カルデアではひとつの大きな事件があった。
しかし私は詳細を知らない。
この機関には何重にも情報制限が掛けられているからだ。
アクセス出来る範囲の情報では、事件によってAチームと呼ばれる選抜された魔術師を含む50人近くの人間が瀕死の重傷をおいその直前に魔術師として採用されたふたりの姉弟が、人理守護指定"グランドオーダー"という大役をこなさなければならなくなったという事だ。

ふたりは既に特異点へとレイシフトを行い、間違った歴史を修復している。

レイシフト…擬似霊子転移。疑似霊子変換投射。人間を擬似霊子化(魂のデータ化)させて異なる時間軸、異なる位相に送り込み、これを証明する空間航法。時間跳躍(タイムトラベル)と並行世界移動のミックス。マスターを霊子分解し、数値として時空帯に出力する。
人間を霊子化して過去に送り込み、事象に介入する、端的に言うと過去への時間旅行だが、適性のある者にしかできない。

適性のあるものにしか出来ないと言うことは、現時点ではあのふたりにしか出来ない。
橙色の髪をした強い意思を持った女の子。
黒髪の優しい心を持った男の子。
この世界の未来があの小さな肩にのしかかっていると言うことだ。
それに加えて、彼女たちの安全は保証されていない。

私たちは彼女たちが消えてしまわないように、世界を観測し、彼女たちを肯定し続ける。

それしか出来ないから。









「霧絵さん、隣座っていい?」

元気いっぱいと言った風情でお盆を持っているのは立香ちゃんだった。
レイシフトから帰ってきたばかりだと言うのに、疲れや辛さを外に出すことはない。
しっかりと自分で立って前を向いている健気な子。

「勿論だよ。オーダーお疲れ様」
「こちらこそいつもサポートありがとうございます」

ニコッと笑う顔が幼い。
抱きしめたい衝動にかられたけれど我慢して微笑み返す。

「立香ちゃんも和食なんだねぇ」
「やっぱり帰ってくると食べたくなっちゃうんですよね〜」

お味噌汁を啜りながら唸る彼女に、大きく頷きながら賛同した。

「こんなに美味しいご飯が食べられるようになるとは思わなかったよ。しかも日本食が」
「我が弟も大変喜んでましたよ」
「今日藤丸くんは?」
「んー、マシュの所寄ってから食堂来るって言ってたから、もう来るんじゃないかな」

昼食の時間は決まっていないが、食堂は大勢のスタッフで賑わっていた。
談笑する人々の声が、心地よい騒めきになって聞こえる。

もし立香ちゃんと同級生だったら、どんな話をしたかななんて妄想してしまう。
彼女は運動神経がいいからきっと運動部に入ってエースとして大活躍するに違いない。
茜色に染まる校庭に佇む橙色の髪を想像してチリチリと胸が焼ける感じがした。

……。

そうだ。
私はいつもその男の子を目で追っていた。
憧れの、ヒーローみたいな人。
遠くから眺めるだけで幸福な気持ちになった。
それなのに、物足りないような気分になってもどかしかった。

胸の温度がじくじくと上がって行くのを止めたくて、コップに入った水に手を伸ばしたとき藤丸くんが女の子と食堂に入ってくるのが見えた。

「霧絵さんマシュたち来た!って、あ、エミヤー!!!!」

厨房の方から赤いマントを翻しテーブルの間を足早に歩いていく人がこちらを見て止まった。

立香ちゃんの声で呼ばれたその名前と、その人の目に心臓がどくりと跳ねた。
寄せた眉が懐かしいものを見るような瞳に見えたのは錯覚だろうか。

ゆっくりと近づいてきて立香ちゃんの前で立ち止まった。

「マスター」

はじめて聞く低い声。
褐色の肌に白い髪。

知らない、何もかも知らない人だった。

でも、この人を私は知っている。

相反する認識に頭が混乱する。
手に持っていたコップがすべり落ちてバシャっとスーツを濡らした。

「霧絵さん大丈夫?!」
「……」

濡れたスーツの感触よりも背の高い彼の怪訝そうな目にハッと我に帰る。

「え?!あ、うん大丈夫!むしろ暑かったからちょうどいいくらい!!〜〜〜ッ、ごめん、用事思い出したからもう行くね?!」

おぼんを持って勢いよく席を立つ。
すれ違いざまに藤丸くん達に挨拶だけして転びそうになりながらも食堂を後にした。

あの人は誰だ?立香ちゃんの事をマスターって呼んでいたってことは?
でも衛宮って言ってた?その名字が世界に一人だけってわけじゃない。
でもでもでもでも。

そうか、たとえ私の知っている衛宮くんだったとしてなんだと言うのだ。
あの時伝えそびれた言葉の続きを紡ぐことはもうない。

私のヒーローは英雄になり、彼女達と世界を救うのだろう。

ああ、なんて、幸福な物語。