだってみんな言ってるし」
「ウソだ、オレ今年は去年と比べて華がないって言われたことあるぞ」
「ホントだって」
「東堂さんの代わりがいないって言われる」
「あー…東堂さんはしょうがないでしょ」
「だよな〜、あんなん求められても困る」
東堂先輩の代わりなんて、ふつうの男子高校生に求めるのが酷ってものだ。わたしは今年の自転車部、いいと思うけど。そう言ったら黒田くんが「つーかインハイメンバー顔で選んでるわけじゃねーんだから。アイドルじゃねーんだよ」とぶつぶつ突っ込みだした。そうですよね。でも女の子というのは、どうしてもそこが気になっちゃう生き物なんですよ黒田くん。
「ってオレの話じゃなくて。名字に聞いてんだよ」
「わたしはなにもないよ」
あまりの即答っぷりに、一瞬沈黙が流れた。そんなつもりじゃなかったけど、無意識に角のある返事になってしまった。黒田くんはちょっと黙ったあと、フォローするようにわたしを見る。
「まぁでもまだ5月だし、それこそわかんないよな」
「いや、ないよ。予定作る気もないし」
「お前なぁ、高校最後の夏休みそんなんでいいのかよ」
「黒田くんに言われたくないよ」
「は?」
ほんと、黒田くんには言われたくない。黒田くんとほんのちょっとでも一緒に遊べれば、それだけでわたしにとって最高の夏休みになるのに。いや、部活は応援してるけど。そもそもそんなこと言う権利、わたしにはないんだけど。
高校最後の夏休みなのに、なんて1日100万回くらい自分で思ってますから。最後だっていうのに距離は縮まるどころか、黒田くんが自転車部のインハイメンバーに選ばれたせいでむしろ離れていってる気がする。3年生になってから、急にいろんな女の子たちが黒田くんに話しかけるようになったから。こういうのかわいくないかもしんないけど、その子たちと同じように夏の大会に行く予定を立てるのがなんかシャクなんです、わたしは。
それに、こんなに女の子がくるなら、わたしなんて紛れちゃうだろうし。すでに学校でも紛れてるし。わたしは黒田くんが活躍する前から、黒田くんのこと見てたのに。
「かわいくもないし胸も小さいし膝下短いし取り柄もないし、なんかもーダメだわたし」
「さっきも聞いた、それ」
「話もおもしろくないし」
「別にそんなことないだろ」
「サッカーもよく知らないし」
あ、口が滑った。やばい、と思ったけど、黒田くんは特に何の反応もなくリヤカーを引いていてホッとした。まぁ、わたしの2年間ほどあたためてる思いにも気づかないんですもんね黒田くんは。体育準備委員とかいうわけわかんない先生のパシリみたいな仕事も、黒田くんと一緒にいれるからずっとやってるのに。
「オレは、なんかサッカーってかっこいい気がするから見てるだけ。その程度の奴なの、オレは」
黒田くんは何気ない感じでそう言ったけど、なんか自分を悪く言ってるように聞こえたので、わたしはどうすればいいか分からなくなってしまった。それに、いま何か言ったらまた口を滑らせそうだったから、何も言わないで黙っていた。
かっこいい気がするから見てるだけ、なんて言うけど、黒田くん実際サッカーうまいし、バスケも、野球もうまいの知ってる。それってすごいことだと思うんだけど、でもそういうの、黒田くんは全部やめて自転車一本にしたんだっけ。去年、自転車部のインハイメンバーに1年生が初めて選ばれたってニュースになってたのは知ってる。そして選ばれなかったのが、黒田くんだってことも。
「名字、予定ないならとりあえず夏の大会見に来いよ。おもしろいから」
インハイな、と黒田くんが言いなおした。それくらいわかるよ。わたしが言うと、黒田くんはへへっとまた笑った。今年はもちろん、黒田くんも出るのだ。インハイかぁ。どうしようかなぁ。さっきまで行きたくないとか思ってたけど、こんなこと言われたらたぶん結局行くんだろうなぁわたしは。そのときちょうど涼しい風が吹いて、黒田くんの色素の薄い髪が揺れた。今すでにけっこう暑いのに、8月の真夏に1日中自転車で走るって、めちゃくちゃ暑そうだなぁ。そんな関係あるようなないようなことを考える。
「大会って、どこでやるの」
「今年は日光」
「(日光…)」
「…栃木県」
「えっ?遠くない?去年は箱根だったじゃん」
「開催地は毎年変わんの。今年は栃木」
全国から集まるんだから、うちはかなり近いほうだろ。黒田くんがそう言うんだけどわたしは日光がどのへんだったかいまいち思い出せなくて、そっか、って適当な返事をした。お前ほんとに見に来る気あんのかよ、と黒田くんが呆れて言うのと同時に、昼休みがはじまるチャイムが鳴った。
ひるのふね