あの人のいいところはたくさんあった。
育ちが良くて優しくて。だからこそ物事をはっきり決断するのが苦手だったけれど、そんなところも好きだった。人に頼まれごとをすると口では断るくせに絶対にやってあげるところも。
たくさんの人に好かれていていつも誰かと一緒にいて私は見てるばっかりだった。そんな君が、私みたいなわがままな女を好きだと言うなんて思わなかった。この恋はその他大勢で括られる私の一方通行だとばかり思っていたから。

「恋人と一緒に買い物に行って料理をするのが夢だったんだ」と豆腐のパックすら開けられないあなたが幸せそうな顔で言うから私だって幸せだったんだ。

ピピピと電子音がけたたましく鳴って、夢から覚める。ああ、夢を見ていたのかと泣きながら起きて、なんの連絡も入ってない携帯電話を持て余した。探すように布団の端まで手を伸ばしてもそこにはなにもない。
おはようを好きな人に言えるなんて、どんなに幸福なことだったのだろう。
最後の方はそれすらわからなくなっていた惰性のような恋だったのに。失くした途端うまく朝を迎えられないなんて。

昨日は平気だったのに、その気持ちを思い出すのも億劫だ。なにもしたくない、もう一度眠ってしまいたい。目を閉じて耳をすます。誰かのバタバタと廊下を走る足音にやっと涙を拭くことが出来た。そうだひとりじゃない。笑え。
鏡を見たら見事に泣いたのがわかるブス顔だったので念入りに化粧をする。さすがにまだ引きずっているなんて、言えない。










キッチンには誰も居なかった。そうか布団でぐずぐずしていたからみんなもう出かけたんだ。ほっと胸をなでおろす。お鍋の中にはポトフがあったから温めてる間にシンクに残っている洗い物を片付けちゃおう。思ったより洗い物が多くて、先にお鍋の方がコトコトと鳴り出した。慌てて泡だらけの手を伸ばそうとすると大きな手がぱちんとコンロの火を消した。

「セーフ」
「あ、りがとうございます」
「お〜、レイちゃんはよ〜」

火を止めてくれたのは万里くんだった。いかにも今起きましたと言う感じの姿で欠伸をしている。

「万里くんもご飯食べる?」

バコンと冷蔵庫を開けてミネラルウォーターを出した万里くんに聞く。きっと昨日遅くまで至さんとゲームしてたんだろうなあ。

「俺のもあんの?」
「うん、パン焼く?」

パンはいいやと言うので自分の分だけトースターに入れる。お鍋にはまだたっぷりとスープが入っている。くるりとお玉でかき混ぜると、にんじんが面取りしてあるのが見えて臣くんの仕事の丁寧さに感嘆のため息がもれる。

「それポトフ?」

斜め上からの声に顔を上げると思ったより近くに万里くんの顔があった。

「そ、そうだと思う」

びっくりして勢いよく視線をそらしてしまった。不自然だったかなと思うけどまだ背中に万里くんがいるのを感じてしまって動けない。

「なあ」

耳元で低い声がして万里くんの香水の匂いがする。

「まだ忘れらんねーの?」

カッと顔に血が集まる。年下の男の子に揶揄するように言われたのが恥ずかしくてぎゅっと目を瞑った。もっと万里くんの匂いが強くなって、それで、

「おい、盗撮やめろ」

いつの間にかキッチンに来ていた一成くんが万里くんにアイアンクローをされていた。

「セッツァー顔怖いよん!あギブギブ!!邪魔してゴメンてば」

2人が戯れてる隙に、器にポトフを盛り付ける。一成くんも食べるかな。

「レイちゃーん!ヘルプ〜」
「ええと二人ともご飯できたよ。って私が作ったんじゃないんだけども」

テーブルにお皿を並べて座る。万里くんが隣の椅子を引いたので少しだけドギマギした。いやでも前の方が顔を見なきゃいけないからあれだな。こっちの方が多分ましだな。

「そだ、二人とも春組に新しい人来るの聞いた?」
「あ?あー、至さんとこヤツだっけか」
「そそ!歓迎会楽しみだよねん!」

二人が話すのを相槌を打ちながら聞く。新しい春組がどうなっていくのか楽しそうに話すのを聞いて、この劇団の人はみんな変わることを受け入れるのが早いんだなと思う。私なんて昨日の繰り返しを生きてるだけなのに。

「ね!レイちゃんもいいと思うでしょ?!」

ぼんやりしていたせいで話を振られたのに気がつくのが遅くなった。

「うん、そうだね」

聞き返せば良かったのに万里くんの視線が怖くて曖昧に笑って誤魔化した。

「じゃあ、歓迎会夜の部は大人組で乾杯しよーね♡」

なるほど万里くんのあの睨みは自分がまだお酒飲めないとこについてだったのかと思ったところで「え?!私も?!」素っ頓狂な声が出た。







新しく春組に入った人は至さんの会社の先輩で卯木千景さんと言う方だった。さすが社会人と言うだけあってか自己紹介を兼ねたマジックであっという間にMANKAIカンパニーのみんなと打ち解けているようだった。それで雪白さんが持ってきてくれたシャンパンで乾杯して、ちょっと珍しい日本酒を開けてもらって、それでわたしすっごく楽しくなちゃって。

「って卯木さん聞いてます?」

目の前の卯木さんをガクガクと揺さぶる。う〜、自分も揺れて気持ち悪くなりそう。

「うーん、俺は失恋した事ないからちょっとわからないかな」

掴んでいた手を外しながらサラッと返された。

「この劇団ってイケメンしかいないのが難点だと思います!!!」

叫んでいる途中から至さんに口を塞がれる。

「レイさんこれ飲んで落ち着きな〜」
「イケメンはみんな敵だ!!!」

よしよしと宥められてわたしはまだ酔ってない!と叫びたくなった。

「はいはい〜、禍福は糾える縄の如しってね。そうだ、ちょっとレイさんここタップしてみて」

スマホの画面を突きつけられたので言われた通りに画面を触った。至さんに抱えられながら、一緒にスマホの画面を覗く。くるくると虹色に光るのがきれい。

「うわ、SSR確定演出キタコレ!!」
「う〜〜不幸が食い物にされる〜〜〜」

泣きながらずるずると横になる。なんかもう眠い。

「待って待ってレイさんそこで( ˘ω˘ )スヤァしないで!あ、密もう寝るならレイさん連れてって」

ペチペチと頬を叩かれる。

「レイ一緒に寝よう」
「んむ、眠い」
「至と卯木さん?おやすみ、ほらレイ立って」
「おつおつ」
「ああ、おやすみ」

ごしごしと目を擦りながら立ち上がる。目が半分しか開かないので色んな所にぶつかりながら歩く。一度密さんにぶつかった時はお砂糖みたいな甘い匂いがした。部屋の電気をつけないでそのままベッドに倒れこむ。シーツが冷たくて気持ちがいい。甘い匂いがするふわふわしたものを抱きしめならが私は意識を手放した。