願わくば


 ゆっくりと本のページをめくりながら小説を読み進めて行けば、少年が魔法を使う場面が出て来る。

 その度に、もしも魔法が使えたら、自分も月に行けるだろうかと思うのだ。

 そうすれば、彼女が月への帰り道を捜している間も、安心して見守っていられるのに。


 いつからか、眠っている義妹を見ながら、ずっとこの世界に入ればいいのにと思うようになった。

 身体が透けているのを目撃する度、月に帰らないでと心の中で叫ぶ。

 それを皐に言った事はない。

 何せ彼女は、自分の身体が消えそうになっている事実を知らないのだ。


 そんな事を思っていれば、携帯電話に着信が入る。

 電話の相手はディスプレイに出ている名前を見ずとも、優作には分かっていた。


「どうかしたのかい? 皐」

『……急に、ゴメンね。優兄……その、仕事は大丈夫?』


 久しく聞いていない、義妹の声。

 いつだって他人の顔色を見ながら行動する彼女は、妻や息子に比べて自己主張が少ない。


「構わないよ。丁度よく仕事も終わって、休憩していたところだ」

『そっか……』


 ここで仕事があるなどと言ってしまえば、繋がった電話はすぐに切れてしまう。

 タイミングよく終わった仕事に、安堵した。

 しかし、ここで仕事が終わっていなかったとしても仕事と義妹なら義妹を取るので、何ら問題はない。


「何か、あったのかな?」

『有希姉に、ロスに来ないかって……』


 その言葉を聞き、彼女が何のために優作へと電話をしてきたのか分かった。


「……皐」

『……うん』

「皐は、どうしたいんだい?」


 先日、息子からFBIの彼が工藤邸に居候をする事になったと連絡が入った。

 どうも彼は、息子に騙し討ちに近い状態で工藤邸に住む事になったらしい。

 流石に、皐にはそんな事を言えるはずもなく、彼も息子も彼女には言ってないそうだ。


――もう!! 一つ屋根の下で年頃の男女が二人で住む事になるのよ、新ちゃんたら何を考えてるのかしら!!


 それを聞いた妻が、かなり激怒していたのを考えると、FBIの彼を工藤邸に居候させたのは、コナンが皐をロスに行くよう仕向ける策だったのだろう。

 これが別の他人であれば、有希子は黄色い悲鳴を上げて喜んでいるのだろうが、相手が皐となれば話は違ってくる。

 間違いが起こってしまう事も心配だが、彼に皐の特異体質がバレてしまう可能性がある。

 そうなれば一大事だと、有希子は動いたのだろう。


 近い内に皐から連絡が入るだろうと思ったが、それが今になるとは思わなかった。


『……でも、新一くん達の迷惑になるなら』


 ただ、ここに息子がいるのなら、一言。

 もっと上手いやりようがあっただろうと言ってやりたい。


 有希子がコナンに乗せられている事に気がついているか分からないが、皐はこれがコナンの仕業だと確実に気づいている。

 そうでなければ、わざわざこうして優作に相談を持ちかけてくるはずもない。


『だったらやっぱり、ロスに行った方がいいかなって……』


 皐の声を聞きながら、優作は推理が得意なら、事件だけでなく身内の考える事も推理出来る様になればいいと思う。

 だが、コナンにとって、皐は守るべき人なのだ。

 黙っていれば気づかないと思っているのだろう。


 しかし、そこは考えが甘いと言うべきか。

 血は繋がっていなくとも、皐は優作の義妹である。

 しかも、常に他人の顔色を見ながら動く子なのだ。

 恐らく洞察力だけなら、コナンのそれと匹敵するほどの力は持っている。

 居候をしている彼の事も、FBIとまでは分かっていないだろうが、例の組織に関連している事は気づいているはずだ。


「皐」


 果たして、息子はそれに気づいているのか。

 否、そもそも気づいているのなら、こんなに分かりやすい茶番が起きるはずもない。

 誰かに隠し事をするのは、息子よりも義妹の方が一枚上手だったようだ。


「君は君だよ。他人がどう言おうと関係ない。君がどうしたいか、私に言ってごらん」


 皐の事に関して言えば、実のところ、優作よりも有希子とコナンの方が過保護度は上だ。

 新一がコナンになった後、彼女が工藤邸に残ると言った時、最後まで反対していたのはその二人なのだから。


 優作自身も賛成か反対かと言われれば、それは勿論、反対である。

 しかし、いずれ月に帰ってしまう事を考えると、少しでも皐自身がやりたいと言っている事を、好きなようにやらせてやりたいのだ。

 あれも駄目、これも駄目では、本当に月へと帰ってしまう。


『…………この家に、居たい』


 少しでも、やりたい事をやらせてやれば、この世界を選んでくれるかもしれない。

 工藤邸に居続ける事。

 それが、この世界に居続ける理由になるかもしれない。


「なら、そうすればいい。後は私が何とかしておくから、皐は何も心配しなくていいさ」


 そう考えれば、危険であろうが、心配であろうが、彼女の願いを叶えてやりたいと思うのだ。

 月への帰り道を捜している皐の姿を見る度、その思いは強くなるばかり。

 FBIの彼には悪いが、彼か義妹を選べと言うのであれば、確実に優作は義妹を選ぶ。

 だから、彼が巻き込まれようとも、優作は義妹の“お願い”を叶える。

 コナンからの報告で、徐々に回数と時間が増えている事を考えれば、残された時間も少ない。

 ならば、尚更だった。


『でも……』

「皐。私は嬉しいんだ。君が私を頼ってきてくれる事がね」

『……うん』


 だからこそ、戸惑う義妹の背中を優作は押した。


「また、何かあったらいつでも言ってくれればいい。君のお願いなら、何でも叶えるよ」


 守るばかりでは、彼女は言葉を直ぐに呑み込んでしまう。

 それでは、ただでさえ欲の少ない彼女は、更に沈黙してしまう。


『うん……優兄』

「何だい?」


 それではいけない。

 それでは、いつかいなくなってしまう。

 自分は彼らの重荷になっているのだと思って、この世界から消えてしまう。


『ありがとう』

「ああ。どういたしまして」


 だから、たった一つの我儘でも、優作は叶えてやりたいと思うのだ。

 残された時間が、少しでも長く続けばいい。

 そう、願ってやまないから。


願わくば
(君が僕らを選びますように)

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