前言撤回誰かこいつらをどうにかしてくれ。


太刀川の単位取得祝いに、三人で安い居酒屋に飲みにきた。
正直霧絵さんとの距離を近付けたいな、という下心がなかったとは言えない。
でも、これは流石に想像してなかった。

左の肩に太刀川、右の肩に霧絵さんが頭を乗っけている。
二人とも意識はあるもののでろでろに酔っ払っているため日本語が通じない。
しかも、アルコールがまわった身体は熱くて触れ合っているところを意識せずにはいられない。仕方がないので、左の固くてゴツいもじゃもじゃに意識を集中させよう。そう思っていたのに、霧絵さんが腕にすり寄ってくる。やばい。なんて言うか、柔らかい。それはもう全体的に。

「でね、唯我くんってば酷いんだよー!じゃなくて、太刀川くん隊室できな粉食べたでしょう!」
「げっ、なんでバレた」
「床きな粉だらけだったよ!!せめて掃除機くらいかけなよ」
「霧絵さんが毎日来てよ〜」
「私太刀川くんのお母さんじゃありません!諏訪くんもなんか言ってやって」
「じゃあ、諏訪さんが来てくださいよ〜」
「いや、なんで二人してこっち座るんだよ。せめーよ」

両腕にがっちりと回される腕のせいで、抵抗のしようもない。しかも、もともと二人がけの椅子に大人が3人も座っている為身動きの取りようもない。この状況をどうにかするのを諦めて、目の前の無人の椅子をぼんやりと眺める。

「なによう私たちの仲でしょー」
「そうよ〜、諏訪さんの男前〜」

二人の会話に曖昧な相槌を打っていたのが悪いのか、余計に二人がグイグイと身体を押し付けてきた。彼女から立ち上るアルコールの香りとシャンプーの香りにクラクラした。太刀川がいて良かったのか、いなかった方が良かったのか。

「お前らそれ飲んだら帰るぞ」

これ以上面倒は見切れないのでそう二人に告げた。

「えー!諏訪くんのいけず!!」
「奢られる側がなに言ってるんだよ」
「むー!」

成人女性のむくれ顔なんて可愛くない。断じてときめいたりしていない。

レシートを持って立ち上がると霧絵さんがふらついている。
あの人あんなに無防備で大丈夫なのかよ。
ひとまず太刀川に任せてお会計をしに行った。


「で、どう言う状況なのこれ?」
「だからね、これからうちでコーヒー飲もうって話!」

なんでそんな流れになったのかと太刀川を見る。

「この前霧絵さん家で飲んだコーヒーめっちゃうまかったっす」
「なるほど全然わからねえ」
「諏訪くんもおいでよー!」

霧絵さんが普段と違って子どもぽく笑う。
彼女の家に行くのは、太刀川もいるしこっちは断じて下心ではない。心の中で誰かに向けて何度目かの言い訳をする。
居酒屋から歩いて向かった霧絵さんの家は警戒区域にほど近いアパートだった。

「こんな場所隊員だって住まないですよ」
「んー、でも家賃安いしボーダー近いしそれに」
「それに?」
「みんながいるし。あ、どうぞどうぞ遠慮なく入って」
「わーい霧絵さんの部屋いい匂いするから好きー」
「太刀川くん?!」

胸から突き上げる強い衝動を抑えるのに精一杯だった。言葉にするのは難しいが、俺たちが信頼されてるって事が嬉しかった。

「あ、ビールある!飲んでいい?」
「いいけど、太刀川くん帰るきないよね?」

遅れて部屋にお邪魔すると太刀川が我が物顔でソファーに座っている。

「霧絵さん大分酔いさめたみたいっすね」
「あーうん。恥ずかしいところをお見せしました……」
「いや、それは全然良いんですけど」
「えへへ、お詫びにコーヒーをご馳走しましょう!」

霧絵さんが冷蔵庫から何かを出す。

「豆挽くところからなんですね」
「やっぱり飲む直前に挽く方が美味しいからねー。流石に焙煎は自分じゃやらないけど。諏訪くんもテレビとか見てて良いよー、太刀川くんみたいに」
「あいつ自宅のような寛ぎようですよ」
「居心地良いと思って貰えるのは光栄だけど…ねえ?」

ガリガリと豆をひきはじめると香ばしい香りがキッチンに漂う。

「本棚見せて貰ってもいいすか?」
「あ!もちろん!!私のコレクション見ていって!気になるのあれば貸すし」
「あざっす」

テレビとは反対のソファーの後ろの棚の方へ足を運ぶ。ほぼミステリしか読まない俺と違って様々なジャンルの本が並べてある。それに小説だけじゃなくて漫画や絵本などもあって見ているだけで面白い。
 ふと自身の隊の隊員隊が思い浮かぶ。アイツらがここに立っていたら何て言うだろう。

「気になるの何かあった?」

霧絵さんがコーヒーが入ったマグカップを差し出しながらソファーの背もたれに腰かけていた。

「ハードカバーはあまり置いてないんですね」
「あー、どうしても場所とるからなるべく文庫が出たら買い直しちゃうんだよね。学校とか図書館とか寄贈できるものはして、あとは人にあげちゃうかなー」
「たしかに既に入りきってないですもんね」

壁に沿って積まれた本たちを見ながら納得する。どこかで新しい街に引っ越した主人公が、壁に沿ってレコードを並べていたな、と思った。玄関から部屋の奥までドミノ倒しのようにずらっと。

「クリスティ借りたいんですけどおすすめありますか?」
「あれ?読んでないの?」
「俺ホームズ派なんで」
「ポアロさん格好いいのにー!でも最初に読むなら"そして誰もいなくなった"とかどう?」
「名前だけは聞いた事あります」
「有名だもんね、私これ読んでる時に雷が落ちて悲鳴あげた事あるんだよ。諏訪くんも嵐の日に読んだらいいよ」

霧絵さんが不穏な顔で言う。

「ミステリなんですよね?」
「もちろんだよ!一人づつ消されていく恐怖を味わうがいい!」
「もしかして横溝正史とか松本清張も好きですか?」
「好きー!あのどろどろしてるのがいいよね。日本独自の気持ち悪さって言うかなんて言うか……。でも人が死なない青春ミステリも好きなんだよー。米澤穂信とか初野晴とか似鳥鶏とかおすすめだよ」

霧絵さんが本棚から数冊本を出してくれる。本棚には手前と奥の二列分収納されているのに入りきってないって、一体この部屋には何冊あるんだろう。

「霧絵さーん、俺も構って」

霧絵さんの腰に図体のでかい子どもが腕を伸ばして縋り付いている。腰が細すぎて折れちゃわないか心配になる。

「はいはい、太刀川くんはそろそろお水飲もうね」

諏訪くんはどうする?と聞かれたが何を聞かれているのか一瞬分からなかった。

「寝るところないけど帰るの面倒なら泊まってく?歯ブラシくらいなら貸せるよー」
「霧絵さん俺の歯磨いて」
「太刀川くんは赤ちゃんなの?」
「いや、俺は遠慮しておきます、ってか太刀川も帰るぞ」
「やだ。ここに住む」
「はあ?!」
「はいはい、太刀川くんはもう寝なさい」

霧絵さんがどこからか毛布を持ってきて太刀川にかぶせる。

「諏訪くん今日はありがとうね。この赤ちゃんはうちで預かるよ」

霧絵さんは笑いながら言う。

「なんかあったらすぐ電話下さい」
「うんありがとう。気をつけて帰ってね。おやすみ」

霧絵さんはドアの外まで見送りに来てくれた。
多分だけど、一人暮らしが寂しいのかも知れない。駄々を捏ねる太刀川に困ったように笑いながら、それでも嫌そうではなかったのが証拠だろう。

彼女の欲しいものを俺が満たしたい。
そう思うけれど、自分の不器用な手じゃ彼女を傷つけそうで怖いと思った。