職業的な掃除の仕方にはコツがある。
コツと言っても難しい事ではない、ただただ本気で全力を注げばいいのだ。
誰かに遠慮をする必要はないし、終わらなかったとしても次の日やれば良い。
私は汚れてもいいように着古したTシャツとショートパンツスタイルになり髪をまとめた。
バケツ、雑巾、箒とハタキに洗剤を準備し、我が寝床でもある部屋へ向かう。

一度部屋の中をぐるりと見回してなんとなくの作戦を練った。
散らかってしまうとしても中にあるものを全部出して確認した方が良さそうだ。
まずはダンボールごと部屋から出し埃を払い、雑巾で拭き、床や扉を磨きあげる事にした。

何かの影がサッと横切るのが見えて、ふと雑巾掛けをする手を止めると鳥の鳴き声が聞こえた。
人が出払った寮は静かで、窓から差す光の線の中を埃がキラキラと舞っているのが見える。
なんだかぼうっとしてしまいそうで、すぐに次の作業に手をつけた。
ざっと部屋の汚れを落とした後は、ダンボールの中身の整理に取り掛かる。
衣装や小道具の写真を撮りメモを作理、修繕や洗濯の必要がありそうな物は別にしてよけてしまい直す。
ダンボールにしまうと中の物が傷みやすいので古市さんを説得して収納ケースを購入してもらった。

手は荒れるし、全身埃まみれだし、腰は痛いし楽しくはない。
でも頭を空っぽにしてやるとすごくスッキリする。

身体を動かしていないと頭が勝手にもしもとたらればを演算して熱を持ち始めるし、代わりに空っぽの胸に突き刺さった冷たい言葉が世界を凍らせていく。

人が人を好きになる時に善悪などない。

わかっているのに、停止したまま先に進まない。




「掃除そんなに好きなんすか?」
「っわあ?!」

急に声を掛けられたのでびっくりして飛び上がってしまう。

「サーセン、驚かせるつもりはなかったんすけど」
「こ、こちらこそ失礼しました…」

よかった、心臓飛び出たかと思った。
胸を抑えながら声を掛けられた相手をしっかり見据える。
金髪のチンピラっぽい(失礼)人はまだ自己紹介されてない人だと思う。
大きな猫目が大袈裟に表情を作るのがかわいい気がするけど、格好がいかついので道端ですれ違っていたら目を逸らしてしまうタイプの人だ。

「アニキから言われたやつ持ってきやした!」

アニキって誰だろう、と思ったけれど持って来てくれたのが古市さんに頼み込んで買ってもらった収納用品だったので、きっとアニキとは古市さんの事だろう。

「ありがとうございます!重くなかったですか?」
「いやいや、アニキの為ならえんやこらーすよ」

いろんなところにチェーンが巻かれてるけど多分良い人だ。
うん。金髪ツーブロックで顔に傷跡あるけどワンコぽく見えなくないこともない。
丁度集中力もきれていたことだし、荷物を持ってきて貰ったお礼もしたいと思って彼に声をかけた。

「ちょうど休憩しようと思ってたんです。良かったら一緒にどうですか?ええ、と」
「あ、俺迫田っす。迫田ケン」
「綾波レイです。コーヒーで良いですか?」
「うっす!」

やっと慣れてきたキッチンでコーヒーを淹れ迫田さんの対面に座る。

「すみません私まだ皆さんの所属が覚えられてないんですが、迫田さんはどの組の役者さんなんですか?」
「っ、俺が役者すか?!」
「あれ?違うんですか?」

どうやら変な事を言ったようで迫田さんは隠そうともせずに笑っている。
子供みたいに笑う迫田さんの口からギザギザの歯がちらりと見えた。

「あの、さすがにちょっと笑い過ぎじゃないですか…」
「サーセン、俺アニキの下で働いてるだけなんすよ、あれです舎弟っす」
「舎弟…」

実の弟には見えないからおそらく反社会勢力的な意味なんだろう。
私の勘違いが相当面白かったのか迫田さんはまだ笑っている。
こう純粋に笑われると、なんだかこちらまでつられて笑ってしまうな。

「レイの姐さんもなんか困った事があったらいつでも呼んでください。特技はショベルカーの運転っす!」
「ショベルカー…」
「あ、カタギの家は壊せないっすよ!!」
「ちょっとそんな事まで聞いてるんですか?!」

ちょっと元恋人の新居とかショベルカーが突っ込んでいくのを想像してしまったら、それが顔に出てたのか迫田さんに突っ込まれた。なんで詳細まで知っているんだ。恥ずかしいじゃないか。

「大丈夫っすよ、姐さん笑った顔まじかわいいっすから!」

反応する前に迫田さんの携帯電話がけたたましく鳴る。

「やべっ、アニキからだ。コーヒーありがとうございやした」

ばたばたと迫田さんが立ち上がる。
マグカップを流しに持っていってから玄関へと急ぐ姿はこの劇団に来るのが慣れている証拠だ。
自分の分のカップも一緒に水へつける。

ああ、顔が熱い。
別にお世辞じゃないか、そんなの生娘でもないのに真に受けてどうする。
最近の若い子は怖い。そう、最近の子にはきっと挨拶程度の意味なんだ。

浮き上がりそうな気持ちごと洗い流すために、古市さんに怒られそうな勢いで蛇口を捻りふたつしかないマグカップをゴシゴシと洗った。