カツンカツン
靴の音が響く。

ここはロンドンの何処なのか、
何故この人の後を付いてきてしまったのか分からない。

カツンカツン

靴音が止まったので、私も立ち止まる。
振り返った男の人の顔は暗くて見えない。

「…」

低い声だった。

確かに、それは私の望みだ。
本当に願いが叶うなら彼は魔法使いだ。

私は頷いた。







「なんの用だ」
「あら?頼まれていた物を持ってきたのにつれないですわ」

ガタと師匠が立ち上がる。

「グレイ」
「はい」

化野菱理さんは優雅にソファーへ腰掛けた。
お茶の用意をするために奥へ行く。

「これは法政科としてではなく、私個人が調べました」
「ああ」
「先に対価を頂いてもよろしいですか?」
「悪いが、金はすぐには払えない」
「いえ、そんなあなたから一番回収出来ない物は選びません」
「…」
「時間を少し頂きたいんです」
「依頼か?」
「そうとも言えますね」
「なんだ、はっきり言え」
「デートしましょう」
「誰と誰が…」
「ふふっ」
「…断る」
「…」
「…」

紅茶を淹れて戻ると、二人は目を伏せたまま黙っている。
二人分カップに注いでから下がる。

「条件がある。グレイを同伴させれくれ」
「嫌です、私はデートと言ったのです」

かちゃり、菱理さんが眼鏡のつるを押さえる音がした。
師匠が髪を思いっきりかき混ぜる。
ああ、いますぐ櫛をいれたい。


「わかった。資料を寄越せ」
「巫条霧絵さんの家は空の器を通して根源を目指している魔術師の家系というところまではご存知ですよね?」
「ああ、それは名簿にあった」
「はい。巫条家では最初から空の器を作るのではなくて、作ったものの中身を後から抜くことで空を作っています。
簡単に言うと、子どもを自意識や言語の習得をするまで育ててから中身を抜くようです。言わなくても分かるかと思いますが、この場合中身と言うのは内臓ではなく魂の部分です」
「そんな…、それでは抑止力が働くだろう。それにそんなやり方時代遅れだ」
「そうでしょうか?かなり良い線まで行ったようですよ。巫条霧絵は近年で一番成功に近い例だったようです。ただ、死に接し過ぎたようで、器にヒビがはいっています。貴方も見たのでしょう?」
「…っ」
「彼女の両親は彼女の死を望みました、が死の記録を収集し尽くした彼女は青崎青子の助力を得て逃亡。逃亡先はもちろんここ、です」
「…」
「木の葉隠すなら森に、うまく隠したものです。ここでは他人に深く干渉する人はいませんから…。
記録が漏れ出せば被害は深刻なものになるでしょう。一刻も早く処分する必要があります」
「そんな、それって」

何度も声が漏れないように我慢していたのに、ついに漏れてしまった。
師匠だけにそそがれていた菱理さんの冷たい目線がこちらに向けられる。

「魔術師にとって子は親の所有物ですもの。所有者が処分を望んでいます。そもそも放って置いては無関係の一般人が犠牲になるだけですよ」
「っでも、彼女がそれを望んだ訳ではないです」
「彼女は既に人ではありません。そこに意思など必要ありませんよ」
「霧絵さんとはお友達になったんです。拙は、助けるって約束したんです」

菱理さんはほんの少し唇の端を上げてうっとりするほど艶やかに微笑んだ。

「それがなんだと言うのでしょう?」










「くそっ、なんであいつはひとりで行動してるんだ?!」
「師匠、落ち着いてください」

菱理さんがお戻りになってから霧絵さんの行方を探そうとしたのだが、フラットさん達とは別行動をされていたようで連絡が取れなかった。
今日この部屋に居なかった事は運が良かったが今夜中にこちらが彼女に接触出来ないと法政科が動いてしまう。
私達だけで先に彼女を見つけなければ。

「でもさあ、見つけても助ける方法がないよー」
「おい」
「ル・シアンも見たでしょ?あれすっごかったよね。死ぬかと思ったよ」
「おいっ」
「あんな暗くて怖くて黒くて綺麗なもの、他には見た事ない。だからどうしてももう一回見なくちゃ。だからがんばろーねグレイちゃん」
「は、はいっ」








首と胸が熱い、痛い、熱い。
さっきの男の人はどこかにいってしまった。
立ち上がれなくて壁だと思われるところに寄りかかりながら前に進む。
息をすると喉が焼けるように痛くて咽てしまう。
ヒューヒューと耳障りな音が鳴っているけれど、恐らく声が出るようになっている。
理由があまり考えたくない。
だって何も償ってないのに、また生きる権利だけ手にしてしまったなんて、そんな狡いこと。

音がしなかったので自分の上に影が出来るまで、他に人が居ることに気がつかなかった。

「貴女…、何をしたの?」

ぼやける視点を声のするところに向ける。
化野菱理さんがいた。

「ごめ…なざっわたし、いき、て」

菱理さんに向かって謝ってしまった。
私の考えていたことを伝えた訳じゃないのに、謝りたい相手は彼女ではないのに。

「これは私の言葉じゃないのですが…、
人は罪によって道を選ぶのではなく選んだ道で罪を背負うべき、だそうですよ」

「ーーーっ」

菱理さんの言葉が頭の中を巡って胸に染みた時、何かが身体の中から溢れ出した。
汚く泣き叫ぶ私に菱理さんは何も聞こえていないかのように、ずっと側にいてくれた。

暫くしてから菱理さんはどこかに行ってしまった。

私は少しの間だけ、目を閉じることにした。