手掛かりが何もない。
彼女のような魔術師の行方など探す事はそんなに難しくないはずだ。
何故ならば、彼女はそんなに優秀な魔術師ではないのだ。今はまだ。
それなのに見つからないと言うのは、第三者の介入の可能性がある。
前を走っていたスヴィンとフラットが立ち止まる。
一瞬のうちに誰かのはった結界の中に入ったことがわかった。
前方から下駄が立てる軽やかな音がする。
表情がわからない位置で艶やかな着物を着た女が口元に袖を寄せる。
「探し物はこの先を行ったところにあります。…いやだ、何もしていませんわ。私は、ですが」
下を向いていたグレイが顔を上げた。
化野菱理はこちらの動揺など気にならない様子で通り過ぎていく。
「早く行ってあげた方がよろしいんじゃないかしら。彼女、荒耶宗蓮と逢瀬していたみたいだから」
「は…」
嫌な汗が背中をつたっていった。
聞き間違いであって欲しい。
青崎青子の縁だけでも持て余すと言うのに、荒耶宗蓮だと?
呼吸すら忘れていたところでグレイが遠慮がちにこちらを伺っていた。
「…行くぞ」
「はい!」
化野菱理は走り去って行く気配を背中で感じながら結界の外へと出る。
「死を保有して存在する終焉保持者、ですか」
人通りの少ない路地に少女のような可憐な声が誰の耳にも届く事もなく消えた。
そして次の一歩を踏み出す時には別の仕事について頭を切り替えたのだった。
◇
「霧絵さんっ」
彼女は古いガレージの入り口付近に倒れていた。
慌てて駆け寄るグレイに続き彼女の身体を確認するが無事だ、と言えるのか迷った。
「うわあ!思いきったイメチェンだねえ!!」
フラットの馬鹿でかい声にグレイに抱き起こされた身体がぴくりと反応する。
「大丈夫ですか?」
彼女はゆっくりと二、三回瞬きをした後ぽろりと涙をこぼした。
「ごめんなさい」
「声…」
今まで静かだったスヴィンが彼女の声を聞いて驚いて目を見開いた。
見つけ出した彼女は何もかも変わっていた。
呪いのせいで失っていた声が戻っている。
ただ少し掠れたような響きなので完全に呪いが解けた訳ではないのかもしれない。
そしてフラットが言ったのは、髪の事だろう。
長かったブルネットの髪は耳の下あたりまで短くなっていた。
そのせいでたっぷりと白い首すじが晒されている。
呪いで黒くなっていたところには、新しく術式が書きこまれていた。
「ひとまず時計塔に戻るぞ」
状況を整理するにも彼女の身体の事を考えても一度戻るのが賢明な判断だろう。
グレイの手で支えられてはいるが彼女は自分の足で立ってしっかりと頷いた。
「でも、それ目立ちません?」
フラットが彼女の首を指差して言う。
「お前な、人を指差すなよ」
「こんなこともあろうかと、じゃーん!!」
「人の話聞けよッ」
フラットがポケットから赤いものを取り出して彼女の後ろに回り込む。
「あ、あの…?」
「いいからいいから任せて!!」
「フラットさんそれは…」
赤い物を彼女の首に巻きつけてぱちんと金具をとじる。
「サイズぴったり!大型犬のですけど!!」
「お前…」
最早声も出なかった。
「似合ってるね、グレイちゃんもそう思うでしょ?!」
「え、えと…女の子に首輪って言うのはどうなのでしょうか」
「先生も声が出ないくらい似合ってるって!ミレットちゃん!!」
「み、みれっと?」
「たしか、フランス語で子猫ではなかったでしょうか」
「そうそう!もう声も出るみたいだし人魚じゃないでしょ?ほら鳴いてみて!!」
「…にゃー?」
「猫はミャウだよ!」
「みゃ、みゃうー」
「…巫条もやらなくていい」
頭が痛い。
こいつらは(やらかしているのはひとりだが)どうしていつもこうなんだ。
深刻に考えている方が馬鹿らしくなってくる。
「先生は犬と猫どっち派ですかー?!」
能天気な声を無視して時計塔に向けて歩き出す。
彼女が結界を出るとそのまま結界は消失した。
結界と彼女の首に刻まれた術式が呼応していたと言う事実が頭痛を酷くする。
梵語で刻まれているその術式はおそらく彼女の内と外にはってある結界だろう。
彼女の中にある死と彼女の身体に巣食っていた死を隔てるもの。
そんな魔法みたいな魔術を使えるのはやはりひとりしかいない。
一流の結界師である荒耶宗蓮だけだ。
路地の隙間から見える空を仰ぐ。
暗い天を仰ぐが、神の啓示はない。
ため息をついてそれでも歩き出す。
立ち止まらない約束なのだから。