オレの姉ちゃんは足が早い。……本当はオレの、じゃないんだけど。

 いつもの土曜日だったら朝ごはんもそこそこに本部に行って模擬戦をするか隊室へ行くかするのだけれど、今日は姉ちゃんが出掛けると言うので着替えて鏡を見る。普段通り母さんが買ってきた服を着た自分が写っている。なんとなく子供っぽいかなと思って上着を羽織ることにした。あんまり変わらないだろうけど。
 そわそわと落ち着かない気持ちのまま朝ごはんを食べたがまだ姉ちゃんは起きてこない。あまりにも手持ち無沙汰なので、もう姉の事は放っておいてボーダーに行こうかなと思っていると、姉の部屋からばたばたと足音が聞こえてきた。

「わ〜ん寝坊した〜っ!!駿ごめん」

 何で起こしてくれなかったのかと言う姉ちゃんの恨みがましい声に呆れて振り向くと、キャミソール一枚と足がほぼ丸出しの短パン姿の姉がいた。最早テロだと思う。思春期の弟がいることを完全に忘れている格好だ。

「朝ごはん冷蔵庫」
つっけんどんでそれだけ言うと彼女は選手宣誓をするみたいに言った。
「三十分で支度する!!」

オレの小さな怒りは本人に伝わらない。




「迅が今日は出掛けても大丈夫だって言ってたよ。でもさ、ちょっと未来視てもらっただけなのに、お土産買って来いって図々しくない?」
頰を膨らます姉に「やっぱり迅さんと来れば良かったんじゃないの?」とチクチクした感想が喉元まで出る。それをどうにか飲み下すと、代わりに「遊真先輩たちのも買ってよ」とねだる。
「ん?玉狛だったんだ。通りで知らないわけだ」
「あ〜オレも迅さんの後輩になりたい」
「別に所属が違ったって後輩でしょ」

 たわいもないことを喋りながらたくさん電車に揺られていると、お昼前には目的地に着く事ができた。中華街はカップルも多かったが、大人から子どもまでたくさんいて姉弟でいてもそう浮かなそうでほっとした。ちらりと隣を歩く姉を盗み見るといつになく機嫌が良さそうだった。姉は朝から楽しそうだったが、オレはいまいち姉の目的がわからずどう振る舞ったらいいか分からない。
 中華街って姉弟で来る所なのだろうか?いや、デートだと言われても姉の手を引く事など出来ないのだけれど。

 そんな杞憂を余所に「色々食べたいから食べ歩きしながら、みんなのお土産を買うところを探そう!」と姉が立てたプランに則り中華街をふらふらする。コンビニでは見ないサイズの大きな肉汁が溢れる肉まんとか、熱くて穴を開けてから黒酢をたくさんかけて食べる小籠包とか、何故か屋台で売ってる胡麻団子を並んでは買って姉が写真を撮ってふたりで分けて食べるのは案外楽しかった。
 ふと、遊真先輩はこうゆうの食べたことないんじゃないかなと思って姉に話すとそれなら玉狛のお土産はこれにしようと冷凍の小籠包がたくさん入ったものを買うことにした。陽太郎にはちょっと難易度高いかもね〜と姉が言うので、陽太郎が火傷して泣いてる未来が容易に想像出来たのでちょっと笑った。オレにも出来る未来視だ。
 なぜかそこら中にある唐辛子のストラップを見てパンダの被り物被って写真を撮った。いい感じに撮れたので隊のみんなに見せよう。現在スカウトに行っている隊のメンバーに送る写真を撮っていると、「駿はボーダー楽しそうでいいね」と姉ちゃんが寂しそうに笑った。なんでそんな表情をするのかわからなくて「姉ちゃんも隊に入ればいいのに」と返す。ただし、羨ましいから玉狛以外で。
「もうちょっと強くなったね」
と言った姉さんが、ことごとく彼女へ向けられた隊への誘いをにべもなく断っているのは風の噂で聞いた。防衛任務は積極的に入る癖に、いまだに他人つるんでいるのを見る事がない。話し掛けられても二三言葉を交わすとすぅっとその場を離れてしまう。その様子と任務中の特徴のある動きのせいで変なあだ名をつけられている。彼女の事をみんなは影で「脱兎」と呼んだ。
 姉さんは何かに追われる様に警戒区域を走り、走るついでに敵を倒す。あんな風に走る姿を見るたびに姉さんの気持ちがわかるような全然わからないような気持ちになる。

 家族にはジャスミン茶を買って帰ろうと言う姉について、お茶屋さんに入った。色々なお茶が透明のビニールに包まれて売られている。見た事ない漢字の名前がついているものもある。うーん、全部同じに見える。お茶の専門店的な所はあんまり興味なくてひとりでふらふらとしていたら、姉ちゃんはたくさんの種類のお茶を買っていた。オレにはあまり違いがわからないが楽しそうなので、家の分は帰ったら姉ちゃんに淹れてもらう事にした。
 お茶を入れる器具もたくさん置いてあって何とは無しに眺めていると、綺麗な絵付けがされているひとり用のカップを姉さんが熱心に見ていた。どうやらひとり分をいれるのに便利らしい。内側が翡翠色になっていて可愛いとか美しいといった事があまりわからないオレでも単純にいいなと思った。

「オレこれにしよっと。姉ちゃんのも買ってあげよっか」

 特に深い意味はなかった。今日の食べ歩きのお金はほとんど姉ちゃんが出したし、そもそもA級のオレの方が稼いでる(と思う)から欲しいならコップくらい買ってあげようってそんな感じだったのに、姉ちゃんは一瞬びっくりした顔をしてそのあと見た事ないような顔で笑った。
 その後は姉ちゃんが初めて会った人の様に感じて上手く喋れなかった。姉ちゃんも何が考え込んでいるようで口数が減っていたので黙って歩いた。
 日が傾いて風が冷たくなってきた。

「そろそろ帰ろっか」

大人たちはこれからどこかへ行くのだろうか。楽しそうに笑いながら通り過ぎて行く。

「うん」
「あと一個だけ我儘言っていい?」

そもそも今日一度も姉の我儘は聞いてない気がしたが、妙に真剣な目をしているので突っ込まなかった。

「別にいいけど」
「あのねここから駅まででいいから手繋いでもいい?」

 小さい子供でもないし恋人でもない。どういう風に反応していいか迷っていると、返事も待たずに姉がオレの右手を掬って行った。
 無言で駅まで歩いてからぱっと手が離される。

「今日は一日ありがとね」

 喉になにか詰まったみたいになって、声が出てこなかった。結局電車に乗ってからも喋ることなく無言で帰った。家に着いてからぼんやりと自分の手を見ていた。元気が売りのオレが静かなので母さんは何事かと思ったようだけど、説明できるわけもなくさっさと風呂に入って自室に引っ込んだ。机に置いたカップを横目で見て枕に顔を埋めた。