霧はやってくる、
小さな猫足で。
そっと腰を下ろして、
港と街を
見渡すと、
また静かに歩き出す。






「さっんっかっく、さんかく〜。」

三角くんの伸びやかな鼻歌が聞こえる。
晴れていても雨が降っても三角くんは元気いっぱいだ。
びゅうびゅうと風が吹いてきて、空が暗くなってきた。
春の嵐は雷を連れてくる。
私は急いで洗濯物をしまう事にした。


ここには適度に頭を使って、適度に体を動かす仕事がある。
そうしているうちには辛かった事を思い出さずにすむし幸せだった事を思い出して胸を痛める事もない。
中庭に干していた生乾きの冷たい洗濯物を抱えたままぼうっとしてしまう。
時折勝手に思考が停止してしまう事を除けば大丈夫なのに、と後悔の海へと素足の指先をつけたところで、慌てて引き抜いた。

洗濯物を片付けたら備品データの打ち込みでもやろうかな。
毎日やらなければいけない事があるのがありがたい。
無茶な量の仕事を振ってくれる古市さんには感謝するばかりだ。
たくさんの考えるべき事があって、処理をする雑務がある。

それにおいしいご飯と暖かい布団。
人の気配は寂しさを忘れさせてくれる。
真夜中の永遠に続くとも思える闇の中にいても、ひとりじゃない。
誰かかが中庭で朗読をする声や部屋から漏れる灯りが眠れない夜も慰めてくれる。
目を閉じて他人の立てる音に耳を傾けながらゆっくりと深呼吸をしているといつの間にか朝を迎えることが出来るのだ。
今はまだ戸惑う事も多いけれど、私はここで過ごした日々を一生忘れないだろう。
途方にくれた私に居場所をくれた優しい人達。
どうかその優しい人たちの役に立てます様に。
春の生暖かい嵐に祈った。










洗濯物を取り込み終わって談話室へ入ると茅ヶ崎さんがテレビゲームをしていた。
前髪を結っておでこを出したスタイルは見慣れたものだが平日の昼間にいるのは珍しい。
(と言うか、普通の会社員は平日の昼間に家にはいない)
そう言えば昨夜の天気予報で爆弾低気圧によって天候が荒れると言うのを聞いた後会社を休むと言っていたなと思い出した。
なんだか聞いた事のある音楽が聞こえたので、画面が見えるとことまで移動する。

「見ててもいいですか?」
「邪魔しないなら別にいいけど」

茅ヶ崎さんが画面から目を話さずに答えた。
廃墟のような建物の中を歩く少年と少女。
切なくて甘い美しい音楽が、地面から湧き出た影によって緊迫感のあるメロディーへと変わる。

少年は少女の手を引いて扉まで走った。
時々手に持った木の棒で、影を追い払いながら。

ああ、そうだ。
このゲームは昔プレイしたことがある。
他にもソファーは空いていたけれどわざと至さんの隣に座った。

「…」

あれ?伝わってない?!めちゃくちゃ変なやつだと思われてる??
若干引き気味の至さんに慌てて弁解をする。

「あの、セーブです。ヨルダのつもりで…えへへ」

ゲームの再現をしてみただけで、セクハラとかじゃないんです!と心で付け足しながら。
至さんは「あー、」と間延びした声を出してからにやりと笑った。

「なんだ俺、襲われちゃうのかと思った」
「んなっ?!変な事言わないでくださいよ!!」

冗談にしろ誰かが聞いていたらどうするんだ、全く。
はい、とコントローラーを渡される。

「これ二周目だから、俺ヨルダね。」

このゲームは一周目は一人でしかプレイ出来ないが、一度クリアすると二人で遊べるようになるのだ。
至さんは、テレビの下の台からもうひとつコントローラーを出して繋いだ。
お昼ご飯まで休憩にしようと決めてコントローラーを握った。
クルクル回ったり、ジャンプしたり操作方法を確認する。


ーこの手を離さない。僕の魂ごと離してしまう気がするから。







「いやいや、めっちゃ決め台詞言ってたけど、綾波さんゲーム下手すぎワロタ」
「あの細いとこ、斜めに進むの難しいんですよ……」

謎解きで詰まると至さん扮するヨルダがヒント出してくれるのだけど操作が上手くいかず、ジャンプに失敗するわ高いところから落ちるわで何度もゲームオーバーにしてしまった。

きっと至さんの一周目の倍以上時間がかかってしまっているだろう。
それにも関わらず至さんはとても楽しそうだった。

「あんな挙動不審なイコはじめて見たわ」

至さんは再び笑い出した。
思い当たる節がありすぎて、どこのシーンかわからない。
(鎖を振り子のようにして、目的地と反対方向に飛び出した時は流石に自分でも吹き出した)

「楽しんでいただけてなりよりです」
「うん、楽しい」

至さんがかみしめるように笑うからなんだか胸がぽかぽかした。
この劇団の人は優しすぎて、時々どうしたらいいかわからなくなる。

今もどんな顔をしたらいいのかわからなくなって、黙って画面を見つめた。
画面の中の少年と少女が石で出来たソファーに並んで座っている。
その手は重ねられているように見えた。





「綾波さんさー、どっちが好き?」

至さんがコーラのプルタブを開けながら聞いてきた。
答えようと思ったのだが、質問の意図が掴めない。

「どっちとは?」
「うん。外向きの俺といまの俺。あとお芝居してる俺がいるから……だからどっちじゃなくてどの、かな?」

今度はポテチの袋を開けている。
こんな身体に悪いものを好きなだけ食べてもイケメンを保てるなんてずるすぎると思う。

「うーん……って全部至さんじゃないですか!ボーボボの人気投票じゃないんだから。あー、でもこれくらい気を抜いててくれると安心します」

一緒にいることを許してもらえたようで。
後半の部分は心の中で付け加えながら笑っていると肩に重たいものがどさりとかぶさった。

「レイこの前のあれ作って」

甘い香りがして、低い声が耳元で聞こえる。
あまりに近すぎる距離にビクッと身体が震えた。

「ひ、密さん。びっくりするから……」

足音も立てずに後ろにいたのは眠そうな目をした密さんだった。

「ごめんなさい」

特に表情も変えずに密さんが謝る。
ええと、それでなんだっけ。

「この前のって、あのマシュマロのってるやつ?」
「そう」

先日休憩中にカフェラテにキャラメルマシュマロをのっけたものを密くんと飲んだのだが、どうやらお気に召したらしい。しかしいきなり肩の上に現れるのはびっくりするからやめて欲しい。
じっとこちらを見つめる密さんと一緒にキッチンに行ってマシュマロラテを作る。

「ここにマシュマロ入ってるのでいつでも飲んでいいですよ?」
「ぜんぶ?」
「うーん、まあいいか。大丈夫です」

そう言うと密さんがふわりと笑った。
うう、この子も天使かなぁ。

「このマシュマロ三角じゃない……!!!」

ぎゅうと首に手を回されて思わず手に持っていたマグを落としそうになった。

「三角くん危ないから!」

ここの人達は心臓に悪い。
さっきまで居なかったはずの三角くんがキッチンにきていた。
三角のマシュマロがのったのが飲みたいと言うので楕円形のそれを三角ぽくなるように半分にカットしてのせる事にした。
(こ、子供騙しすぎるかな……)

「えへへ、三角だ〜。レイ大好き!ありがと〜」

本当にうれしそうに笑うから、泣きたくなってしまった。
慌てて上を向いて涙を飲み込む。
幸せだったら笑っていたい。

ソファーに戻ると密くんが私の足を枕にして眠りだし、上機嫌な三角くんが寄りかかってくる。
至さんがスマホを操作しながらニヤニヤしている。

「恋愛シミュレーション"MANKAI☆ACT"イケメン役者とひとつ屋根の下〜オウムを添えて〜」
「これモテ期ってやつですか?」
「目指せ二十股エンド」