「え?」
「それはやる、と言ったんだ」
二宮くんの端正な顔は表情がわかりずらい。
怒っている訳ではないらしい。
酔って勝手に持ってきてしまった人喰いハンドクリーム。
交換条件は二宮くんにとって利益があるとは思えない。
私が再びトリガーを握ったとして、
それがあなたにとって一体なにになるというのでしょう。
二宮くんの為になるような力は持っていない。
鳩原さんのかわりにも、彼女を見つけてあげることも出来ない。
そんなこと彼が望んでいるかすら知らないけれど。
黙ってしまった私をよそに、それだけ言うと踵を返して歩き出してしまった。
その綺麗な後ろ姿を馬鹿みたいにじっと見つめてた。
二宮くんの背中を見つめていたら、いつの間にか始業時間の5分前だったので急いで事務室に駆け込んだ。
乱れる呼吸を押さえつけながら、自分のデスクへ荷物を置く。
こんな短距離で疲れるなんて日頃の運動不足をひしひしと感じた。
本当、こんな体じゃトリガーを握ったって動けないよ。
昨日帰る前にリストアップした今日のタスクを睨んだ。
パソコンが起動するまでの長くも短くもない時間を持て余して、
デスクの上に置いたハンドクリームを眺める。
クラリスみたいに強かったらいいのに。
私の羊も頭の中でずっと鳴いている。
八つ当たりみたいにトリガー使用許可願の書類を指で弾いた。
◇
バタバタと午前中の仕事を片付けて、会議室の準備をする。
会議に入っちゃえば暫くは仕事が動かないからお昼でも食べちゃおう!と算段をつけて本部の廊下を歩いていた。
ザワザワと人が波の様に揺れる。
本部には不釣り合いな肩車をしている背中が見えた。
「陽太郎っ!!!」
小走りで近づくときょろきょろとあたりを見回した陽太郎が米屋くんの髪を引っ張って後ろを向いた。
「おお、霧絵」
「米屋くんもこんにちは。今日はどうしたの?陽太郎も林藤さんと会議一緒に出るの?」
「いや、居残りっす」
「そっか〜、それで一緒にいてあげてるんだ米屋くん優しいね〜」
「これから玉狛戻るんすけど、霧絵さんも来ますか?」
「え、う〜んでも仕事中だしなあ…」
「霧絵は来ないのか?」
陽太朗が悲しそうな顔で言う。
ぐぬぬ、そんな顔をさせるわけには行かない…!!
「わかった!ちょっと仕事作ってくるから15分後に集合で」
「さすが霧絵さん〜」
「うむ、待ってるぞ」
腕を組んで仰々しく頷いた陽太郎の頭を撫でてから事務室へと戻った。
「せっかくだから夕ご飯の買い物して帰ろうと思うんだけど、おでんでいいかな?」
「おっ、それ俺も食べてっていいやつっすか〜?」
「うん、いいんじゃないかな?おでんは大人数で食べる食べ物だからね!」
上司の許可をとって玉狛へと向かう道を三人で歩く。
途中で大きなスーパーに寄るとまだ昼間なのに、なかなか賑わっていた。
「こんな時間にスーパー来ることないけど、結構混んでるんだねぇ」
「ん」
買い物かごは米屋くんが持ってくれてるので、陽太郎と手を繋いで店内を物色していると陽太郎に引っ張られる。
ああ、お菓子コーナーに寄りたいのか。かわいい奴め!
「二人ともひとつだけなら買ってあげるよ」
わーいと、ふたりしておまけ付きのお菓子を見ているので本当に兄弟みたいだ。
「霧絵は買わないのか?」
大切そうにおまけつきお菓子を持つ陽太郎に、童心を刺激され懐かしい箱を手に取った。
「女の子は宝石が好きだな!」
お子ちゃまにしたり顔でそう言われて思わず笑ってしまった。
「そうだよ、キラキラしたものが好きなの」
「いつか霧絵に買ってやるぞ!!」
「本当?陽太郎はプレイボーイになりそうだね」
「えっへん」
「お前絶対意味わかってないだろ」
玉狛の台所にお出汁のいい匂いが広がる。
おでんは色んな具をたくさん入れると出汁が出て美味しいから一人暮らしでは作ることがない。
溢れそうなほど具が入った大きな土鍋をみて達成感がこみ上げる。
ちょうど火を止めたタイミングで、玄関から賑やかな声がした。
バタバタと入ってくる玉狛メンバーにはじめて見る子がちらほら。
「お邪魔してます、えっとはじめまして、かな?」
「あ、三雲修です。あの、本部の方ですか?」
スーツを着ているからだろう、しかし観察力のある子だなと思った。
「ああ、君が噂の三雲くんか!本部の事務をしている巫条霧絵です。なんでも困ったことがあったら相談してね」
握手をしていると白い髪の毛の子がじっと見てるのに気がついた。
その隣には小動物を思わせる女の子がひとり。
「君たちが三雲隊の子かな?」
「むむ、空閑遊真だ。ユーマでいいぞ霧絵ちゃん」
「おい空閑、失礼だぞ」
「好きに呼んでいいよ〜、良かったら家にも遊びに来てね」
「あ、えっと雨取千佳です」
「千佳ちゃんかあ、よろしくね」
挨拶をしているとキッチンの中で桐絵ちゃんが土鍋の中を覗き込んでいた。
「おでんね、まあまあ美味しそうじゃない」
「小南、先に手を洗ってこい」
「はーい」
寝ている間に長くなった髪にまだ慣れない。
「霧絵さんがウチに来るのめずらしいね〜」
「陽太郎にナンパされちゃって」
「ナイスだ、陽太郎!」
栞ちゃんが陽太郎に向けて親指を立てる。
「ボスは会議で遅くなるらしいから先にご飯にしちゃお〜」
「おでんと大根の葉っぱのふりかけくらいしかないけど大丈夫?」
「充分じゅうぶん!わ〜いいにおい。まだ湯気出てるしこのまま出しちゃって平気?」
「うん、さっき火を止めたばっかりだから」
かなり重たいと思われる土鍋は木崎くんがテーブルへと運んでくれた。
「「いただきまーす」」
玉狛のみんなと米屋くんがお喋りしながらご飯を食べるのを眺める。
団欒って見ているだけで、あったかいものなんだな。
この時間を守るために出来ることならなんだってしたい。
「ちょっと、これ霧絵の?」
「懐かしいね〜」
名前を呼ばれて我に返ると、スーパーで買ったチョコレートとプラスチックでできたアクセサリーの食玩があった。
千佳ちゃんがしげしげと眺めている。
「そうなの!懐かしくてつい」
「ふうん、お菓子とおもちゃが一緒に入ってるのね」
「千佳ちゃん、良かったらいる?」
「えっ」
驚いたように顔をあげた。
どうしようか迷っているように見える。
「よかったなチカ」
「う、うん。あの、ありがとうございます」
遊真くんが声をかけると千佳ちゃんがおずおずとお礼を言った。
「いや、こちらこそそんなものですが」
逆に申し訳ない気持ちになりながら言うと、千佳ちゃんが大切そうにぎゅっと抱きしめてにこりと微笑むのでアイビスで撃ち抜かれたような衝撃が走った。
か、かわいすぎる…!
胸を押さえていると、遊真くんの瞳がこちらを真っ直ぐ射抜いた。
「おれとは対戦してくれればいいぞ」
「え?」
「あんた霧絵が戦闘員だったの知ってたの?」
思ってもみなかった言葉に、どきりとした。
なんでだろう最近同じ言葉ばかり聞く。
わいわいとまた流れていく会話に置いてきぼりになりながら、あの赤い瞳から視線を反らせなかった。
頭の中で、また羊が鳴いた。