「巫条おはよう」

学校の校門に入るよりすこし前の道で衛宮くんに会った。
もうすぐ春だと言うのに雪でも降りそうな空の下、彼はマフラーを巻いて制服のポケットに手を差し込んでいた。

「おはよう、衛宮くん」

声がひっくり返らないように慎重に返事を返す。
彼の名を呼ぶと言う行為だけで痺れそうなほど幸福だ。
名前が呼ばれたその瞬間だけが人生だったらいいのに。

今日は寒いなと言う彼に本当だねと返す。
教室まで行かなくても学校に着いた途端彼の周りには人が集まるだろう。
神様がくれたほんの僅かな時間。
なにか話したいのに、話題が見つけられない。
手持ち無沙汰で、冷えた両手を合わせて擦り合わせる。

「これやるよ」

ポケットから出された手に握られていたのは缶コーヒーだった。
なるほどだからポケットに手を入れていたのか。

「あったかい」

受け取って握ると冷えた手には火傷しそうなほど熱く感じる。
胸からなにか溢れそうになるの押しとどめながらありがとうとお礼を口にする。
衛宮くんは、いやと口ごもりながら前を向いて歩きはじめた。

一歩だけ下がったところでついていく。
彼は誰にでも優しかった。
きっと困ってる人に手を差し伸べずには居られなかったんだろう。
その大勢のうちのひとりだったとしても、私には恋だった。
彼の居るところは明るくて眩しいくらいだった。
私には遠くて、未来にいるように見えた。

どんな事があっても、彼が教えてくれたこの気持ちを私は守りたい。









彼女たちが誰を選ぶのか興味があった。
無数の選択肢から彼女と彼は未来に繋がるひとすじを必ずつかみ取る。
立香ちゃんから手渡されたメモを頼りに職員名簿からデータを抽出する。
"巫条霧絵"
入社時に作成されたであろう個人情報からでは彼女の人柄まではわからない。
ただ引っかかるのは特異点Fでもあった冬木市出身だと言うところか。
なにかと縁の深い土地らしい。
時計塔にも一時身を置いているようだかが特に目立った功績はない。

「あとは会ってみてのお楽しみ、かな」

データベースを閉じるとちょうど来訪者があった。

「巫条霧絵です。Dr.アーキマン氏とお約束をしているのですが」
「はじめまして、かな?そんなに畏まらなくていいよ。みんなはそうだな、Dr.ロマンなんて呼んでるよ」

彼女は面食らったような表情をしてから格好を崩した。

「それではロマニ先生とお呼びしてもいいですか?」
「うん、呼びやすい呼び方で呼んで。それで早速本題に入るんだけど、どこまで聞いてる?」

彼女は椅子に腰を降ろしたあとおずおずと答えにくそうに言った。

「あの申し訳ないのですが、ここに来るようにとしか聞いていません」
「あ、そうなの?てっきり立香ちゃんあたりが説明してるんだと思ったんだけどな」

さらに縮こまる彼女に慌てて付け加える。

「ごめん、責めるつもりはないんだ。実は頼みたい事があって…。もちろん君には断る権利がある。これから話せる限りの情報を伝えるから考えてみてくれる?ただ、藤丸くんたちからも君にお願いしたいって事だから前向きに考えてくれたら嬉しい」

すこし狡い手を使った。
彼女の瞳に浮かぶのは不安と緊張と言ったところか。
業務内容の間に関係のない質問を挟みながら彼女の反応を観察する。
何点か気になるストレス反応が出ていたけれど、許容範囲内だ。
敵である可能性はゼロではないが、それは誰も同じだろう。
むしろ身の潔白を完全に証明できる方が怪しい。
そんなのまるで疑われた時のために用意した情報だ。

「と、こんなものかな?契約サーヴァントが増えちゃってねデータでの観測はしているんだけど、チェックする人がいない状況なんだ。それに、人間は顔を合わせて情報の交換をするのが一番だと思うんだ」

僕たちの身体は処理できない程の情報を瞬時に拾ってくる。

「毎日顔を会わせる方が異変に気付きやすいと思うんだけど、そこは受け持ってもらう人数にもよるかな…。ここまででなにか質問とかある?」

「まだ何が分からないのか分からない状況なのですが、今後どなたの指示で動けば?」
「チームとして君の同僚に相当する奴らは何人かいるんだけど、多分教育担当としては向かないから直接僕に色々聞いてもらえれば。オーダー中はそっちに掛り切りになっちゃうけど、チャットはいつでも開いておくし」
「…。至らない点があるかと思いますが精一杯頑張りますので、どうぞよろしくお願いします」

一度開きかけた口を噤んでから、彼女は右手を差し出した。

「良かった。断られたらどうしようかと思ってたんだ」
「そんな選択肢あるようには思えなかったですよ」

握手を交わしながら彼女はすこし拗ねたような口ぶりで言った。
その姿が女学生のようでくすぐったい気持ちになった。

「だって、君に断られたら立香ちゃんになんて言われるか……!」

思わず力を込めて言ってしまったせいで彼女がくすくすと笑っている。

「とりあえず、初期メンバーやキャスター系の無難な……無難かな?比較的話が通じる……通じるか……?えっと、まあこの辺のサーヴァントを担当して貰おうかなって思ってるんだけど」
「なんだか、不穏な台詞が聞こえた気がするのは気のせいですか」

ひとつのモニターを見るために肩を寄せあう。
複数のウィンドウを開いて説明をしながら彼女の表情を伺う。
横髪を耳にかける白い指先を目で追って、緩く弧を描いた輪郭から薄く色づいた唇で視線が止まる。
(いやいやいやいや、マギ☆マリ一筋だからねボクは!!!)
英霊たちの真名・パラメーターが次々と表示されてる。

「とりあえず、君の閲覧権限のレベルを上げて奥から必要に応じてアクセスしてくれたらいいよ。」

彼女の身体が震えて瞳の色が爆ぜた気がした。

「ど、どうかした?!」
「いえ、ちょっと眩暈が……」

強く瞳を抑える彼女の肩を引き寄せてその覆いを外す。
ひらかれた目に揺れる色はない。

「大丈夫そうだね」
「はい。すみません」

再び伏せられた瞼にさっと朱色が走ったのをみて慌てて身体を離した。

「ええと、それで実際の業務は診察室を使ってもらうかサーヴァントが居るところに出向いて貰う事になるんだけど、大丈夫かな?」
「承知しました」
「……」

赤くなった顔のまま頷く彼女に、こちらの体温も中々下がらない。
しどろもどろになりながら必要な手続きを終わらせ彼女の背中を見送る。

「はぁ」

座席にずるずると寄りかかりながら、息を吐く。

焼却された未来、自分の過失、他人に背負わせた責任、生きれば生きるほど後悔が足を引っ張ってくる。

それでも足を止める事だけは選べない。

最後には最良な幕引きがありますように。