彼女が触れていたとこが熱い。
けれどこれは幻覚だ。
トリオン体じゃなければ良かったのか、トリオン体で良かったのか。
おれは自分のサイドエフェクトが万能じゃない事ぐらい理解している。
未来視は可能性を見ているだけで欲しい未来を作れるわけじゃない。
神様になりたいわけじゃない。
神様になれるなんて思ってない。
それでも見えているならば最善を。
誰かを犠牲にすると知っていてもそれを見なかった事にして選ぶ責任を投げ出したいとは思わない。
選ばれなかった未来の墓標はおれの胸の中にさえあれば良い。
後悔はしてはいけない。おれが選んだのだから。
喜んではいけない。おれは選ばなかったのだから。
雨に濡れた彼女の声が雷鳴の間を縫って鼓膜を震わせる。
出来もしないのに、と思った。
それなのにおれはあの熱が欲しい。
「霧絵さん」
「迅くん」
本部を歩いていると前から迅くんが歩いてきた。
今日もトレードマークのぼんち揚げを持っている。
彼はただ好きだから持っているのか、なにかを隠そうとしてそれを持っているのか私にはわからない。
「この前玉狛行った時居なかったし、久しぶりだね」
「あれ?玉狛来たんだ?読み逃したな……」
迅くんが後頭部をガシガシっと掻くと
片手で抱えたぼんち揚の袋がガサリと鳴ってついそちらを見てしまう。
差し出されたそれを遠慮なくいただくことにした。
「うん、米屋くんと陽太郎とおでん作りに?」
「え、この前のおでん霧絵さんが作ったの?!」
「ん?多分そのおでんかな??」
「うわ〜、なんでみんな教えてくれないかな…」
何だかわからないけれど、玉狛は相変わらず仲が良さそうで安心した。
「かわいい子が増えててびっくりしたよ。あれでしょ、みんな迅くんの兄弟なんでしょう?ふふ」
「はぁ〜、そこまで知ってるなら話が早いよ」
「なにかあった?」
迅くんが動くときは目的があるときだ。
そうじゃなくても近々近界民の侵略があると言われれば誰だって何か関係があることだと思うだろう。
「今度の大規模進行でうちのメガネくんと千佳ちゃんがピンチになりそうなんだ」
「……私にできることある?」
やっぱり、という気持ちと役に立てるのでは、という興奮で胸がドキドキした。
迅くんの真っ直ぐな視線が空中でぶつかってぱちぱちと爆ぜる。
「ん〜、でもやっぱり見えないんだよなぁ」
一瞬自嘲するように笑ってそのまま目を伏せた。
ああ、なんだ。
わたしは彼の思い描く未来に必要な駒ではないんだ。
それならばせめて足を引っ張るようなことだけはしないように気をつけよう。
「だからごめん」
「なんで迅くんが謝るの?役に立てなくて申し訳ないのはこっちの方だよ」
そう簡単に誰かを守れるようにはならないよね。
この落胆の気持ちを後輩に見つかる訳にはいかないとぐっと唇を噛んだ。
今じゃなくてもいい、努力していることがいつか役に立つ筈だ。
「たまたまいつも見えないのか、キーポイントにいないのかは分からない。でもおれには本当に霧絵さんの未来が見えない。だから、おれが選んだ未来で霧絵さんが傷つくかも知れないって思ってる」
めずらしく迅くんが怒っているように見えた。
窓の外が光ったが雷鳴は聞こえなかった。
まだ音が聞こえないほど遠いところにいるのかそれとも建物が私たちを隔てているのか。
彼は濡れずに帰れるのだろうかと関係ないことが頭に浮かんだ。
◇
お昼過ぎから降り出した雨が土砂降りになっていた。
傘を握る手が冷たい。また遠くで雷が鳴った。
玉狛支部から鈴鳴支部はそんなに離れていないのに前へ前へと気持ちは急ぐのに思うように足が動かない。
先ほど迅くんと交わした会話がフラッシュバックする。
玉狛へ戻る迅くんを鈴鳴へ向かうついでに送っていくことにしたのだ。
「雨に濡れない未来が見えてたんだけど、まさか霧絵さんの傘に入れて貰えるなんて思ってもみなかった」
傘は背の高い迅くんが持ってくれた。
「えっと、未来って普通見えないんだよね」
「ん?」
「あ、迅くんのサイドエフェクトを疑ってるんじゃなくて」
「うん」
「それでね、例えばわたしが忠告されたとするでしょう?貴方が死ぬ未来が見えますって」
「うん」
「家から出なければ死を避けられるでしょうって」
「うん」
「でも家の外から助けを呼ぶ声が聞こえたら私外に出るよ。私が出ても助けられないかもしれなくても、結局誰かが助けてくれて役に立たなかった私が無駄死にするかもしれなくても」
「うん」
お互いの肩がぶつからない距離で歩く。
反対側の肩が傘からはみ出て濡れている。
「ごめん、なに言ってるんだろうね。つまり言いたい事って言うのが 」
「霧絵さんが言いたいことなんとなくわかった気がするよ」
ニコッと笑った迅くんが捨てられた子どもみたいだった。
多分だけど全然伝わってなくて、迅くんはもう自分を責めている。
百点満点の未来が見えないのを自分のせいにしている。
違うのに、それをどうやったら彼に伝えられるのかがわからない。
(遠くで鳴る雷とは遅れてとどいてくる轟のことなのか、いまだに音を持たないその光のことなのか。そのいずれものことか、そのずれのことか)
玉狛支部の扉の前に立つ彼をぎゅっと抱きしめる。
「私が守るから」
迅くんが大切なものすべて。
虚勢でしかない言葉は簡単に雷鳴に掻き消された。
雨に濡れたストッキングが足に張り付いて気持ちが悪い。
後悔という言葉にならない獣の呻きが食いしばった口から漏れ出している。
二人でいた時は我慢できたのに、いまになって感情が暴れ出す。
(丘を崩したあたりに来て、どうしてそれが気に懸かるのか)
「泣くな泣くな泣くな」
泣くのは彼を憐れむことと同義だ。泣くのは自分の無力さを嘆いて満足するのと同義だ。
これ以上溢れる前にと目指している三階建の建物へ急いだ。
(源に隔てられてあることに哭くおまえは、遠雷の源となれること、すでになりかけていることを知らない)