一年前のあの日

この場所で

私は





「菊地原くーん、でておいでー」

学校の図書室はいつも人影が少ない。

この学校の生徒が不真面目なのではなくて、単純に教室から遠い特別棟にあるのが原因だ、と私は睨んでいる。

私も本は好きだけど、来る時にめんどくさいなーと思ってしまう。

「しろーくーん、こわくないよー」

菊地原くんは人の少ないところが好きみたいで、よくここら辺で見かける。

今日もわたしはクラスメイトから託されたプリントを彼に渡すべくここまで来たのだ。

ついでにいくつか本も借りていこう。

名前を呼びながら歩くが、返事はない。
今日はもう学校にはいないのかもしれないな。

「きくちはらしろーくーん」

机の下を覗いていたら、勉強をしていた上級生のお姉さんにくすりと笑われてしまった。

菊地原くんが猫みたいなので、つい変なところを探してしまった。

なんだか恥ずかしい。

「ん?菊地原?」

本のぎっしり詰まった背の高い棚の間から、男の子がひょこっと頭を突き出してきた。

「あ、う、歌川くん…」

ぽつりと尻すぼみの声が図書室の中に吸い込まれて消えた。

私のことを覚えててくれたのか、
目が合った瞬間に気まずそうに歌川くんが笑った。

このなんとも言えないずっしりとした空気は、
私が相手の事も考えずに自分の好意をぽろりと漏らしてしまったのが原因なので、
気に掛けてくれる歌川くんには申し訳ない。

「なんか久しぶりだな、元気か?」

歌川くんは優しい。

ほぼ一年前に聞いたきりの声に、つい胸が高鳴ってしまう。

落ち着いて、しっかりした芯のある声色が好きだ。

「うん、元気だよ。
歌川くんは菊地原くんと仲良いの?」

「あー、ボーダーで同じチームなんだ」

「そっか、ボーダー仲間か」

しまった、また気まずい空気になってしまった。

ボーダーを理由に振って振られたのをふたりで思い出してしまったんだと思う。

私は歌川くんがまだ好きで、
振られた事をそんなに気にしていないんだけど、たぶん、それは言っちゃいけないことなんだろうな。

「菊地原くんに渡すプリントを預かってたんだけど、ここにはいなかったみたい」

えへへ、と笑う。いくらか空気が軽くなる。

「俺これから菊地原に会うから、代わりに渡しておこうか?」

歌川くんの目が真っ直ぐ届く。

同級生の男の子達とは違った、静かで強い目が好きだ。


「え、本当?これ急いで渡したかったから、頼んでもいいかな?」





一年前クラスメイトの女の子を静かな図書室で振ったことがある。

目立つタイプではないので、ボーダーと言えども告白なんてはじめてだった。

そのクラスメイトは教室でも本を読んでたので、本が好きなんだろう。

あと、あんまり騒ぐタイプじゃない、それくらいことのしか覚えていなかった。

その時はボーダーと学業の両立を言い訳にお断りをした。

本心は女の子と一緒にいるなんて、めんどくさそう…である。

彼女は、あまり返事に期待してなかったのかちょっと眉を下げただけでその話は終わりになった。

二、三会話をして別れた。
ただそれだけの思い出である。

むしろ、あっさりした告白の幕引きに、こっちの方がなんだか気になってつい目で追うようになってしまったのは秘密だ。

それもクラスが離れてしまってからは、なくなっていたけれど。

その本人とまた図書室で会うとは思わなかった。

しかも、彼女が女の子よりめんどくさい性格の持ち主と友達だと言うサプライズつきだ。

いま彼女は図書室の机に向かって、プリントに添えるメッセージを猫の形の付箋に書いている途中だ。

彼女が手を動かすたびに、細い黒い髪がゆらゆらと揺れる。

ちらりと盗み見ると少し癖のある字が、丁寧に書かれていた。


付箋つきのプリントを1枚クリアファイルに入れて預かり、図書室で別れる。

「歌川くんっ
ボーダーがんばってね」

彼女が西日に照らされて、ぼんやりとオレンジ色に光っている。
邪心のないきれいな笑顔だった。




隊室に入るともう菊地原がいた。
後から来た俺にじろりと一瞥だけして何も言わない。

「菊地原友達いたんだな」

余計な事を言ってクリアファイルごとプリントを渡す。

「霧絵と会ったの?」

はあ?と言わんばかりの視線は、プリントの付箋を読んで納得がいったのか、いまはめんどくさそうな表情になっている。

「まあ、たまたま」

躊躇せず名前を呼んだことにどきりとしながら、返事を返す。

「ふーん」

心拍数が上がってしまったのが聞こえたのか何か言いたげな顔で見てくるので、居た堪れない。
そう言うことじゃないんだ、たぶん。
心の中で言い訳する。

「霧絵ウザいし、ばかだよ」

2つの貶める言葉で彼女を表して、付箋を見せてくる。

菊地原くんへ
次の授業で提出しないと大変な事になっちゃうプリントだよ
わからないところあったら聞いてね!
霧絵

「ちなみに霧絵数学赤点取るほど苦手だから

歌川教えてあげれば?」


頭の中で、茜色の笑顔がスローモーションのように流れていった。