「ええと、すでに知っている人も多いと思いますが、新しくカンパニーの事務をやって貰う事になりました綾波さんです!」

談話室には結構な人数が集まっていて心臓がドキドキする。
部署異動がなかったのでこんな注目されるのは新入社員の時以来である。
(失恋した時はもっと陰湿でわかりにくい注目だった)

「綾波レイです。経理を中心にお仕事させて頂くことになりました。雑用もやりますので気軽に依頼して下さい。よろしくお願いします」

しっかりと深いお辞儀をして顔をあげる。
パッと見ても十人以上いるので名前を覚えるのが大変そうだ。
ただ、学校や職場と違って年齢や雰囲気がみんなだいぶ違うので間違えるようなことはなさそうだ。
劇団員というのは個性的なんだな、と思う。

「レイちゃんはオレが拾ったんだ〜!」
「三角くん!ややこしいからそれは言わないって昨日約束したよね?!」
「あ!えへへ、カントクさんごめんなさーい」
「もう。興味がある人は適宜レイさんに聞いてください!質問は受け付けません、以上!」

いづみさんがバッサリと終わりにしたが、皆慣れているのかぱらぱらと朝の支度へと戻っていった。

「ざっくりでごめんなさい!稽古の時に個別に紹介しますね」
「ありがとうございます。こんなに大所帯だったんですね」

朝食をとる団員のみなさんを眺めながらいづみさんとお話をする。
制服の子が多いので、なおさらビックリだ。
若くても大学生くらいかと思っていたのに。

「うちは春組夏組秋組冬組の四つグループが季節ごとに公演を行ってるんです。現在はひと組5人なんですが、もう一人づつ増やしたくて募集をしてるところだったんです。
それで色々と手が回らない事が多くなっててレイさんが来てくださって助かっちゃいました」
「いえ、知らない事ばかりで迷惑をお掛けすると思います…」
「いや、支配人の手も借りたいところだったので居てくれるだけでも違いますよ!!」

そこは猫なんじゃないだろうか?と思ったが心の中に留めておく。
とそれより大切な事を聞き逃していた。

「すみません私、支配人さんにご挨拶していないです!」
「あー、多分午後には起きてくると思うんですけど…」
「そうなんですね、どんな方なんですか?」
「ええと、もじゃっとしてて眼鏡で全体的にしょうもない感じです!」
「…」
「そんな事より私達も朝ごはん食べましょう!」
「(そんな事なんだ)」

制服を来た子達がばたばたと玄関へ走っていく。

「いってらっしゃーい!」

いづみさんが笑顔で学生に挨拶をしている。
きっと毎日ちゃんと行われている行為なんだろう。
義務ではなく気持ちが伴った行動は大人になると接する機会が減る。
好意を感じてもうわべだけだったりする。
それに反していづみさんのいってらっしゃいはベタベタしてないのに寄り添ってくれる不思議な温度だった。

「あ、カントクさんいってきます!」

ピンク色のふわふわした髪の子が靴を履き終わって立ち上がった。
ちょっと緊張した面持ちなのは、まだ新学期が始まったばかりだからだろうか。

玄関の三和土の前で立っているといつの間にか後ろに人が待っていた。
すっとしたクール系の男の子だ。慌てて通れるように場所をあける。

「…アンタと離れたくない」
「…!」

黒髪の男の子が低い声でいづみさんに囁く。
えっと、制服を着てるから高校生なんだよね?
でもその瞳は熱を帯びている。
すごい!人を好きになるのに、子どもとか大人とか関係ないんだ…!

「今日から咲也くんいないけどしっかりね」
「サイコストーカー早くしないと電車乗り遅れるよ」
「あ、幸くんいってらっしゃい」
「いってきまーす」

緑色の髪の女の子に連れられて、恋するイケメンが学校へ向かった。
いづみさんなんか普通にスルーしてたな。
まさか、役作りとかそういう感じだったのかな。

「さてごはんごはんー♪」

いづみさんが鼻歌まじりにキッチンへ向かうのでついていく。
コーヒーの香ばしい香りと何かを炒めるような油の食欲をそそる香りがする。

「ごっそーさん、お、監督ちゃんレイちゃんいってくるわ」
「万里くん十座くん行ってらっしゃい!」
「ッス」

おお、なんかチャラそうな子と硬派そうな子の組み合わせだったな。
しかしすでに名前呼びとは最近の子はすごいな。普通に照れるわ。

「わ!今日は臣くんのオムレツだー!!やったー!」

テーブルにつくといづみさんが破顔する。
いづみさんは素直で明るくてかわいい。
きっと厳しくする事もあるんだろうけど、みんなが慕っている理由がわかる。
私もこんな風だったら今もあの場所にいられたのかな。

「カントク俺もう出るからあとはよろしくな」
「はーい!行ってらっしゃい」

伏見くんがエプロンを外しながらキッチンから出てくる。
すごい、お母さんみたい!違和感がないのがすごい!
もうさっきからすごいしか言ってないけど、ここに来てから驚くことばっかりだ。

「あの昨日はありがとうございました!」
「いや、それよりちゃんと眠れたか?」
「あ、はい。お洋服は今日洗濯して返しますね」
「ありがとうな。でも、そんな急がなくてもいいぞ」

伏見さんは本当にお母さんかもしれない。
いづみさんに負けず劣らずに笑顔でとても細やかな気配りをしてくれる。

「おみみ〜!」
「おう、今行く」

明るい髪色のザ・大学生といった見た目の男の子が廊下から顔だけ出している。
いや本当整った顔立ちの人ばっかりだ。

「そうだ昨日のカレー美味かった。また作ってくれな」

頭をぽんとして伏見さんが部屋を出ていく。
「ーーーっ!」

彼氏にだってされたことないよ!
なにこれイケメン怖い。格好良過ぎないか。
チラリといづみさんの方を横目で窺うがオムレツに夢中で全くこっちを見ていなかった。
恥ずかしいと思ってるのは私だけなんだ!?と思い自分の分のオムレツをほおばる。

たまごはふわとろでバターの香りが口いっぱいに広がる。

「おいしい…!」

思わず感想が口から漏れるといづみさんがでしょう?とばかりに微笑む。

あたたかい光がいっぱいのダイニングで、こんな風に人と朝ごはんを食べるなんて人生でもかなりランクの高い幸福なのでは…。


それなのに。

幸せなのに胸が苦しくなるのはなんでなんだろう。
じわじわと浮かんでくる涙は知らない天井を見ながら飲み干した。