「我々は一度だけ振り返ってもいい」

そう亡霊が呟いた。

石畳みの足元を睨みつけ、ひとつの世界が終わるのを知った。

いまはただ少しばかりの失望が欲しい。
乾いた風が通り過ぎ、フードを深くかぶり直した。

古い街並みにあるのはグレイの空。

ただ、それだけ。













師匠が立つ教室には彼の生徒が増えた。

カウレスさんとイヴェットさんが何かを話しながら教室に入ってくる。

拙の視線に気が付いたらしく二人が並んでこちらへ来る。

「おっはよー☆今日もお弟子ちゃんの朝は早いねえ!」
「おはようグレイさん」
「あのふたりはー?」

イヴェットさんがきゅっと引き締まったドレスのウエストに腰を当てて教室をぐるりと見回す。
あの二人、と称されるのはスヴィンさんとフラットさんだ。
ふたりはとてもよく目立つ。
ふたり揃って教室にいるならば一番最初に存在に気がつく人が多いはずだ。

「ああ、今日は端っこにいたんだね」
「ありゃなんか取り込み中ー??」

フラットさんが霧絵さんの真後ろに立ちふたりに対面する形でスヴィンさんが立っている。
嫌な予感がした。
拙は皆さんが好きだ、と思う。
けれど、あの三人は師匠の心労製造機なのである。

「す、すみません。様子を見てきます」

授業がはじまるまでにはもう少し時間が掛かる。
師匠がここへ来るまでこの教室を守らなければ。

カウレスさんとイヴェットさんに軽く会釈をした後机と椅子の間をぬって後ろへ急ぐ。
三人の会話は聞こえない。静かな方が怖い、そう思った時だった。

「準備はいい?僕が反転させるから思いっきりやってみて」
「わかりました」
「ー同調開始、ゲームセレクト!」
「ーーいきますっ」

霧絵さんの黒い髪が風もないのに揺蕩う。
首についたチョーカーの鈴が高い音で鳴く。

急激な空気の圧力の変化を感じた。

「アッド!!!」

叫んだ瞬間に獣の咆哮が響いた。

ほんの一瞬、すごい力で引き寄せられた。
しかしすぐに押し出される力に立っているのが精一杯になる。

ゆっくり目を開けると、三分の一程破壊された教室と
教室の入り口で頭を抱える師匠の姿が目に映った。






「で、この有様はなんなんだ」

授業は教室の復元作業のため休講になった。
教室を破壊され慣れている生徒達は特に驚きもせずー半分呆れながら来た道を戻って行った。
毎度の事ながら怪我人が出ないのが不思議である。

「今日は同調まで上手くいったんですよ、なのになんで反転できないんだろう?」

ぼさぼさに乱れた髪を気にする風でもなく、フラットは首を捻る。
あとのふたりも髪こそ気にしてはいないが、神妙に俯いている。

「フラットお前にはもう言うことはない。その辺に座っていろ。スヴィン、霧絵お前たちには言葉が通じていると思ったんだが」

「ご、ごめんなさい…」

黒髪の少女はビクッと飛び上がったあとさらに小さく縮こまった。

「間に合わなかった拙もいけないんです」

目深にフードを被った少女がずいと前に出た。
金髪の少年は先ほどの態度とは打って変わってそわそわとし出す。

先生と呼ばれた長身の男は深いため息をついた。
彼はフードの少女に何かを伝えた。
そのあと誰もいない机と椅子がある方へ向きなおった。

「カウレス、イヴェットそこにいるのはわかってる。お前らも片付けを手伝ってくれ」

「やーん!ついに私たち通じ合っちゃった感じですかあ??」

机の影からぴょこんとピンク色のツインテールが跳ねて少女が飛び出す。
そのあとに続いて眼鏡をかけた真面目そうな少年がバツの悪そうな顔で出てくる。

「片付けたら帰っていい、グレイ悪いがあとは頼む」
「はい!」

エルメロイ二世は元凶の三人に"これ以上余計な事はしないように"と釘を刺して教室をあとにした。
悩んだポーズのまま止まっていた少年が口を開く。

「ミレットちゃんもう一回やってみてもいい?」
「だめです!!!」

今日一番大きな声でフードを被った少女が叫んだ。






六人で手分けをして教室を掃除する。
机に腰掛け手に持った箒の柄に顎をのせながらフラットがぼんやりしている。

「お前のせいなんだからちゃんとやれよ」

「ル・シアン君は不思議じゃないの?霧絵ちゃんの魔術」
「…先生の言ったこともう忘れたのか?」
「はじめてあのどこまでも黒くてきれいな底を見たときからずっと忘れられないんだ」

彼女の底はこの世界の死と繋がっていて、ゾッとするほど美しい。
僕とル・シアン君は一緒にそれを見た。先生だって見てないんじゃないかって思う。
薄々気がついていたみたいだけれど。
魔術師じゃないグレイちゃんも(魔術師じゃないグレイちゃんだからこそかもしれない)
死の匂いを嗅ぎとっている。

生物の終わりの先にある万物の終わりの匂い。

僕もスヴィンも先生もグレイちゃんも彼女の中身に怯え、
そして惹かれている。


彼女だけがそれを知らずに
僕たちを眩しそうに
遠くから眺めている。