部屋の中にはふたりしか居なかった。

たまたまグレイが席を外していて他に誰もいなかったのだ。

夕方、部屋の窓から炎えるような陽が落ちていくのがみえる。

永遠というものがこの世界にあるのならば
いまにも生まれそうな雰囲気だった。

目の前にいる極東出身だという少女は、黒い前髪のしたから真っ黒な瞳でこちらを見ていた。
たしか私から彼女がこちらに来るきっかけを訪ねたんだと思う。

不穏なくらい赤い唇が言葉を紡ぐ。


「魂が抜けかかってたのであまり覚えてないんですけど、
たぶん青子さんに殴られたんだと思います。

力強くて熱い拳が私の身体を貫いて、

それで、

痛くて痛くて痛くて

痛くて痛くて痛くて痛くて痛くて痛くて…

わたし、泣いてしまったんです」


深い井戸のように真っ暗で光のない瞳がじっとこちらを見ていた。
ゴクリ、自分の喉が鳴る音だけが聞こえた。



◇




彼女の瞳が瞼によって遮られた時、身体がソファーに沈み込んだ。
知らず知らずのうちに力が入っていたようだ。
渇いた喉がひりひりした。

コツコツと靴音が近ずいて来るのが聞こえて安堵のため息がもれる。
それから数秒後扉が開く音がする。

「ただいま戻りました」

深くフードを被った少女が部屋に入ってきたことにより先程までの張り詰めた空気が一変した。

「霧絵さんいらっしゃってたんですね」
「はい、でももう暗くなってきたのでお暇しますね」

いつの間にか窓の外は真っ暗である。
黒髪の少女が立ち上がるとリンと鈴が鳴った。

「師匠霧絵さんをお送りしてきます」

少女たちが控えめに談笑する姿は信仰さえ感じる。

彼女たちは墓場の香りがする。





◇




「霧絵さんは死者が、…死者の魂が怖くありませんか?」

師匠に頼まれた買い出しを終えて部屋に戻ると霧絵さんが居た。
彼女はアーモンド型の黒目がちな瞳を持っていて、
フラットさんがミレット(フランス語で子猫)と呼んでいるのもあながち的外れではないと思う。
そして猫みたいに何もないところをじっとみている事が多い。

「死、というのは少し怖いです。日本では不浄なものを避ける風習があるんですが、ええと難しいな。不浄なというのは血や病気…代表的なのはやっぱり死かな?を穢れと言って、ケガレとは気涸れとも書くんですけど、気が涸れると生命が衰えやがて死んでしまうって考えられているんです。だから、死などの穢れに触れた時は人に移さないように、また自分でもずっと持っていないように祓うんです。んー、自分でも何が言いたいかわからなくなっちゃいました…。
ただ怖いというよりは畏怖、かしこまる気持ちがあるような気がします」

でも、いつもこんなに考えてないです。
ただ死にたくないなって思うだけですよ。

と彼女は恥ずかしそうにはにかみながら言った。

「グレイさんは幽霊が怖いんですか?」
「…えっと、変でしょうか」

霧絵さんは拙が墓守だということは知らない。
それをわかってて聞いてしまった。

「いえ、知らない人であれば生きてても死んでいてもどっちでも怖いと思います。あ、でもフラットくんなんかは怖くないのかも知れないですけど…」

誰に対しても物怖じしない少年を頭に思い描いてふたりで笑う。

大きな通りに出たので彼女の背中が雑踏に飲み込まれていくのを見送る。
黒い髪がふらふらと揺れながら消えた。

こんな気持ちになるのは申し訳ない、と思いつつも
仄暗いものを共有できる彼女といるとどうしても落ち着く。

師匠の側はひかりに満ち溢れている。

その居場所をどうしても守りたいのに、
足元に落ちる黒い影がどうやっても切り離せない。