私は時折、日付が変わる頃に外を出歩いた。
夜の匂いや人通りの少ない街灯の下は、私を自由にしてくれるから。
そうして自由になってから私は想像する。
彼と人生の一部が交わるところを。
それは誰に気づかれることもなく、誰かに咎められることもなく。
夜だけが許してくれる夢。
白日に照らされると消えてしまうような、淡い希望。











「霧絵ちゃん大丈夫?」

目の前の柔らかな瞳が心配そうにこちらを見ていた。
仕事中に思考が飛んでいたらしい、慌てて背筋を伸ばした。

「すみません、もう一度説明して頂いても良いですか?」

ロマニ先生はあごに手を置いて考えるような仕草をした。

「それは構わないけど…、でも君本当に大丈夫なの?困ったことがあるなら相談に乗るし、担当人数だって減らしても良いんだよ。そりゃあ、どんどん受け持って貰えたらこちらとしては助かるんだけどね」
「その、ちょっと気になる事があって。対した事ではないんですけど……」
「うんうん、とりあえず何でも聞いてみて!人生経験は、まあ、それなりに…あると思うし……?うん」

彼はとても優しくて、そして誠実であろうとする。
それ故に自信がなさそうな態度になってしまうのだろう。
逆に申し訳なくなって、こちらも声が尻すぼみになってしまう。

「えっと、なにか大切な、重要かな?事を忘れてしまってる気がするんですが、それがなんだかわからなくて。月並みな表現で申し訳ないのですが、頭にもやがかかったような気分になるんです。それで、その、」

なにが言いたいのか自分でもわからなくなってきた。
でも一度口からこぼれ出した言葉は、勝手に坂を下っていく。

「クー・フーリンさんと一緒にいると、フラッシュバックみたいな感じで一瞬思い出しそうになるんです。でもクー・フーリンさんに関係あるわけじゃないんです。彼とはこの前はじめてお話したばかりですし。そう思ってるんですけど、クー・フーリンさんも含みがあるような事を仰るので少し混乱してしまって」

ぐるぐると思考が渦を巻いて、どこから来たのかどこへ行きたかったのか本格的にわからなくなってしまった。

「大丈夫、落ち着いて。なんて言われたのか覚えてるかな?」

ロマニ先生は、優しい目で言った。

「オレじゃない。って言ってました。あれ?それならなんで、私、関係あるって思っちゃったんだろう」

思い返すと、彼は自分ではないとはっきり言っていた。
なぜ断言出来るのか、なにを知っているのかはわからないけれど、それならば、私が彼に固執するのは変だ。
そもそもサーヴァントの彼に接する機会なんてあるわけが無いし、生前だったらもっとあり得ない。

「人の記憶って言うのはあやふやで、すべてを正確に覚えたり思い出したりするのは難しい。視覚だけでも膨大な情報量だからね。それに本人だってしまった場所を忘れる事もある。しまった箱の鍵をなくす時もある。ときたま、別の鍵がうまくはまって開く事もあるのさ。もし、嫌ならあけなくてもいい」

心地よい声、こんな風に話す人を知っていた気がする。
温和で面倒見がよくてお人好し。
こんな人になれたら、私は彼と一緒にいれたかも知れないと思わずにはいられない人。

「クー・フーリンの担当を変えてもいいんだけど、カルデアで会わないようにするのは難しいなあ。いっぱいいるし」

また無意識に過去へと飛んでいた意識が、戻される。
なんだか凄いことを聞いた気がするのだ。

「い、いま何て……」
「ん?やっぱり担当変えたい?」

斜め上を睨んでいたロマニ先生が握っていた手をパッと離した。

「いえ、クー・フーリンさんには問題はないのでこのままで大丈夫です。えっと、その」
「ああ、いっぱいいるって方か。あれ?まだキャスター以外にはあったことない?」
「ええと、はい恐らく」

いっぱいいる、と言う言葉の意味がわからず、曖昧な返事しかできない。

「うーんと、英霊の簡単な仕組みは説明したね?」
「はい」
「彼らは、地球上で発生した情報だ。神話や伝説の中で為した功績が信仰を生み、その信仰をもって人間霊である彼らを精霊の領域にまで押し上げた人間サイドの守護者なんだ。召喚される時は基本全盛期の姿、もっとも強かった時の姿で召喚される。ただ、召喚されるクラスが違ったり、別の側面が抽出されて別の英霊として呼ばれる事もある。
……ごちゃごちゃ説明したけど、つまりこのカルデアに召喚されている"クー・フーリン"は複数いる。キャスターでひとり、ランサーでふたり。そういや、ある特異点ではバーサーカーの彼もいたな」

指を折りながら彼が数える。

「会ってみます」
「え?」
「会ってなにかわかれば僥倖ですし、なにもなければ……彼は鍵ではない。それだけでもわかったら、もう少し先に行けると思うんです」
「うん、そうだね」

ロマニ先生は微笑んだ。部屋を出る時彼は言った。

「ふたりが君を慕う訳がわかるよ」

と思い掛け無い称賛に、照れ笑いを浮かべる事しか出来ない。

「でも私が前を向けるのは、ふたりが未来に向かっているからですよ」

ロマニ先生は扉が閉まるまで手を振ってくれた。
廊下が騒がしい、と思ったらこの先に藤丸くんと立香ちゃんがいるらしい。
こちらから挨拶をする前に目が合った。
ふたりと一緒にいる人は知らない人だ。
青い髪をした人の後ろ姿が見え、心臓が跳ねた。

「霧絵さん!」
「ふたりとも戻ったところかな?お疲れ様」

青い髪をした人もくるりとこちらを向く。
その瞳は、赤い。
はじめてなので、軽くお辞儀をした。

「あ、こっちのクー・フーリンははじめまして、かな?プロト霧絵さんだよ!」
「こ、こんにちは」
「おう。よろしくな」

視線が交差しても身体の芯が痺れるような震えは起きない。
なんだろう、なにが違うんだろう。
この前彼にされたように、かわりに私が目の前の彼に手を伸ばす。
するり、とほおから首すじへと指を這わして止める。
がちりと固まった身体からは、嫌な感じはしない。むしろ逆に、

「えっ?!あ、ごめんなさい」

ぽかんとした表情のまま動かない三人に慌てて謝った。
なんだ初対面の人に私はなにをやっているんだ。

「……この度は不躾に大変失礼な事を致しましてお詫びのしようもありません」
「霧絵さん重い重い重い!!そんなに謝らなくて大丈夫だよ!?ね?!」
「あ、ああ」
「ほらプロトもこう言っている事だし、頭を!上げて!下さい!!そこっ!ドン引きするのやめて!!」
「ドン引きさせてしまって誠に申し訳ありません……」
「あ、違くて!!あんたも何か言いなさい!!」
「やっちゃえ!バーサーカー!!」
「そういう事ではなく!!!」

いつの間にかみんなで笑っていて私が最近悩んでいる事なんてただの杞憂なんだと思った。
過去に私にはヒーローがいた。
彼に憧れていた私が大人になって過去を忘れてしまっただけなのだ。
忘れてしまったものは思い出す必要がないんだ。






「いい女とはとことん縁がなくってね」

冬の夜、冷たい空気、少し湿っててもうすぐ雪が降りそうなそんな気配がした。
身体を出ていく血液はとても暖かくて本当に命そのものが流れでているように感じた。
熱くて汚くてベタベタと纏わりつく私の"生"。
どこまでも無様で可哀想で無力だ。
でも流れ出るものが赤くて、ちゃんと真っ赤でそれだけは良かったと思った。
降りはじめた雪が私の命の中で溶けて消えた。