亡霊は歌う。

すでに世界は罪で満ちているのに。
それでも、ひとりでずっと。

それ以上何が出来るのだろう。
それ以上何も求めてはいけない。

亡霊は踊る。

光なんて届かないその場所で、
右手を天に差し出し、
まるで引きつけを起こしているみたいに無様に。

残像が重なり、そのうち世界は歪んでいく。










一面ガラス張りになっている廊下で、外が見えない程の吹雪を眺める。
この前ここに立った時とは環境が随分と変わった。
かつての日常だったものは遠く離れ、過去の後悔と執着が私を満たしている。
シェイクスピアは悪魔だ。
わかっている、それでも差し出された手を取ってしまった。
物書きらしからぬ男らしいしっかりとしたその手があまりにも心地よくて、絡めた指がほどけない。



「よう、あんたこんなところで何やってんだ?」
「…クー・フーリンさん」

親しげに声を掛けてきた彼を躱す様にしてすれ違おうとした。

「何だよ、他人行儀だな」

掴まれた腕が熱い。

「なにか御用ですか」
「お前を呼んで来いだとさ。カルデアも人使いが荒いねえ」

ちらりと掴まれた腕とは反対の腕に巻いた時計を見る。
しまった約束の時間を過ぎてしまっている。

「今、行きます」

踏み出した足が、腕の拘束のせいで止まる。

「離してください」
「ちょっとそっけなさ過ぎんじゃねーの」

声色に嘲るような音が混じっている。
この人と遊んでいる暇も理由もない。
睨みつけようとして顔を上げたところで、強い力で腕を捻りあげられた。
あまりの痛みにカッと血がのぼる。
身体中が熱くなって、すべての魔術回路が開くのがわかった。

「いいぜその表情」

噛みつくように重ねられた唇は一瞬で離れていった。

「んじゃ、ご馳走さん」

軽い調子で言い彼は来た道を戻って行った。
瞼を閉じる。
一度暗闇で深呼吸してから再び目を開けた。
誰もいない廊下で、腕に残った痣を隠す為に捲っていた袖を下ろした。







「これでレイシフト適性があったら完璧だったんだけどねぇ〜」

ダヴィンチさんは遅刻した事に触れず話を進めた。

「でもまあ、使えるものはなんでも使うのがカルデアってものさ!いつだって、敵の手も借りたいくらいなんだから」

ダヴィンチさんの怖いくらいに整った顔がぐっと近づけられる。
陶器みたいに滑らかな肌に黒くて艶々した睫毛が影を落とす。
じっと見つめられると落ち着かない。

「あ、の」

息をするのも躊躇われる雰囲気を変えようと声をあげるも、彼女の手が身体に触れて言葉は途切れた。
彼女の手がつう、とほおの輪郭をなぞって首筋に落ちる。

「君の事は気に入っているんだ。みんな、ね」

鎖骨の上を通った指が胸の上を滑る。
こくり、と喉が鳴った。

「だから、あんまり意地悪の度が過ぎる時は言うんだよ?」

彼女の身体が離れて行って、詰めていた息をゆっくりと吐く。

「ありがとうございます」
「うんうん、素直でよろしい。その腕折れてるかも知れないからちゃんと看てもらいなね」

隠したつもりになっていたので、なんとなく気まずい。
そっと反対の手で抑えた。

「動かすと痛いんだろう?エミヤに心配かけたいならそのままでもいいと思うけど」
「う、ロマニ先生のところ寄ってから戻ります」
「本当にあの二人はねえ。全く何の因果なんだか」

どうやら誰のせいかも分かっているらしく、ダヴィンチさんは艶かしくため息をついた。





自分に無頓着な彼のかわりに彼を守ってあげたかった。
どんなに烏滸がましい気持ちだったとしてもそうしたかった。
彼が好きだった。

それなのに、

自分を貫く圧倒的な死に魅了された。
運命の出逢いみたいに電撃が身体中を走って
本能が彼に執着した。

過去と未来は繋がないままで、
私は自分がひとりなのかふたりなのかさえ分からない。