水面下の恋愛戦線
リクエスト小説
時間軸は『好きって言ってもいいの?』の直後
皐には理解できなかった。
「すみません。沖矢さん……今、なんて言いました?」
喉に紅茶を詰まらせ、ケホケホと咳き込む皐は、自分が聞き間違えたのだと思う事にした。
「ええ、ですから。皐さんと交際をしてもよろしいか、工藤さんにお尋ねしたんです」
聞き間違えではなかった。
「あの……ちなみに、理由をお尋ねしても?」
「成程……居候とは言え、今の理由では、そろそろ時期的にも厳しくなってくる……つまり、周りの目を欺くための関係として一番自然なのが、この家に住む皐と、男女としての交際を始める事だと、君は考えているのかな?」
皐が沖矢に向けて問うと、なぜか早口に優作が答えた。
優作のかけている眼鏡が逆光を受けたように光り、その雰囲気も少々――いや、かなり怖い。
「……はい。まあ、そうなりますが……皐さんはどうですか?」
「私は……構いませんが……」
沖矢に尋ねられ、そういった理由があるのなら構わないと意思表示をした後、そっと沈黙をしている工藤夫妻に視線を向けた。
「本人同士がそれを望むのであれば、私は構わないよ」
「そうよね〜。皐ちゃんも後数年したら三十になるわけだし、別にいいんじゃないかしら? あら? そうなると、沖矢くんに有希姉って呼んでもらえるようになるのねぇ!!」
しかし、皐が想像していた反応とは別の反応を返され、彼女は首を傾げる。
――私の考えすぎ、かな……?
優作はともかく、有希子の方はもっと感情的になるかと思いきや、そうでもなかったので、ホッと息を吐く。
まぁ、沖矢の立場を考えれば、彼も本気で言ったわけではないだろう。カモフラージュとしての付き合いになるのだろうから、そこまで目くじらをたてるわけもないかと、皐は思う事にした。
「有希子。ロスへ帰るのは、明日の便にするが、構わないかい?」
「そう? あっ、なら皐ちゃんとショッピングに行ってきてもいいかしら?」
優作の提案に瞳を輝かせた有希子は、そのまま皐に期待の眼差しを向ける。
「うん。いいよ」
「ホントー!? ねぇ、だったら少し遠出しない? 皐ちゃんとショッピングだなんて、久しぶりだもの!! 私、いっぱい買ってあげたい物があるのよー!!」
それに苦笑しながら皐が承諾すれば、有希子は早速と言わんばかりに皐の背を押しながら、出かける準備をしに行った。
「えっちょっ!? 分かった。有希姉、分かったから!! そんな、押さな……」
バタンッ! と音が閉まり、部屋から出て行った女性二人。
残された男性の二人は、静かに紅茶を飲んでいた。
「……よろしいのですか?」
「それは一体、何についてかな?」
問いかける沖矢に、優作は問いで返す。
「あれだけ大切にしている義妹さんを巻き込む事について……ですかね」
「本音を言えば、我々は今すぐにでもあの子をこの家から遠ざけたいが……ここを離れる事を、あの子は酷く怖がっている。その理由は今も分からないが、ここにいる事であの子がこの世界に留まれるのであれば、多少の危険や、恋人の有無については目をつぶるさ」
飲んでいた紅茶のカップを置いた優作は、静かに笑った。
「それに、仮にあの子へ危機が迫ったとすれば、君は勿論。周りの人間が黙っているとは想えない。無論、私や有希子、そして……私の息子も、ね……」
一瞬、優作の笑みが冷え込むも、それはすぐに隠れてしまう。
「ええ、ご心配なく。彼女は必ず、守り通しますから」
「そう言ってくれると助かるよ、沖矢くん」
互いがにこやかに会話をしているのだが、心なしか部屋の温度が低い。
「ああ、そうでした工藤さん。紅茶のお替りはいかがですか?」
「では、もう一杯お願いしようかな?」
「分かりました。それでは、少々お待ちください」
ティーカップとポットをトレイに乗せ、沖矢はキッチンスペースの方へと向かう。丁度、優作は沖矢に背を向けており、沖矢は彼に気づかれないよう、小さく息をついた。
――……中々に、手強いな。
一見、皐との交際をすんなり認めてくれたように見えるやり取りだったが、優作も有希子も一切“赤井秀一”の名を出さなかった。それはつまり、“沖矢昴”との交際は認めるが、それ以外は認めていないと言う事になる。
文字通り、このまま違和感なく生活できる程度の仲は認めてもらえるものの、それ以上の事は認めない。だからこそ、優作は先手を取り、皐に“便宜上の恋人”として沖矢を認識させた。
そうする事で、皐にはこの関係が、赤井がこの任務を完了するまでの形式的な関係としてインプットされた。その上、万が一にでもこの関係を続ける事で皐が悲しむような展開になれば、たとえ協力者の立場であろうと容赦はしないとまで脅された事になる。
――そう簡単に、彼女を手放しはしない……と言う事か。
これで仮に赤井から熱烈なアプローチをかけられたとしても、これらは全て演技として皐に認識される。演技であって、本心ではないと――
皐は協力者であっても、プロではない。恋人だからと単純で強引なアプローチをかければ、本心なのかそうでないのかが分からず、逆に彼女を不安がらせる事になるだろう。
――これで完全に先手を打たれたわけだが……
だからどうした。こちらもそれで諦めきれるような性格はしていない。
消えかける彼女に手を伸ばしたあの時、消える事を選んだ彼女を引き止め、小さな身体を抱き締めた。彼女の温もりを感じた瞬間、どうしよもないほどの愛おしさが生まれたのだ。
あの時、赤井は彼女に手を伸ばし、彼女は赤井を選んだ。周りが邪魔をしようと、その距離が遠かろうと、赤井に諦めると言う選択肢は、既にない。
――その勝負、受けて立つ。
沖矢の眼鏡が妖しく光り、その口元には不敵な笑みが含まれていた。
水面下の恋愛戦線
(勝利の女神はどちらに微笑むのか)
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