ブルームバーグの猫01

現実に関する所見




私にはお父さんがいる。
演劇が一番だったけれど、私のことを愛してくれたお父さん。
でも小さい頃にいなくなってしまった。
ねえ、今どこにいるの?


自分が何者でもない、
秀でた才能のない取るに足らない存在だと知るのが認めるのが怖い。

作り出すものは全て未熟で、
それを認めて作り続けていくには強さが足りなかった。

ちゃんとひとりで頑張れるように叱ってよ。
キラキラしたあの世界にもう一度連れて行って。

頭に乗せられた大きな手のひらだけが、私のお父さんの記憶だ。





家に届いた父宛のハガキ。
小学生の落書きみたいだけど、これは舞台のフライヤーらしい。
松川伊助。差出人の名前に覚えはない。

もしかしたら、お父さんについて何か分かるかも。

もしかしたら、あの華やかな世界に関われるかも。

もしかしたら、もしかしたら、もしかしたら


淡い期待とハガキを鞄に入れ家を出た。





駅を出てすぐ大きな通りが見える。
ここが演劇の聖地 ビロードウェイか。

小さい頃父ときた事があるはずだけれど、特に見覚えはない。
この綺麗な駅はきっと最近新しくなったのかもしれないな。

「ええと、劇場の場所は…。確かフライヤーに地図が載っていたはず」

MANKAI劇場は、端っこにあるのかな。
地図がざっくりすぎてわからない。
作った人に文句が言いたいレベルだ。
でも、それだけ有名な劇場なのかな?
一瞬漫才劇場かと思ったのは心に仕舞っておく。

うう、歩き始めたはいいけれど、兎に角劇場が多い!
看板を見落とさないようにしないと…。

あれ?道の端に蹲っている人がいる。

慌てて声を掛けると、大学生くらいの男の子も近寄ってきた。

ああ、なるほど。
これがストリートアクトか。
二人とも演技が上手い。

男の子と二人で即興劇を見守る。
どうやらストリートアクトを行なっていたのはGOD座という団体で、
周りの反応を見るに人気があるようだ。

一緒に声をかけた男の子は団員の募集がないか聞いている。
自分で夢に向かっていく人は眩しい。

いや、私だって自分で動き出したんだ。
もがくのが精一杯で苦しい私に、どんな細い糸でもいいから救いを。

思わず駆け足になっていた時、MANKAI劇場が目の前に現れた。
大きくて古くて歴史がありそう…

いや、普通にめっちゃボロいな?!

目の前で行われるコントみたいな光景に、絶句する。

ボロボロの劇場・ヤクザ・悲鳴をあげる男・ショベルカー

違う、違うな。
どうか違いますように!
この手の中のフライヤーと関係がありませんように!!

手汗でふやけたハガキを再度確認するのも怖い。

差出人の松川さんヤクザの方じゃなくてよかった。
しかし大型特殊持ってるなんてすごいな。

切っ掛けが欲しくて来たけれど、
まさか目の前で劇場が取り壊れるなんて思っても見なくて、
意気込みも願いも全部吹っ飛んだ。

なんていうか、この年までグジュグジュ一人で思い悩んでたのが馬鹿みたい。

キラキラ光る佐久間咲也と言う男の子。

信じられないくらい酷いストーリーと演技の舞台だったけれど、
すごい輝いていた。そう、私には見えた。

「よし潰すか」
「ええ?!あんな一生懸命なお芝居を見たのに鬼ですか?!」

ヤクザさんの言う事はもっともだし、
支配人(松川さん)(何も支配できてない)はどうしようもなさそうだけれど、
折角お父さんが熱心に力を注いでいた劇場がここだと分かったのだ。

そして咲也君のお芝居に胸が震えたのは、確かなのだ。

下手な芝居をうって何とかヤクザさんから譲歩案を貰う。

今日、日が暮れる前に劇団員を二人連れて来れば劇場は壊さない。

アイコンタクトが通じない支配人(空気読めなさすぎ)と咲也君を引っ張って劇場の外へでる。

「いやあ、綾波さんの娘さんが入れば百人力ですね!…で、どこにいるんですか?」
「え?!あんな嘘信じてたんですか?!そもそも劇場の存在もさっき知ったんですよ!」
「嘘だったんですか?!」
「嘘じゃなくて、演技です!方便です!他に切り抜けられる手段がなかったんです!」

知り合ったばかりだと言うのに、支配人を思いっきりど突いてしまった。
自分よりやばい大人もいるんだな…世界は広い。

咲也君の前向きさに救われて、ストリートアクトをする事にした。
演劇の経験なんてないし、人に見られてると思うと恥ずかしくなって台詞が棒読みになる。

作戦通り目立ってはいるが、中傷するような内容が聞こえてくる。
どうしよう、このままだと逆に悪い評判がついちゃうかも…。

ビロードウェイに来た時にあった男の子がいれば声をかけるのに!
辺りを見ながら演技とは呼べない演技をしていると、ずっとこちらを見ている子がいるのに気がついた。

馬鹿なことしていると思われているだけかも知れないけど、
当たって砕けろ、だ!

「君ずっと見てくれてたけど、もしかしてお芝居興味ある?」

近くまで寄ってみると、恐ろしくイケメンだった。
目が泳いでてもイケメンって凄いな。

「あれ?碓氷真澄くんだよね」

イケメン君はどうやら咲也君の後輩らしかった。

「あんたも劇団に所属してるの?」

その真澄君に聞かれて返事に詰まる。

私何でこんな事してるんだっけ。

知らない人にお節介を焼くほどお人好しでも、
周りが見えなくなる程熱くなるタイプでもないのに。

「もー、何言ってるんですか監督!MANZEIカンパニーの主宰兼監督じゃないですかー」

支配人の思い付きの口車に、
浅はかな欲望がチラついて訂正するのをやめてしまった。

もしかしたら、私を必要としてくれる場所が、

輝く世界に自分だけの居場所が、

持てるかもしれない、

なんて都合のいい夢。


そのまま、寮付きの劇団を探していた
作家志望の男の子 ー 皆木綴君を二人目にゲットし
沈みそうな夕日の中 劇場に向かって走る。


ああ、お父さん!
全然何も上手くいってないのに、楽しいです。

流れる汗と乱れる呼吸は不快なのに、自然と笑みが広がる。



でも、"僕も演劇始めて八年ですけど、未経験同様です!"って
言い切った松川さんはしばいてもいいよね!