昨日の自分が恥ずかしくて出勤したくないと駄々を捏ねてみたけれど、社会人そういう訳にもいかない。
本部で冬島くんに会わないよう祈るしかない。
でもわざと会いに来そうで怖いんだよなぁ。
人が嫌がる顔を見るのが好きだなんて悪趣味にも程があると思うんだけど。
仕方がないので、お昼は時間をずらしてこそこそと食堂に来た。
焼き魚の定食が今日は秋刀魚らしい。秋だな。
トレーを受け取って冬島くん対策の一環として、これまた端の方でこそこそと食べる事にした。

「霧絵さんってじじくさいもの食べるね」

びっくりしてご飯が変な所に入って盛大に咽た。

「た、太刀川くん」
「大丈夫?」
「げほっ、魚は食べると頭が良くなるんだよ」
「ふーん、じゃあ丁度いいや霧絵さん手伝って」

嫌な予感がする。
この男の子が話しかけてくるなんて大学の提出物が終わってない時ぐらいだ。
ひとくち水を飲んでからなるべく冷たい声を出す。

「課題はちゃんと自分でやりなよ」

折角声を作ってみたけれど効果はなかったらしい。
太刀川くんが隣の椅子を引いた。

「だって全然進まねーんだもん」
「何やってるの?」
「方丈記」

うわ、上手く乗せられたと思ったけれどプリントを受け取る。
日本文学は好きだ。
大学で専攻していたくらいには。

「ああ、訳すのか。和漢混交文だし仏教用語もあるから難しいよね」
「何言ってるかわかんないけど詳しいって事は分かった」
「これから仕事だし、やらないからね!」

これ以上プリントを眺めていたら引き受けてしまいそうだったので、持っていた紙を太刀川くんに突き返す。

「そこをなんとか」
「…」

太刀川くんの目を見ないように秋刀魚の骨を数える。

「辞書で調べても意味わかんねーんだもん」

そんな私の抵抗も虚しく太刀川くんの低い声に陥落寸前だ。
成人済み男子の"だもん"なんて可愛くもなんともないはずなのに、放って置けない気持ちになってしまう。

「方丈記は研究者がたくさんいるからまず現代語訳読んだら?」
「そうなの?」
「うん。課題ででるって事は大学の図書館にもあるはずだし、解釈がいくつかあるから注釈はしっかり読んでー」
「一緒に図書館行く?」
「行かない。必要な所だけコピーしてきなよ」
「分かった。定時に迎えに来るね」
「手伝ってあげるなんて言ってない」
「霧絵さん」
「…」

ここで甘やかすからいけないんだとは分かっているんだけど、頼られると何かしてあげたくなってしまう。

「夕ご飯は太刀川くんの奢りだからね」
「やった、霧絵さん大好き」
「はいはい。ちゃんと資料だけは集めておいてね」
「うん、霧絵さんは食べたい物考えておいてね」
「模擬戦してたら手伝わないからね」


念押しをしておいたけれど、あの顔は絶対一狩り行く予定だったな。
あんな小学生みたいな子がA級1位なんだから不思議だ。

        














「太刀川くん、ごめん仕事終わらないや」

太刀川くんは18時ぴったりに事務室に来てくれた。
心配していたけどちゃんと資料を収集してきたようだ。よしよし。むしろ仕事が終わらなくて申し訳ない気持ちになる。
仕事持って帰りたいから作業するの家でもいい?と聞くと太刀川くんは神妙な顔で頷いた。

         ◇

「霧絵さんの家って霧絵さんぽいね」
「散らかってて悪かったわね」
「洗濯物は仕舞った方がいいと思います」

じっと一点を見る太刀川くんの視線を追うと思いっきり下着が干してあった。
普通そう言うのはさりげなく見ないようにして教えてくれるもんなんじゃないのか!!と八つ当たりを心の中でして、ダッシュで干したまま押入れにぶち込んだ。

「…」

普段他人なんて呼ばないから迂闊だった。
取り合えずやばそうなものをついでに寝室にぶち込む。
危険物を処理してからダイニング兼リビングに戻るとちゃんと課題をやっていた。
多分ひとりだと気が散っちゃうタイプで見張り兼仲間がいればできるのでは?

「ひとりで出来ないなら友達とやればいいのに」
「課題をやってるやつなんて友達じゃない」
(類は友を呼ぶっていうかなんというか……)

ご飯はうどんが良いと言うので煮込みうどんにした。
太刀川くんだっておじいちゃんみたいな食べ物好きなんじゃん。
向かい合わせで仕事をして、時々アドバイスをする。
案外真面目に集中してやっているのでこちらも仕事が捗った。伸びをして時計を見るともう23時だった。

「明日も仕事だからお風呂入って寝るね。太刀川くんも寝る所……そこのソファー位しかないけど好きにしてね。毛布は出して置いてあげる」

太刀川くんはまたしても神妙な顔をしている。
そうしている分にはモテそうなのに。
おやすみを誰かに言うのは久しぶりだなと思いながらお風呂に向かった。

明日の朝ご飯は何にしよう。