翌日厨房に出勤するとここはいいから士元さんの所へ行って来いと追い払われてしまった。
行きたくないから昨日と同じ時間まで厨房の手伝いをしようと思ってこちらに来たのに…と思ったが、厨房の人たちも余計な厄介事には関わらなぞという強い意思が伝わってきた。
取り敢えず士元さんの所へ行くが、空いている時間に厨房を使って芙蓉姫と雲長さんとお料理バトルするための練習場として借りる算段をつけた。曰く、好きなようにしろとのことだ。
この人達の態度には学ぶべきところが多い。災いは自ら全力を持って避けねばならないという事だ。
お酒を持ってわざとゆっくり歩いて執務室に向かった。


「…レイです。失礼します」

扉をノックしてから返事を待たずに入る。昨日の感じからすると律儀に返事をするタイプじゃないと思う。
案の定長椅子にだらっと座りながらお酒を飲む士元さんが中にいた。

どれくらい飲んでいるのかわからないけれど顔に出ない人だなと見ていただけなのだけれど、非難する気持ちが顔に出ていたらしい。

「レイちゃんも飲む?」
「そういう意味で見てたんじゃないです!」
「ははは、分けてあげる気もなかったけどね。これは命の水だから」

そういって盃に入っていた分をくいっと飲み干してしまう。
確かにいい飲みっぷりではあるけども。

「そんなに飲んで大丈夫なんですか?」
「うん、昨日仕分けて貰ったやつは終わってるよ」
「え?!あんなにあったのにですか?!」
「俺仕事出来るからねえ」

思わず持っていたお酒の壺を放り出して書簡の山に駆け寄る。
士元さんには非道な人間を見るような目で見られたけれど俄かには信じ難かったのだ。

「本当に終わってる…」

個室の執務室がある時点で気が付ければ良かったのだが、もしやすごい人でえらい人なのでは?
と冷や汗がつうっと背中を伝う。
恐る恐る書簡から顔を上げると、にやにやと嫌らしく笑う顔を目が合った。

「俺のお願い聞いてくれるよね?」
「…はい」

その日から弱みを握られた私は士元さんの雑用としてこき使われる事になったのである。





「師匠に向かって扱き使ってるって随分な言い草だよねー、夕方には帰っていいよって言ってあげてるのに」
「それは士元さんが飲みに行きたいだけじゃないですか…」

あの日から然程日にちは経っていないのだが、たくさん覚える事があって1日が1週間くらいに感じる。
士元さんは部屋の掃除や書簡の整理の合間に、またこの世界の歴史や現在の状況など様々な事を教えてくれる。
中国の歴史なんて全く覚えてなかったので(多分学校で習ったはずだとは思う)この世界にまだ居るつもりならば必要な知識だった。常識的な事(今居る場所の名前)さえ満足に答えられない私を不審に思っただろうけど、深く追求しないでいてくれたのはとても助かった。私もなんでこんなところに居るのか説明なんてできない。
文字は何となく読めるけれど、書くとなると知らない字も多かったので勉強出来る書簡なども貸してくれた。
教え方も上手で盃を片手に持っていなければ尊敬できたと思う。

「師匠、今日は料理の試作があるのでこれで失礼しますね」
「レイちゃんってそうゆう時だけ師匠って呼ぶよね、本当いい性格してる」
「そんな褒めても何も出ませんよ」
「(あいつといい勝負だな)」
「何ですか?もう行きますよ?」
「おー、じゃあまた明日」

一礼して執務室を後にする。
今日はようやく形になってきたホットサンドもどきを完成させたいのだ!
出来たら翼徳さんにでも食べて貰おうか?楽しくなってしまって年甲斐もなく廊下をスキップしてしまった。

「よし!レイちゃんスペシャル(プロトタイプ)の完成だ」

これならちょっとしたお弁当にもなるし、外で食べてもいいし、仕事の片手間でも食べる事が出来る。
試作品を包み試食してくれそうな人を探すそうと厨房の外へ出た。

玄徳さん達の部屋がある棟へ向かおうとしたけれど、すれ違った武具をつけたガタイの良い男の人が黒い何かを落としたので拾って追いかける事にした。
持ち上げてみるとそれは眼帯のようだった。

「あの、すみません。これ落としましたよ」

歩幅が大きいので追いつくのに小走りになってしまった。

「ん?ああ、ん?お前は」

一瞬怖い人かと思ったが困った顔をするので、なんとなくいい人ぽいなと思った。あと苦労してそう。

「あれ?これ違いましたか?」

手のひらに乗せて差し出す。

「いや、俺のだ。助かった」
「いえ、無くさずに済んで良かったです」

それで話はおしまいだったはずなのだが、何か言いたそうにしているのでその場でじっと待っていた。

「なんでもない。すまなかったな」

その人がそう言った時に重なるようにお腹の音がぐううと鳴った。
もちろん私のお腹から発せられた音ではない。

「お昼ご飯食べられてないんですか?」
「ああ、その立て込んでてな。食べそびれた」
「良かったらこれ食べませんか?」

それならと思って持っていたレイちゃんスペシャル(プロトタイプ)を渡した。
どうせなら忌憚無い感想が欲しい。あまりお互いを知らない方が率直な意見が貰えるかも知れないと思ったのだ。

「あ、いや」
「これはですね中に具が入っていてちょっとピリ辛なんです!あ、辛いのは平気ですか?」
「あ、ああ。好きな方だ」
「良かった!これ料理対決用の試作なので、改善点があったら教えて欲しいんです!!」
「そ、そうか」
「私レイって言うんですけど、お名前聞いても良いですか?」
「元譲だ」
「元譲さん!またこの近くに寄った時で構いませんから是非感想教えて下さいね」

頷いてくれたのを確認して自分の部屋に向かう。
もう少しブラッシュアップしたら叶にも食べてもらおう、そう決意した。






その日は玄徳さんがお休みとの事で一緒にご飯でも食べないかと誘ってくれたので玄徳さんの部屋へ向かった。
けれど、玄徳さんは部屋におらず侍女さんによると庭の方へ出掛けられています、との事だった。
言われた方へ歩いて行くと楽しそうな子供達の声と玄徳さんの声がした。

「玄徳さんー!」
「ああ、レイか。ほら、お前たちみんなでわけなさい」
「「わーい!玄徳様ありがとう」」

叶と同じくらいの年頃の子ども達が元気いっぱいはしゃいでいる。

「玄徳さんは子どもにも好かれてるんですね」

玄徳さんと庭が見えるところに腰掛ける。

「最近はどうだ?ここの暮らしは慣れたか」
「はい、お仕事も貰えて…友達も出来たんです。前にいたところより充実していて毎日が楽しいんです」
「そうか」
「私、前のところではダメダメだったんです。変わらないつまらない日常を他人や環境のせいにして、上手くいかない事に不満は言うけど行動は何もしなかった。翼徳さんに助けて貰ってここへ来て玄徳さんやみんなによくして貰って感謝しかないです」
「正直お前に無理させてないか気になってたんだ。もし帰りたいところがあるならちゃんと送って行くぞ」
「いつか…帰らなきゃいけないって思います。でも、許されるならもう少しここに居たいです」

自分の気持ちを伝えた事に照れ臭くなって下を向く。
玄徳さんの大きくて温かい手が頭をわしゃわしゃと撫でていく。

「髪の毛ぐしゃぐしゃになっちゃいますよ」
「すまん。つい、な」
「いえ、私ちょっと恥ずかしいですけど玄徳さんにこうされるの好きです。ここが、胸が、ぽかぽかします」

こんな気持ちになるのは一体いつぶりだろう。顔が緩みっぱなしになってしまうので、話題を変えた。

「私に出来た友達もちょうどあの子達くらいの年齢なんですよ」
「なんて名前なんだ?」
「叶っていう男の子なんですけど」
「うーん、叶か。聞かない名前だな」
「そうですか、いつも夜にしか会えないんですよね」
「それは妙だな」
「ですよね、やっぱり危ないですしね」
「夜と言えば最近帝も夜に外出されているようでな、少し心配なんだ」
「そうなんですね」

帝と言えば良い大人なのでは?と思ったが玄徳さんが本当に心配そうな顔をしているので、大切に想っている事がわかった。きっと叶の事を心配している人もいるに違いない。
次に会った時はもう少し早い時間に会おうって伝えよう。
私も誰かを大切にしたり、誰かの大切な人になりたいな。

この世界ではどんどん欲深くなっていく。

でも、帰るまでは夢を見ていたい。

そう願った。