恋ごころと胸のいたみ消えたのはどちら?


 物語を終え、渡米をしてから数年。ようやくアメリカの生活にも慣れた皐の薬指には、シンプルな銀色の指輪が輝いていた。


「皐ちゃん、コッチの支度は出来たわよ」

「はーい」


 キッチンで紅茶を入れている皐に、ダイニングの方から声をかける有希子。

 皐が日本からワシントンに住居を移してからは、今までより距離が近くなった分、二人で頻繁にお茶会をするようになった。


「うふふっ」


 準備し終わり、二人でお茶を飲み始めると、有希子が小さく笑い始める。


「どうしたの? 有希姉」

「皐ちゃんが元気になって良かったなーって思ったのよ。籍を入れてからかなり時間が経っちゃったけど、この間ようやく式も終えたでしょう? こうして何事も心配せずに皐ちゃんとお茶できるのが、何だか嬉しくって」


 有希子の言葉に目を瞬かせる皐。しかし、すぐに微笑み、皐は黙って有希子の話を聞き続ける。


「通院もかなり減って、元の体形にも戻ったから、もう心配いらないかしら?」

「んー……どうだろう。最近、身体がだるくて、嘔吐まではいかないけど、吐き気もあるから油断はしない方がいいみたい。昨日電話して今週末に予約を取ったから、何か分かったら連絡するね」

「あら、そうなの? なら無理はしない方がいいわね」

「うん。しばらくは大人しくしてる」


 皐と有希子がのんびりとお茶を飲み始めたその時、前触れもなく皐が苦しみ出した。


「っ……」

「皐ちゃん!?」


 対面に座っていた有希子が立ち上がるも、皐の表情は青くなるばかり。当の本人は口元を抑え、返事がない。


「皐ちゃん、しっかりして!! 皐!!」


 長閑な昼下がり。静かな住宅街に、有希子の悲鳴がコダマした。





 事の発端はジョディからの電話だった。


『今、有希子さんから連絡があって、皐が倒れて病院に運ばれたらしいのよ』


 連絡を受けた当時、現場にいた赤井。そのまま彼は一緒にいた同僚に後始末を押し付け、皐が運ばれたという病院に向かっていた。

 焦る気持ちを抑えて病院へと向かえば、待合の席に座る皐の姿があった。


「あっ、秀一さん」


 こちらに気がついた皐は、数年前よりも柔らかく、明るい笑顔を向けてくる。急いで彼女に近づき、空いている隣の椅子に座れば、皐は申し訳なさそうな表情をした。


「倒れたと聞いたが……ここにいて問題はないのか?」

「うん。先生にも、もう大丈夫だからって言われて……今、有希姉が会計してる」

「そうか……」


 焦りが残る思考を落ち着けるため、赤井は大きく息をついた。

 数年前と違い、皐は健康体に近づいている。ここ最近は身体が消える事もなく、順調に回復していた。最近は体調が優れないようだったが、数年前のアレに比べれば可愛いモノで、赤井も正直、油断していたのかもしれない。


「何か原因はあったか?」

「うん。お腹に赤ちゃん出来たから、つわりが原因だろうって言ってたよ」

「そうか……」


 お腹に赤ん坊が出来てのつわりであれば、確かにと納得出来た。

 それから赤井と皐の間に沈黙が流れる。


「…………赤ん坊が出来て」

「うん」

「つわりで倒れた」

「うん」

「……」


 赤井が無言で見つめると、無駄に眩しい笑顔で皐が返す。


「どうも私、妊娠したみたい」


 重大な報告を、軽く話す皐。

 それがどうしてか、名案を思い付いたボウヤの顔とダブって見えた。


「……」


 何も言わずに、赤井は天井を見上げる。


「どうかしたの?」

「……いや、良くやったと褒めるべきか、俺を振り回すなと怒るべきか迷うな」

「怒るのはちょっと……結構、頑張ったから……」


 苦笑する皐に、赤井は深く息をついた。

 彼女が吹っ切れた事で、あの頃と比べて距離が近くなった。元々の性格が出てきたのか、日に日に強かになっていく彼女に振り回される事も多々ある。今では義姉の有希子といい勝負になってきている事に、果たして皐は気がついているだろうか。


「許してくれる?」


 上げた視線を落とせば、上目使いをしている皐。惚れた弱味か、正直な話とても可愛い。

 だがしかし、口元が笑っている。


「……嫌だ」


 彼女の頭に手をのせ、軽くグシャグシャと髪を乱した。されている彼女が「ちょっやめ! もぉー!!」と悲鳴をあげるが、焦らされたこちらとしては、このくらいの仕返しをしても構わないだろう。ああだって、この緩みきった幸せな顔を彼女に見られるのは、少し恥ずかしいから。


「もう降参! 参りました! からかってすみません!!」


 謝罪を聞いてから手を止め、乱れきった髪を直そうとしている彼女を胸に抱き寄せる。


「良くやったな」

「うん」


 耳元でそう囁いてやれば、皐は幸せそうに返事をした。


恋ごころと胸のいたみ消えたのはどちら?
(両方が消えた胸の中で、愛しさと幸せが生まれた)

あとがき→


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