夜の帳が下りる前の街のざわめきの中、諸葛亮孔明は一軒の酒場の前で所帯なさげに立っていた。
約束をした男は先に入っていてくれと言っていたがこういうところはあまり得意ではない。
何度か纏わりついてくる歌妓を丁重にあしらって居ると待ち人がやってきた。

「よお、何でこんなところで突っ立てるんだ?」
「お前を待ってたんだよ」
「先に入ってろって言っただろー?まあ、お前らしいけど」

男について店の中に入ると如何わしい店が立ち並ぶ界隈に似合わず、明るく健全な雰囲気の店だった。
慣れた手付きで注文を済ませた士元はにやにやとこちらをみている。
酒はすぐに運ばれてきて軽く乾杯をする。
いつでもこの男は幸せそうに酒を飲むもんだ、と思った。

「それでなんかようなわけ?」
「忙しいんだろ?たまには息抜きも必要だろ」

労いの言葉をかけられるがこの男がそれだけの理由で呼び出すはずがない。
はあとため息が漏れた。恐らくこちらの出方を伺っているのだ。

「…最近人を雇ったんだって?君そういうの嫌がってたのに」
「まあな、使えない人間は好きじゃないんだ」
「そんなこと言って随分を世話を焼いてるって噂だよ」

そもそもこの男は自分に干渉させるのを極端に嫌がる。
また、この男の能力を買っている奴らだって普段の素行を見ると離れていく。
こうして付き合いが続いているのは僕くらいのものだと思っていたけど。

「書簡を整理してくれる人間がいるってのも悪くないもんだ」
「ふうん」
「お前もそのうちわかるようになる」

確かに日々積み上げられていく書簡を整理してくれる人間がいたら助かるが、どこも人手不足だ。
彼の話は考え事をしながらぼんやりと聞き流していた。





レイはいつも叶と待ち合わせている場所に来ていた。
もう空は真っ暗で空を見上げると星が瞬いている。
今夜を最後に叶に夜会うのはやめよう、と伝えるつもりだ。

「レイ」
「叶!そんな薄着で寒くない?」

夜着だけを着た叶を引き寄せて自分の体で包む。

「あたたかい」

ぽつりとこぼした叶に自分の体温を分けるようにぎゅうっとくっつく。
暫くは何も話さないで二人で星を見ていた。

「叶、夜会うのは今日で最後にしよう?」
「…」

月が随分と下がってから私は切り出した。
叶は何も言わなかったが強張った身体が彼の心を傷つけたのだと言っていた。

「あのね叶と会いたくないとかじゃなくて、夜こうやって会うのは叶の大切な人に心配をかけちゃうと思うから昼間にしようってことなの」

叶は何も言わないので私は思っている事を勝手に話すことにした。

「この前ね玄徳さんが、あ、玄徳さんって言うのは私がお世話になっている人なんだけど、帝が夜無断外出されているのが心配だって言ってたの。その時の玄徳さんの顔を見たらね、叶の事を大切に想ってる人がこんな顔をしていたら悲しいなってダメだなって思ったの」

叶が体の向きを変えてこちらを見る。
じっとこちらを見ている。

「叶大好きだよ。よかったら今度私の作ったご飯食べてくれる?」
「…」

こくりと頷いた叶がぎゅっと上着の裾を握った。
我儘を言いたい年頃だろうに、と思うと胸がきゅうっと痛んだ。

「そうだ、これあげるね。仲良くしてくれるお礼」

手首につけていたヘアゴムを渡す。
青いガラスのビーズが月光に反射してキラキラと輝く。
男の子だけれどまあいいだろう。

叶は最後まで言葉を発しなかった。
少し苦しい気持ちになったけれど別に会えなくなる訳じゃない。
叶の背中が廊下の角を曲がるまで見送った後私も部屋に帰った。








「レイ今日はこれを持って行ってくれ」
「?はい。どなたに届ければいいんですか?」

翌朝昨日の苦しい気持ちを上手く振り払えないまま出勤すると師匠に書簡を渡される。
師匠のもとで働き始めてからそこそこ時間が経ったが朝から仕事をする師匠は初めてみた気がする。

「孔明と言う男に渡してくれればいい」
「ああ、名前をよく見かけるので場所は分かると思います」
「お前も大分仕事に慣れたな」

優しくこちらを見る師匠に何だがむず痒い気持ちになった。

「師匠にこき使われたお陰です」

士元さんに頭をぽんぽんっとされる。
玄徳さんにされると素直に喜べるのに恥ずかしくてつい嫌味で返してしまった。

「では行ってきます。私が帰るまでお酒飲まないでくださいね!」

バタンと勢いよく扉を出た。
振り返らなかったのでその時師匠がどんな顔をしていたのかわからない。

「そりゃ、もう仕事中飲めないなあ」






「失礼します、書簡をお届けに参りました」
「ああ、中に入って適当に置いておいてくれる?」

また新しい書簡か。今読んでいるものを中断したくなかったので、外の声に中に入ってもらう事にした。
入ってきた人をちらりと見ると声から女性だと言うことはわかっていたが、どうにも見覚えのない顔だった。

「君だれ?」
「?ええと、綾波レイです」

聞き慣れない名前に首を傾げる。彼女の持っている書簡を見て嫌な予感がした。

「それもしかして士元から?ちょっとこっち持ってきてくれる?」
「はい、どうぞ」

彼女は状況がわかっているのだろうか。
書簡に目を通すと案の定頭痛がしてきた。

「君今日からここで働くみたいなんだけど、知ってた?」
「ええ?!どう言うことですか?!」

書簡を持ってきた女性は驚きを隠そうともしない。
名前といい服の着こなしといい感情を隠さないところといい、すべてが変わっている。つまり変なやつだ。
士元がべた褒めしていた弟子と言うのが女だった事にも吃驚だが、まさかその可愛がっていた弟子をこちらに寄越すというのにも驚きである。一体どう言う風の吹き回しか。

「別に従う必要もないけど」

そう言ってから、何だか帰すのが惜しくなる。
彼女の方も彼に思うところあるようでひとまずこちらで働いてもらう事になった。確かに猫の手も借りたいところだったので、正直助かった。

「何を任せるか決めてないから取り敢えず書簡を仕分けして整理してくれる?」

士元と飲んでいた時の記憶を引っ張り出し士元がやらせていた事をやってもらう事にした。
彼女は「わかりました」と返事をしてから彼への愚痴を呟きながら書簡の山の影に消えていった。




「あの、これもう提出期限が過ぎていると思うのですが」
「ん?わあ、やっちゃったー。ってあれ?!もうこんな時間?!」

顔をあげると随分と時間が経っていたらしい。
こんなに集中したのは久しぶりだと思ったら、どうやら彼女が部屋に来る人の対応をしてくれていたらしい。
思考を中断しなくていいとこんなに仕事が捗るならもっと早く使用人でもつければ良かったか。

「すみません、こちらどうしましょうか?」
「あ、ああ。ごめんね、貸してくれる?」

受け取ると確かに期限が過ぎている。
中身をざっと読んで返答を急いで書きしたためる。

「流石にこれを他人に持って行かせるのは気がひけるから僕が行ってくるね。悪いけどその間にご飯の準備してくれるように頼んでくれる?遅くなって申し訳ないけど戻ってきたら昼食にしよう」

昼食と言う言葉を聞いた後にぐうーと鳴った彼女のお腹に思わず笑ってから部屋を出た。


期限が過ぎた書簡の返答を相手に謝って届けてから部屋に戻ると片付けられた机に食事がのっている。

「すみません、時間が大分遅かったのでこれくらいしか用意出来なかったんですが…」
「え、君がこれ作ったの?」
「あの、だめでしたでしょうか…」
「そんな事はないけど…、取り敢えず食べようか」

使用人に持って来させてって意味で言ったのだが、やはりこの子ちょっと変わっている。
そんな事を考えながら目の前に置かれた雑炊を口にいれる。

「ん!」
「どうでしょうか?」

何だか懐かしいような味だった。洗練されているわけじゃないのに美味しい。
素直に美味しいよと伝えると彼女は良かったーと言いながら破顔した。
あんまりにも嬉しそうに笑うので心臓がどくりと跳ねた。

「孔明さんってもっと取っ付きにくい方かと思ってました」

ぱくぱくと雑炊を食べながら彼女が言った。
大方士元が何か吹き込んだのだろう。
彼女と軽い雑談をしながら昼食を終え午後の作業に取り掛かる。

何故だか、テキパキと動く彼女の後ろ姿を目で追ってしまう。
すごい美人だとかそう言うわけではない。
それでも彼女を見ると眩しいような気持ちになるのは何故だろう。

誰かをみてこんな気持ちになるのははじめてだ。
いや本当にはじめてだろうか?

なんとなくモヤモヤし出した気持ちを頭を振る事で振り払って
積んである書簡の中から新しいものを広げた。