「暇だねぇ」

 三門市の警戒区域ギリギリにあるコンビニの主な利用者はボーダー関係者だ。ひとくちにボーダー関係者とは言っても、会社員風のスーツ姿の人から有名お嬢様学校の制服を着た美人、はたまた犬の散歩をする小さな男の子まで様々な人が買い物に来る。それも夕方までの事で、二十時現在の店内状況はお客様ゼロである。
 そうと言うのも警戒区域ギリギリに設けられた立地場所のせいだが、他に競合店が無いのでそれなりに繁盛している。飲食店ではないが、コンビニにもピークタイムというものが有って通勤・通学の時間だとかお昼は結構な人が訪れる。俺も学生なのでその時間にシフトに入る事は出来ないけれど。
 楽して稼ぎたい。恐らく人類の基本理念だと思うが、暇な時間帯のコンビニバイトは楽な仕事か否か。答えは否。お客が居ない時に終わらせなければならない仕事もあるし、なんと言っても時間の経過が遅く感じるので楽ではないと俺は思っている。向き不向きの問題かも知れないが。
 二十一時までの勤務時間だが、今日は本当にお客さんが少なかった。おかげで明日の仕事まで前倒しで完了してしまった。納品は夜中に来るし、ゴミ箱のゴミも捨てたばかりだ。あとは、掃除くらいしかやる事がないなと思っていたらレジ点検をしていた先輩に話しかけられた。

「烏丸くんって幽霊って信じる?」
 先輩は唐突にそんな事を言い出した。深夜帯にシフトを入れている彼女とはたまに出勤が重なるが、そう言った話を振られるのは初めてだった。先輩は気さくに話し掛けてくれていたが、思い出せる会話はどれもこれも仕事に関係するものやたわいもないやり取りだけだった。少し面食らったが、深い意味はないのかも知れない。
「ん、どうですかね」
 信じている訳では無いが信じていないと言うだけの根拠も無いので、誤魔化す必要もないのに濁すような返答になってしまった。
「ふふ、全然信じてなさそう」
 先輩はそれを気にする事なく楽しげに笑った。
「私が大学の入学を期に三門市に引っ越して来たのは前に話したかな?実家は北の方の田舎にあるんだけど、冬になると三メートルくらい雪が積もるのよ。すごいでしょう?山の中で人工物が少ないからみんな雪に埋もれちゃうの。ちなみに、山から熊が降りてくる事もあるみたいだけど、私は遭遇した事ないわ。山に囲まれた時代遅れの田舎。それが私の故郷なの。想像出来るかしら?そう言う所って都会と違って、まだ昔ながらの仕来りとか風習とかが残っているのよ」
 俺はガラスに面したマガジンラックの埃を拭き取りながら、雑誌や週刊誌を棚に並べ直した。一番手前に置いた漫画雑誌の表紙が目に入った。売り出し中のアイドルがにっこり笑っている。レジにいる先輩を眺めて、先輩の肌が白いのは雪国の出身だからなのかなと思った。
「助け合って生きるにはルールが必要ですし、自然が厳しい地域では自然に対する畏敬の念も生まれるでしょうね」
レジチェックをしていた先輩が目をまん丸にしてから微笑む。
「ふふ、烏丸くんって本当に高校生?大学に行っている私よりしっかりしてるわ。そうね、今なら烏丸くんが言った通りなんだと分かるの。でも当時の私は盲目的に都会に憧れていたから、そういうのがあまり好きじゃなかったわ」
 最後は呟くように言って俯いてしまった。先輩が入り口を見たのでつられて視線を移すが、外にはお客どころか通行人すら居なかった。
「最初におかしいなと思ったのはサークルの夏合宿に参加した時だった。元々は海がある所に行く予定だったから私も参加するって言ってたの。海が無い県じゃなかったんだけど、遠くてあまり言った事がなかったの。だけど夏の海はどこも混んでいて上手く予算の合うところが見つからなかった。それで急遽サークルの先輩のひとりが、海じゃなくても良いならツテがあるって言い出して。それでその人の親戚が紹介してくれた所に合宿へ行くのが決まったの。合宿って言っているけれど、まあ旅行ね。
 流石に場所が変わったからって行くのを取り消すのは……と思っていたのだけれど、行かなければ良かったわ。そこには免許を持ってる数人が車を出してくれて、数台ある車にみんなで別れて乗ったの。女の先輩が運転するファミリーカーよ。私は後部座席でずっと外を見ていた……。そうだ、途中のサービスエリアでソフトクリームを食べたりして楽しんだ思い出もある。でも、段々と家すらもまばらになって、畑ばっかりの景色になって行くにつれまた後悔し始めた。せっかく田舎から出て来たのに夏休みを田舎で過ごすなんてって。その時はこれならバイトに出て新しい洋服でも買うために働けば良かったな、なんて思ってた。たった数日の事なのにね。
 その親戚が貸してくれた別荘に一番近いコンビニで車を停めて、車を降りたわ。……そこでなんだか今までの後悔とは違った気持ちが押し寄せるのがわかった。嫌な予感って言うのかしら?胸がざわざわして、とても不安な気持ちになったのを覚えているわ。その別荘があると言う山間の土地は、私の生まれた田舎にそっくりの雰囲気だったの」
 そこまで話した先輩はすこし黙った。国が違っても都会と呼ばれる場所は似たような建物が建っているのと同じで、田舎だって似たり寄ったりなのではないだろうか。そもそも自身の故郷に似た土地に訪れて、不安になる要素などあるのだろうか。
「まあ、そんな風に思ったのも最初だけで泊まる場所に着いたら気の所為だったと思える程度には不安は消えたわ。設備が古いと忠告されていた別荘も、地元の家を考えたら広くて綺麗だったし。ついてすぐ別荘の庭……と言うか、お隣のお家と呼べるのが遠くてどこまでがその家の敷地なのか良くわからなかったから、適当な場所でバーベキューして、持って来た花火して楽しく過ごしたわ。街灯なんてほとんどないし、山は月の光では照らせないくらい真っ暗で星が良く見えた。花火をね、みんなで好き勝手にやってたんだけど、全員の花火が同時に終わる事があるの。そうすると、本当の暗闇がやって来るのよ……。
 それで花火も終わっちゃったしでも寝るには早いねってなって追加のお酒を買いに行くついでに肝試ししようってなったの。私の他にも行きたくないって子は居たんだけど、結局コテージに残るのも嫌でみんなと一緒に行くことにしたわ。ううん。結局は全員で行った訳じゃなくて、一人か二人かは眠いとか面倒だって言って、布団に入ってった人たちもいたかな。
 来る途中にも立ち寄った、その一番近いコンビニでも歩くと三十分くらいかかるの。みんなお酒飲んじゃってるし車は使えないからぶらぶら歩きながら怪談とか話してて。肝試しって言う割にはコンビニに向かって歩いてるだけなんだけど、スマホを懐中電灯がわりにしてるだけだと、足元を照らすくらいしか出来なかったから、それだけでも十分怖い人には怖かったと思う。田んぼだか畑だかから時折虫が飛んできてびっくりしたりね」
「先輩は怖くなかったんですか」
きょとんとした先輩はなんだか子供みたいで可愛かった。
「もちろん、急に大きな声をかけられたりしたら驚くと思うけれど、夜道は怖いとは思わなかったかな。真っ暗だけど、人もたくさんいたしお酒を飲んで陽気になっている人が多かったから。でも、アレを見た時は変な汗が出てきて理由もなくとても嫌な気持ちになった」
 先輩はまだ無表情に入り口の自動ドアを見つめていた。俺はこんなにお客さんが来ない夜も珍しいなと思った。店内の時計を見上げるが、時間が全然進まない。先輩が続きを口にするまで一緒にガラスの外を見ていたがやっぱり人通りはなかった。
「その道の、って言ってもあぜ道だから田んぼとの境界線は雑草で埋もれてたんだけど。その縁に縦長の石があって、えっと烏丸くん道祖神ってわかるかしら?」
「詳しくはないですけど、何となくは。その集落に悪霊とか疫病とかが入ってこれないように祀ってある神様でしたっけ」
「そう。神様だからお供え物がしてるのは普通なんだけど、通った時に違和感を感じて。立ち止まってよく見てみたら、それが泥で作ったお団子だったの。綺麗なまんまるに作ってあったのだけれど、普通そんなものお供えしないでしょう?それにね、ただの泥団子なら子供の仕業かしらと思って無視したと思うんだけど、そのうちの何個かは食べかけだったの。恐らく人間が食べた後よ。歯型の感じが人間だったから……。それを見てすごく気持ちが悪くなったわ。もうコンビニなんてどうでも良いから帰って眠りたかった。多分他の人達も気味が悪いと思ってたはずなのに、ひとりの男の子がね、その泥団子を手にとって食べちゃったの」
「えっ?」
 聞き間違いかと思った。その土地で祀られている神様に不作法が合って、不運が続いている。そんな良くある怪談なのかと思っていたのに。
「ふざけてるのかと思うでしょう?でも半分くらい齧りとって、もぐもぐとちゃんとしっかり噛んでたわ。ちっとも意味が分からなかった。他の人たちも流石におかしいと思ったのか吐き出させようとしたりしたんだけど、もう飲み込んじゃってて。それでね、彼が残っている半分をみんなに差し出して、にたりと笑ったの。それで『ちゃんと虫も入ってる』って言った。ねえ、ちゃんとってなんだと思う?」
 先輩はその時の事を思い出したのか、両腕を自分で抱え、ぶるりと震えた。俺も状況を思い浮かべようとしてやめた。だって成人した男が泥団子を頬張りながら笑う姿など想像でも見たくなかったから。
「それでみんなパニックになっちゃって叫びながらコテージに戻ったわ。その男の子ももちろん連れて帰ったんだけど、戻ってきたらなんだか呆けてるの。『大丈夫?』って聞いたら、その場で嘔吐し始めちゃって慌てたわ。本人は泥団子を食べた事を覚えてないようだったし、吐いたのが外だったから土や虫が混ざった吐瀉物は誤魔化したわ。みんなも本人が覚えていないなら無かったことにしようって思ってるのが分かった。吐いちゃった子はスッキリしたのかケロッとしてた。それでもう寝ようかって流れになってから私は自分がハンカチを落とした事に気がついたの。ああ、さっきの騒ぎであそこに落としたんだって思った。高いものじゃなかったから失くしても困らなかったけど、一番仲の良い友達に相談したら、明日帰る時に車で通って貰って確認してみることになったわ。その方が良い気がしたの。あの道祖神の前に自分のものが落ちているのは良く無い気がして」
 かさかさに乾いた唇を先輩の赤い舌がなぞる。いつもは舐めると余計に乾燥すると言って、リップクリームを塗るのに。
「翌日はよく晴れた暑い日だった。赤い目をした子が何人もいたから、みんな眠れなかったのかもしれない。運転をする先輩が丁度飲み物を買いたいからコンビニに行くって言うので、私と友達はその車に乗せてもらう事にした。わざわざ助手席に乗せてもらって舗装されてない道をジッと見ていたわ。でもそこにハンカチはなかった。コテージからそこに行くまでの道も車も人も滅多に通らないからゆっくり進んでくれたんだけどね。それでただのハンカチだしいいやって思って諦めたの。
 それで大人しく飲み物でも買って帰ろうと思った。コンビニは地元の人がやってるよろず屋みたいな感じで。ちょっと古い感じがするけど割となんでも売っていてお菓子パンとかアイスクリームなんかを買ってる人も居たわ。私は特に欲しいものがなかったから手持ち無沙汰で、レジに座っているお婆さんに話し掛けてみたの。『あの道祖神の神様に何か言い伝えとかあるんですかって』別に何かあると思って聞いたんじゃなくて世間話のつもりで。むしろ何もない知らないって言われるのを期待してた。それなのにお婆さんはボソボソした声で話し始めたの。
『昔、母と子が二人で暮らしていた。母親は六十を疾うに越していて働くことも儘ならなかったので、息子ひとりの手で細々と親を養っていた。ところがその息子が遠方の戦に駆り出されてしまった。村の者は頼りの息子が居なくなってしまったのでは残った婆様は困るだろうと思って、大いに気にかけ時折訪ねては世話をしていた。ところがいつまで経っても食料が尽きないので、どれだけ蓄えてていたとしてもおかしいと思い不思議に思った村人が様子を見に行った。家の中をそっと覗くと婆様は土間を掘り返し、土を喰っていたと言う。その婆様がこの地を守る神様になったのがあの道祖神で、お供え物には土で作った団子を備えるのが習わしだ。この辺の土地をバクチと呼ぶのはそれが由来である。バクチとは婆土喰と書くのだ』と。それならば彼は神様の食べ物を横取りしたって事になるのかしら?って思ったわ。でも、本人はあれ以降も元気そうだったし、悪い神様じゃなさそうだしその話は他の人にはしなかった」
「それで、終わりじゃなかったんですね」
 先輩は嬉しくなさそうに、にこりと笑った。
「そう。帰ってすぐは特に問題なかったの。でもそのうち誰かの視線を感じるようになったわ。ふとした時に凝っとこちらを見ている視線よ。それは瞬きをすることもなくただ凝っと私の事を見ているの。気のせいだと思う事にしたんだけれど、徐々にそれが近づきて来るのがわかったわ。だって匂いがするようになったから」
「匂い……ですか?」
「ええ、濁ったような嫌な臭いよ。そうね下水とかの臭いとも違くて……田んぼの畦道とか歩いてるとする肥料かなにかの臭い。それがするのよ」
 ぼうっとした顔の先輩の顔には疲労の色が濃い。かなり精神的に追い詰められているような気がした。多少強引でもなにか現実的な説明がつけば安心できるかも知れない。
「視線はストーカーとかそういう可能性はありませんか?」
「そう思うでしょう?私も最初はそう思ったの。ストーカーがいるって思った訳じゃなくて、勘違いとかそう言う別の解釈を。
 でも原因ははっきりしなくて、一人で居るのが怖くなっちゃって友達の家に泊めてもらったりしたの。それでその友達の家でシャワーを浴びようとした時なんだけど、シャワーのノズルを掴んだ時になにかざらっとした物があってあれって思ったの。シャワーを見たけど特に変なところはなくて、でも手に違和感があったから顔に近づけて見てみたら白くて短い髪の毛だった。もしかしたら友達の髪の毛かも知れないし、誰か泊まりに来た時の物かも知れないわ。でもね、洗い終わって湯船に浸かってる時に先まで座ってたバスチェアに何か茶色か赤っぽい何かがついているのが見えた。出血したのかと思ってびっくりしたけど、違うの、土だったの。悲鳴を飲み込んで、急いでそれをシャワーで流して直ぐに出たわ。……アレが憑いて来てる気がするの」
「ご両親には?」
「もちろん相談したわ、でも見つかったなら逃げるしかないってそれしか言わないの」
 ピンポーンピンポーンと入店を知らせる電子音がなって自動ドアが開いた。来客かと思って顔を上げると店内には誰もいない。ただ、マットの上に泥がついていた。いつの間に付いたんだろう。
「……」
「先輩、合宿のお話の中でなにか言い忘れたことはありませんか」
「振り返ってはいけなかったのよ」
 もう一度入店を知らせる電子音が鳴った。心臓がどくんと音を立てたが、今度は本当にお客さんが入店したのでほっとした。若いカップルに向かって、マニュアル通りいらっしゃいませと声を掛けたが先輩は血走った目で店内を見回していた。蛍光灯が彼女の青白い貌を無機質に照らしている。ふと時計を見上げると退勤五分前だった。あの話を聞いて先輩を置いて退勤して良いものか迷いながら上がり作業をしていると、先程来店したカップルに声をかけられた。
「あのー、なんかゴミ?が落ちてるんですけど」
「あ、すみません。すぐに片付けます」
 雑誌コーナーの前に立っているカップルに、さっき掃除したばかりなのにと首を傾げた。
「子どもの悪戯ですかね?なんか泥だらけで」
 あたり一面に汚れがはねていた。良くみると泥だらけの布が落ちていて、それが落ちた衝撃で雑誌やラックにも汚れが撥ねたようだ。先輩と話している最中に誰かがここで雑巾を落としたのだろうか。いや、それは無理がある。汚れてしまった雑誌を手に取りながら不味いなと思う。これはきっと拭いても取れないだろう。それに汚れが拭えても臭いが消えないはずだ。
「先輩、これって全部破棄でいいですか?」
 後ろに先輩の気配を感じたので泥のついてしまった雑誌をよけながら声をかけると、先輩は落ちている泥まみれの布をジッと凝視していた。それを見た先輩の顔は能面が張り付いたように無表情だった。


「って怖いわ!!!!なにその話!!!」
「えっと、実話ですけど」
霧絵先輩に肩を掴まれてガクガクと揺さぶられる。俺は体幹を鍛えているので側から見れば先輩がただ縋りついているように見えるだろう。入り口を確認したが今日もお客さんは来ない。
「誰が怪談を話せと言った?!も、も、もしかしてそのコンビニってここじゃないよね?!」
「ここです」
 逆にここ以外にあるだろうか。先輩が俺の胸のあたりに突っ伏しているので胸がドギマギする。柔らかな感触と立ち上るシャンプーの甘い香りがする。
「いや〜〜〜〜っ!!なんでその話したの?!」
ただし先輩は別の意味でドキドキしているので良い感じの雰囲気はない。
「先輩が暇だからなんか話せって言ったんじゃないですか」
「……」
「今日の雰囲気と似てたんで思い出しました」
「余計嫌だわっ!!あ〜〜〜、でも、その先輩は無事なんでしょ?」
「ずっと無断欠勤されて電話にも出ないので店長が一人暮らしされてるアパートに安否確認しに行ったんですけど」
「オッケー!わかった、もう大丈夫」
 先輩は耳を塞ぎながら目を瞑る。けれど最後まで聞かないと逆に気になるのではという親切心から続きも話した。
「その先輩のお家は女性の一人暮らしだったらまず選ばないような古いぼろぼろの二階建てのアパートだったそうです。もしかしたら直前で引越しをしていたのかもしれません。とにかく店長が地図を見ながらその玄関の前に辿り着くと、ドアノブにベッタリと泥がついてたらしいです。なんだこれって思ったみたいですけど、無視してノックしたり名前を呼んでみたり部屋の前から電話したりしたりしたみたいです。でも、その部屋どころかどこの部屋からもなんの物音もしなかったそうです。人が生活しているって感じがないって言ってました。
 それで最後に念のためドアノブを回してみたら、玄関のドアに鍵はかかっておらず普通にドアは開いたそうです。勝手に入るのはどうかと思うんですけど、もし室内で倒れていたらと思って玄関にだけ体を入れて部屋の中を確認したそうです。ワンルームだったので玄関からその一間が見えたそうです。先輩はいないようでしたが、部屋の中はついさっきまで人がいたような雰囲気だったみたいです。それだけなら店長もそのまま帰って来たんでしょうけど、部屋の中に何かを引き摺った後があって明らかに可笑しいんですって。ラグもベッドも泥だらけだったそうです。アパートの管理会社を呼んで、その後は警察にも連絡したみたいですね。店長がその時は分からなかったけど、帰って来たら服に腐敗したような匂いが染み付いて取れなかったと言ってました」
「あ”ーーー!!!!!」
「先輩が言ってた通り東北の山奥からご両親がいらっしゃるって事で次の日また現場検証みたいなことをやったみたいですね。その時店長も呼ばれて任意の事情聴取をされたみたいですが。最終出勤日はいつか、とか疾走する前に変わった様子がなかったとかそう言う事を。その結果、事件性が低いってことであんまり大ごとにはならなかったみたいです。本人の意思による失踪だとして片付けられたみたいですね」
「ええと、ご両親はなんて?」
 聞きたくないような、でもこれで最後だからと好奇心と恐怖心の間で揺れ動く先輩の表情は結構かわいい。妹が小さい時に隠れんぼで部屋の角に向かって立っていてなにも隠れてないのを見た時みたいな気持ちだ。俺は心の底から優しい気持ちになって結末を告げる。

「逃げ切れんかったか……」とひと言仰ったそうですよ。