髭の生えた後輩の愚痴ともつかない相談に相槌を打つこと数分、考え事が苦手なようでさっさとまとめにはいってしまった。

「まあ、模擬戦でもしてきます」
「結論が出ないことをそのままにできるのは、健全な心を持ってると思うぞ」

太刀川が感情の読めない表情でこちらをじっと見た。

「なんだ、諏訪さん全然話聞いてないのかと思いましたよ。別にいいけど」
「なんつーか、お前がどうしたいかだろ」
「じゃあ模擬戦付き合って下さいよー」
「堤待たせてんだよ」

ポケットに手を突っ込んで歩いていく後ろ姿を見てため息を吐いた。

「心配なら心配って言やあいいのにな」

小学生じゃあるまいし、好きならもっとわかりやすく伝えるべきだ。
と、思案してからふとある事に思い当たった。
あいつ自分の気持ちに気付いてねえんじゃねえか…?
普段悩まないのに、悩んでいるという状況がもう異常だっていうのに。
いや、流石にそこまで馬鹿じゃ、ないと、いいなぁと思って、痛み出したこめかみを押えた。

隊室に向かうためにラウンジを抜ける。
C級の塊とB級の飛び地の間にぴょこんと見える小さな後頭部に、視線が固定される。
いままで散々話題になっていた彼女は真面目な顔で歩いていた。
声をかけるには少し遠い。
もどかしい距離、このまま視線も言葉も交わらないまま目的地に向かうしかない。
それなのに彼女が視界から消えていなくなるまでは、目を離せない自分が気持ち悪ぃなと思った。

送った視線のせいか、ただの偶然か彼女がこちらに顔を向ける。
見ていた後ろめたさに心臓がどくり、と跳ねる。
目が合って、合ったと思った瞬間に嬉しそうに笑った。

「諏訪くん!」

思わず全ての動きが止まった。
そんな俺に構わず、彼女は真っ直ぐに駆け寄ってくる。
霧絵さんの笑う顔がスローモーションでリフレインされる。
正直やめてくれと思う。
抱き締めたいと身体中に駆けめぐる熱が脳を焼く。

彼女は手に入らない。

一歩引いているからこそ見えてしまう、彼女の視線の先と彼女を捉える視線の数の多さが。
俺はそれらを無視して、その華奢な体躯を腕の中に抱え込む勇気も持てない。
世界から彼女だけを選ぶことが出来ないのに、この一瞬を、折角手に入れた俺だけの瞬間を手放すなんて、出来そうにもない。

彼女の笑顔が脳に焼き付いて、きっと今夜は眠れない。









強くなりたい、と思った。
誰かに助けを求めなくていいように。
大切なものを自分の手で守れるように。

それで誰かを傷つける事になっても。




「諏訪くん!」
「おー、霧絵さん」

少し離れたところから声をかけたけれど、彼は私が近くまでその場で待っていてくれた。

「模擬戦?」
「いや、隊室戻るとこ」

それならばと並んで歩く。
今日は各隊に書類を配って、明日期限の書類を出してないところから回収するのが仕事だ。

「最近みんなのランク戦の動画見てるんだけど、やっぱりあれだね、解説の音声も欲しいよね」
「だな。自分とこのはぜってー聞けねぇし」

チームで戦うのと個人で戦うのは違うのだけれど、一対一とは違う動きがかなり勉強になる。
もし防衛任務に参加するとするなら必要な力だろう。
それに、違う武器を持っている人の動き方を知っているのといないのでは天と地ほどの差が出てしまう。
何を目指しているのか、と聞かれると困ってしまうけれど、私は強くなりたい。

他の隊を回るために一旦諏訪くんと別れる。
最後に諏訪隊の書類を回収すれば今日の業務は終了だ。
すでに定時を過ぎているが、家に待っている人もいないので気が楽でいい。

各隊の子達と立ち話をしつつ回ったので、思ったよりも時間を食ってしまった。
諏訪隊の部屋にお邪魔すると、三人がモニタで動画を見ているところだった。

「それ前期のランク戦のやつ?」
「巫条さん!」

後ろから覗き込むと日佐人くんがパッと振り向いた。

「邪魔してごめんね、作戦会議中だった?」
「いえ、終わってちょっと休憩してたところです。よかったら霧絵さんも見ますか?」

堤くんが隣を空けてくれる。

「いいの?」
「霧絵さんが良ければ。おサノは帰っちゃったんですけどね」
「じゃあ、諏訪くんが書類を見つけ出せるまで…」

雑多な机の上を引っ掻き回している諏訪くんをちらりと見ながら言う。

「おまえらも手伝えよ…」
「失くしたの諏訪さんでしょ」
「おまえらが片付けねぇんだろうが」

諏訪くんが文句を言いながら机の上の本を棚に戻していく。
手慣れているのか、きちんと整理されいる。

「ここの部屋はきれいだよね。太刀川くんの所とは大違いだよ」

整頓された本棚を覗き込む。

「あ、これ読みたかったやつだ。あ!こっちも」
「おーおー、好きに持ってけ」

諏訪くんがこっちも見ずに言ってくる。

「巫条さんも本好きなんですか?」
「うん、漫画も小説もなんでも好きだよ〜」
「こいつの部屋そこら中に本が積んであんだよ」

意地悪そうに言うけれど、反論する余地もない。
私の部屋には、本が棚に無秩序に押し込まれているし、入りきらなかったものや読みかけのものがその辺に放置してある。

「そうなんですか?なんだか意外です」
「霧絵さん結構抜けてるよね」
「ここの人がみんなしっかりし過ぎなんですー!」

本を数冊抱えて堤くんの隣に戻る。
目の前のモニタでは日佐人くんがベイルアウトした所だった。
日佐人くんはぐっと堪えるようにして画面を見ていた。
膝の上に置かれた両手は力強く握られている。

「諏訪隊の強みは、日佐人くんが切り込み隊長なとこだと思うんだよね」

彼の視線を頰に感じたが、気がつかない振りをして画面を眺め続ける。

「嵐山隊が木虎ちゃんをエースにしてもっと強くなったように、諏訪隊はもっと強くなるよ。だって日佐人くんが強くなるから。」

私と違って。と言う台詞は胸の奥にしまった。




帰宅する日佐人くんとそれを送って行くといった堤くんを諏訪くんと見送り、見つけた書類に必要事項を書き込む諏訪くんをぼんやりと眺める。
明日期限の書類もあと、諏訪くんの署名で完成だ。

「私って最低だよね」

書類をファイルにしまって立ち上がる。
諏訪くんは何も言わなかったけれど、目線で続きを促されているのがわかった。

「だってそうでしょ。自分にできないからってそれを他人に押し付けたんだよ。本当に日佐人くんは強くなるよ。でも、私は私の理想を日佐人くんを使って達成しようとした汚い大人だ」

強くなりたかった。
ボーダーがまだこんなに大きくなる前にそう願ってここに来た。
一度怖くなって、逃げて
置いていかれたくなかったのに、置いていかれる理由が出来てほっとした。
何がしたいのか自分でもわからない。
こんな風に整理のつかない感情を人に見せるなんて、本当に子どもだ。

「ごめ、諏訪くん今のなし」

少し冷静さを取り戻した頭で、この変な空気をどうにかしなくてはと思った。
顔をあげようとしたところで、ぎゅっと堅いものに押し潰されそうになる。

諏訪くんの匂いがした。
服越しでも諏訪くんの身体が熱くてしっかり筋肉がついてるのがわかった。
回された腕の優しさに胸が苦しくて、泣きたくなった。
でも泣きたくなくて精一杯の虚勢を張った。

「諏訪くん煙草くさい」

そういうと犬を撫でるみたいに、ぐしゃぐしゃと髪の毛をかき混ぜられた。
後頭部に感じる手の平が大きくて、年下の癖にずるい。
煙草の香りが染みついた首すじに顔をうずめた。
諏訪くんがなにも言わないから、その薄い皮膚に額を押し付けて、少しだけそのままでいた。