あの夜に手を伸ばしたのは
貴方に傷ついて欲しくなかったから。
もし願いが叶うなら、ずっと笑っていて。
一度手放した熱が再び胸を焦がすとしても
私はあの夜に留まったまま動けない。
朝が来て夜が来て、夢を見て目が覚める。
クー・フーリンさんの視線になれる頃、私は誰かを探していてその人はひと目見れば”わかる”のだと理解した。
……もしかしたらここから去るべきなのかもしれない。
そう思っているのに、まだ新しく繋いだ世界に執着している。
決心のつかないまま歩いていたら、藤丸くんたちの自室の前まで来ていた。
約束の時間より少し早い。
ノックをしようと手を上げたまま逡巡する。
彼らと言葉を交わすたび私の中で希望が生まれてしまう。
もう十分じゃないか、残像は残像らしくあとは消えるだけ。
宙に浮かんだその手を引っ込めようとした時に、急に開いたドアから伸びた手に絡め取られた。
「霧絵さん着替え終わった?!」
「り、立香ちゃんこれは…」
立香ちゃんの細腕にどうしてあんな力が出せるのかわからないけれど、入り口で捕まったままあれよあれよと言うまに着替えが終わっていた。
鏡に映っているのは学生服を着た自分と立香ちゃんだ。
なぜ私はこんなところでコスプレを……?
「わー!思った通り似合う!」
「霧絵さん可愛いです」
「二人ともおかしいよ!…公序良俗で捕まりそう」
「お揃い、嫌ですか?」
立香ちゃんがわざとらしく上目遣いで見上げてくる。
うぐ、かわいい…!
「そうじゃなくって、成人女性は制服なんて着ちゃだめなの!!」
話を詳しく聞くとこれは礼装というもので、ただの服とは違うらしい。
先日の体調不良とか、クー・フーリンさんとの事とかを、二人とロマニ先生がダヴィンチさんに相談して作ってくれたのだそうだ。
気持ちはとても嬉しいし、ついでに申し訳ない気持ちもある。
是非装備して余計な心配をかけないようにしたいのだけれど、その見た目が穂群原学園の制服に酷似しているというかそのまんまというか……。
実家のような安心感を携えた着心地は悪くないのだけれど、このままでは妙齢で学生服のコスプレした頭のおかしいやつにしか見えないのが問題だ。
普段接するスタッフの数は限られているとは言え、流石にこの格好で敷地内をうろうろする事は出来ない。
ロマ二先生に相談しようか。いや、そんなばかな。
これに掛かった労力が無駄になるのはいただけないが、大の大人がこのデザインでGOを出したとも信じがたい。
こう、何か不思議な力で第三者からの見た目は普通のスーツに見えるとか、実はドッキリとかそういうオチを期待しよう。
今日が命日だと思って、立香ちゃんのお願いを叶えることにした。
制服姿の二人にエスコートして貰って食堂へ向かう。
早く早くと繋いだ手を引っ張る彼女の髪が跳ねる。
それで喜んで貰えるのなら一度くらい恥ずかしい思いをしたっていいだろう。
オレンジ色の髪が眩しくて目が眩んだ。
お昼の時間には少し早かったが食堂は賑わっていた。
話し声や笑い声がさざ波のように引いたり返ったりする。
まだ糊の効いた硬いシャツに、ローファーが床を踏みしめる感触。
何もかもが懐かしくて、直ぐには気が付かなかった。
自分の血液が沸騰する感覚に、焼き切れる神経の熱に。
食堂の喧騒が遠のき、スローモーションで流れる景色。
ひとりの人物にだけピントが合い、それ以外の風景はモノクロになる。
青い長髪、引き締まった四肢、何より紅く光る瞳。
「…見つけた」
私はこの男をずっと探してた。
自分のつぶやきが漏れたのと、その人物が振り返ったのが一緒だった。
目が会った瞬間に、封印が解ける。
ああ、そうだ。そうだったんだ。
私は、一度殺されかけた記憶とズタズタになった魔術回路を取り戻した。
”急げ急げ急げ”
魔力を全身の回路に回す。
やり方はこの身体が覚えている。
十年ぶりの感覚に、魔力が安定しない。
空間が揺らぎ制御できなかった魔力が壁を抉った。
借り物の眼が魔力を吸い上げて勝手に動き出す。
私には過ぎた代物だ、長くは使えまい。
最初の一手に全魔力を注ごう。
モノクロの世界に色のついたものがチラついた。
でも、藤丸くんが何を言っているか理解出来ない。
でも、立香ちゃんが何を言っているか理解出来ない。
あんな風に殺されていいわけない。
あんな風に殺されたままじゃ死んでられない。
生き返ったなら、殺さなきゃ。
彼は一瞬動きを止めたが、平然とこちらに向かってくる。
人間とサーヴァントじゃあ勝ち目はあまりない。彼の口元には笑みさえ浮かんでいる。でも、
「二度は殺されない」
「どこの誰だか知らねーが、そっちが殺る気なら殺るしかねーよな?」
貴方が私を忘れても、その瞳を、槍を、色を、私は決して忘れない。
私の身体を貫いていったもの。
私の運命を裂いていったもの。
チャンスは一度だ。
それを躱されたら、また無様にも殺されてしまうだろう。
私の詠唱が終わるのが先か、彼の槍が私の心臓を串刺しにするのが先か。
「The woods are lovely, dark, and deep.
(森はまことに美しく、暗く、そして深い。)
But I have promises to keep,
(だが、わたしにはまだ、果たすべき約束があり )」
朱槍が左手を貫く。ああ、また制服が汚れてしまう。
あの時と同じように、左手、右足、そして。
詠唱は途切れない。
私の腕から引き抜いた槍を構えた彼の周りの魔力の密度が変わる。
あれがくる。
彼に敵だと認識された事に安堵した。
「And miles to go before I sleep,
(眠る前に、何マイルもの道のりがある。)
And miles to go before ー,
(何マイルもの道のりがー」
「その心臓、貰い受けるー」
二つの魔力が圧縮され空気が乱気流になる。
大した距離は空いていない、この手を離れれば槍は必ず彼女に刺さるだろう。
「令呪を持って命ずる、」
攻撃がぶつかり合う前に、マスターの声が滑り込んだ。
真っ直ぐに向かってくる槍を己の双剣が弾き、彼女の柔らかい腹部にナイフの柄が重く沈む。
割れた電灯が爆発するように光って、照明が落ちた。
これが聖杯戦争にて召喚された槍兵の宝具だったら防ぐ事は出来なかっただろうが、槍は少女ではなく机をなぎ倒し床を裂いた。
失くしたもの、守れなかったもの、守りたかったもの。
もう一度この手で触れる事が出来た時俺はそれを手放せるのだろうか。
「 」
そっと名前を呼んで、抱えた身体を降ろす。
世界に騒めきが戻ってきた。
「霧絵さんっ!!」
マスター達が駆け寄ってくる。
二人に怪我はないようだ。
安堵して食堂内を見回すも他のスタッフにも被害は出ていなさそうだ。
人も多かったがサーヴァントも多くいたのが良かったのだろう。
「藤丸くん、」
呻くように名前を呼んで、ひゅうひゅうと荒い呼吸を繰り返す。
「喋らなくて良いです!」
彼女に伸ばされた手には令呪が消費された跡が残っていた。
「げほっ、大丈夫、なの。直ぐに血は止まるから」
心配そうに伸ばされた手を制して彼女は話す。
「何言って、」
怒っているのか泣いているのか、ぐちゃぐちゃに感情が混じった顔で彼が吠える。
「その腕、ね、義手なの。」
彼女は弱々しく微笑んだ。
「え?」
袖を捲られた白い腕は確かに人間のものには見えない。
血に濡れた目でと人形の手足と怒られた子供のような顔が一つの形を成していた。
「霧絵さんッッ!」
「立香ちゃ、ごめんね。ふく、汚しちゃった……」
槍兵を引きずりながらやってきたマスターに、彼女は目を伏せて謝る。
本当にごめんなさい、と。
それが記憶の中にある少女の面影と重なった。
ああ、彼女はいつもそうだ。
こちらの心配も受け取らずに謝罪を繰り返す。
届かなかった言葉が、また生まれるのを感じた。
「 」
彼女は、笑おうとして泣いた。
「いたい、のは。いやだよ、衛宮くん」
俺は、彼女に助けてって言って欲しかったんだ。
主人公詠唱引用:雪の夜、森のそばに足をとめて ロバート・フロスト
アメリカ名詩選 亀井俊介・川本皓嗣 編