君が生きるために足掻く姿は美しい。

壊れてしまってはいけない。
滅びの美学とは、脆いものが美しいのではない。
本来の姿に戻るその瞬間に美しさを見出しているのだ。

あなたがいる世界はこんなにも輝いている。

そこには探していた永遠がある。







考え事をしながら歩いていたら、廊下の曲がり角で誰かにぶつかってしまった。
最近の出来事は簡単に私の意識を持っていってしまう。
受け身を取り損なって持っていた書類を投げ出して両手から地面にぶつかった。

「すみません、お姉さん大丈夫ですか?」

まだ高いアルトの少年らしい声が頭上から降ってきて、慌ててこちらも謝罪を返した。
転んだのがこちらで良かったとほっと息をつく。
不注意で誰かに怪我をさせる事にならなくて安堵したところで、ぶつかった相手が金髪の利発そうな男の子だと気がついた。

ぐらりと視界が揺らぐ。

また赤い瞳。

一瞬吐き気に襲われたが、目をぎゅっと閉じて暫く深呼吸を繰り返すと治った。
もう一度彼に怪我はないかと声をかけてから落ちた書類を集める事にした。
張り付いた恐怖に顔を上げることができない。

緩慢な動作で書類を集める。
なんだか、自分の指をひとつ動かすのにも意思が必要になったみたいに感じる。
操り人形を操作するみたいに。
右手の人差し指を動かすための糸は絡んで引きつっている。

「ふうん」

男の子は立ち去らず、じっとこちらを見ている。
視線が棘のように刺さるのを感じる。
どうしてずっとそこにいるの?どうして私は怯えているの?
貴方は誰なの?私に何をしたの?

男の子は抑揚の少ない声で言った。

「お姉さん、中身ぐちゃぐちゃだけど大丈夫?」

拾い集めた書類は端が折れてしまった物もあるがぐちゃぐちゃという程ではない。
戸惑いながら再び彼の顔を見上げる。
すうっと細められた目に、大人のような表情だなと思った。

電灯に透ける美しい髪、彼とは違う赤い瞳。
ああ、この光景は二度目だ。

「見てるのも面白そうだけど、死んじゃった方がいいんじゃない?」

彼の声は頭の中で教会の鐘のように響いた。

「あ、うぅ」

息が苦しい。
自分が犬のように短い呼吸を繰り返す音が聞こえる。
うまく酸素が吸えず、焦って静かにパニックが襲ってくる。
呼吸の仕方を誰か教えて!
無意識にやっていた事を意識してやるのはこんなにも難しいのか。
跪いた姿勢のまま氷った世界で窒息しそう。
生理的に滲む涙が視界を海に変えていく。


「霧絵さん?」

足音には気が付かなかった。
廊下の曲がり角に彼の黒髪を見つけたら頭の中の鐘の音が止んだ。

「藤丸くん……」

酸欠の身体で発した声は泡のように消えた。







僕の姉さんは頭を使うより先に身体が動いてしまうタイプだ。
何度言ったってすぐ飛び出してしまうので、僕は姉さんのかわりに考える事にした。
彼女がどうやったら傷つかないのかを。
でも姉さんはいつだって一番前に立っている。
自分以外を矢面に立たせる事は許さない。
それならば彼女の背中は僕が守りたい。他の誰でもない僕が。

僕には英霊のような力はない。それは姉さんも同じだ。僕らに魔術の知識なんかなかった。
魔術師がなんであるのかなんてわからないけれど、この世界を救う僕の大切な人たちを守れる力が欲しい。

そんな事恥ずかしいから口になんて出さないけどその為に僕は魔術の鍛錬をしている。
姉さんに見つかったら揶揄われるし、マシュにはいつだって格好いい先輩でいたい。
そうなると必然的に鍛錬は、人の出入りが少ない所でやる事になる。
カルデアの端にある誰も使わない倉庫とか何のためにあるのかわからない部屋とか。

こそこそと人目を忍んで廊下を歩いていると、いつもは物音ひとつしないのになにかが落ちるような物音が聞こえた。

「ここ、幽霊が出るって誰か言ってたな」

何故人は普段忘れている事柄を思い出してはいけない時に思い出してしまうものなんだろう。
ぶるりと背筋に悪寒を感じで頭を振る。
カルデアに幽霊なんているわけがない。
さっと見て何もなければ走って帰ろう。そうしようと心の中でもうひとりの自分と会話をする。
廊下の曲がり角で、一度足を止めると話し声がした。
何だ、誰か居ただけか。
ほっとして曲がると少し離れた場所に二人の人影が見える。

「あれは霧絵さん??」

あとは小さいギルガメッシュだ。
珍しい組み合わせだなと思ったが、どうやら霧絵さんが落ちている書類を拾おうとしてるのがわかった。
手伝おうと思って駆け寄る。

「…」

霧絵さんの小さな声がした。
いつもと様子が違うので、彼女の顔色を確認しようとしゃがみこむ。

ぐったりと項垂れた額には汗で前髪が張り付いていた。
あまりの異変に差し出した手が固まってしまった。

彼女はずるりと床に倒れた。
霧絵さんの髪が書類の上に広がって、散らばったそれが血みたいだなと思ったところで我に返った。

ギルガッシュに手伝って貰って、急いで書類を集めた。
そして意識のない霧絵さんを抱き上げる。
彼女の体は怖くなるほど冷たかった。

僕は全速力で医療室へと駆け込んだ。