マレウス・ドラコニアは夜の散歩が好きだ。
生物が常に死へ向かっているように、世界もまた崩壊へと向かっている。
夜の闇はひたひたと世界に満ちてそれを教えてくれた。
綻んだ建物を守るガーゴイルは今日も美しい。
彼は入学してから何度も足を運んでいる廃墟がいつもと違うことに気がついた。
ギイと掠れる音を立てた門を通り抜け、廃墟の中へと足を踏み込んだ。
玄関は最近物を動かしたような跡があり、廊下は簡単ではあるが掃除をした形跡があった。
取り壊す、と言うことではなさそうだと談話室の入り口に立ってそう検討をつけた。
それならば散歩に戻ろう。そう思ったところで、視界の端でもぞりと動くものがあった。
染みのついたソファーに小さい生き物がふたつ折り重なるようにして眠っていた。

「ふむ」

マレウスは近くに寄ってそれを見た。
破れたカーテンの隙間から月光が差し込み柔らかい影を落としている。
厚く瞼にかかる黒い髪が鬱陶しそうに見えて、片手で払ってやる。
しっかりとお互い身を寄せ合い眠る生き物は、温かくて柔らかかった。
呼吸で上下する胸を見て、命の音を聞いた。
一瞬胸が熱くなったが、小さいものの命の火は短い。
マレウスは、この建物を出る時に今日の散歩の事は忘れてしまおうと決めた。
彼の背負っているものは生物の死に想いを馳せるには重く、彼の一生は死を悼むには長い。
入ってきた時と同じように静かに彼はギイギイと鳴る門を出た。





“ 君は行ってしまった、天の深淵が
君の姿を呑みこんだ。だがわたしの心には
君の与えてくれた教訓が深く沈み、
 すぐに消え去ることはないだろう。”




「おはようございます、ふたりとも。よく眠れましたか?というか、君たちそんなところで寝たんですか」

朝日が高くなってから元寮のその建物に降り立つと、1人が毛を逆立てた1匹を宥めているところだった。

「ベッドに寝そべったら底が抜けてびっくりしたんだゾ!」

彼の腕から抜け出した獣は腰に手を当てながら訴えてくる。
なるほど、ベッドが使い物にならなかったから談話室のソファーで寝たと。
彼も流石に怒っているかと思えば、ソファーの上でまだぼんやりとしていた。
頭の回転が遅いと言うわけではないのに、彼は判断をしない。
感情表現は豊かなのに自分の不利益に抗議しない。
何もかもそっくりそのまま受け入れてしまうのだ。
魔法でベッドを直すことも寮をきれいにすることも出来けれど、彼がどうするのかが気になってそのままにした。

さてと、ここへ来た目的を果たそうとしたら彼の上半身に毛布がわりにしてた式典服がずり落ちてた。
ぶかぶかのタンクトップから薄く皮膚がはった鎖骨が見えている。

ぶわと胃のあたりから熱いものが込み上がって、目の前がぐらりと傾いた。
ただの貧相な少年がそこにいるだけなのにだ。
美しいだけのものは見慣れている。
それに成熟した色香に欲情する事はあっても、未熟なものに邪な気持ちを抱く趣味はない。
ただ、あまりにも無防備で動揺してしまっただけなのだ。
誰にするでもなく言い訳を並べて深呼吸をする。

「今日のお仕事は学園内の清掃です。レイくんは魔法も使えないですし、その格好では掃除は無理でしょう」

魔法を使って彼に学園の運動着を着せる。
どの寮のでもない、クラスの番号も入っていないものだ。
学園に所属するものだと分かり、よく見れば生徒ではないとわかる仕様だ。

「あ、すみません。ありがとうございます」

彼は立ち上がり、不思議そうにあちこち引っ張ったりしている。

「わあ、これ半袖と半ズボンにもなるんですね。すごい!」

急に服が変わった事より、そっちの方が気になったようだ。
その様子が子供が新しいおもちゃに目を輝かせるように無邪気で、ぴょんと寝癖のついた黒髪を摘む。

「あなた素直でかわいいですねぇ」

さっきの動揺も嘘のように微笑ましい気持ちになった。
本当になんでうちの学園に招かれてしまったんでしょうねえ。
彼は顔を赤くして俯いてしまった。
男子生徒に言う台詞ではなかったが、改めて感情がだだ漏れの反応に感心する。

「ごほん。いいですか、レイくん。昨日のような事が起きなよう、グリムくんをしっかり見張っていてくださいね」

わかりました。と彼は神妙な顔で頷いた。






ナイトレイブンカレッジに入学出来たことこそ喜べど、それがわかってしまえば入学式なんてただの退屈な式典でしかなかった。
鏡の前に立つよりも先に、ハーツラビュル寮に配属されるだろう事は7つ上の兄がそうだったので予想していた。
そのほかの新入生は皆緊張した様子で、取り立てて興味を惹かれる奴もいない。
欠伸を隠すこともなく早くおわんねーかなと思っていると、学園長と名乗った長身の男が鏡の間に入ってきた。
赤いロープにぐるぐる巻きになった猫とひとりの少年を連れて。
おどおどとした黒い目をした少年が鏡の前に立つと、聞いたことのないイントネーションで恐らく彼の名前だろうものを呟いた。
それは音としては機能していたが、言葉としては入ってこなかった。

「ふーん」

周りの騒めく音が遠くに聞こえた。
彼はちらりともこちらを向く事はなかった。
それがなんだかムカついた。


だから次の朝にメインストリートにその少年が立っているのにすぐに気がついた。
寝癖のついたボサボサの髪。寮配属されてない体育着から覗くヒョロヒョロとした頼りない体躯。
こんなヤツ気にとめる程もない、と思う。
腕に抱いた猫と一緒にもの珍しそうにグレートセブンの像を見ているヤツなんて。
ちょっとからかってやろう。

会話に入るのは簡単だった。
こっちが拍子抜けしてしまうほど。

「ハートの女王を知らねーの?」

喋るモンスターも魔法が使えない人間も、持たざる者の癖に他人を疑う事すら知らねーのかよ。
本当にグレートセブンを知らなかったようで、感心したように説明を聞いている。

「オレはエース。今日からピカピカの一年生。どーぞヨロシク♪」

愛想よく言えば、よろしくなんて笑顔で言う。
あーあ、脳みそ足りてなさそー。

「クールだよな〜。……どっかの狸と違って!」
「ふな”っ?!」

面食らった顔に盛大に吹きだす。

「プッ……あははっ!もう堪えるのの無理だ!あはははは!なあ、お前ら昨日の闇の鏡に呼ばれたのに魔法が使えない奴とお呼びじゃないのに乱入してきたモンスターだろ?結局入学できずに2人して雑用係になったわけ?はは、だっせー」

一気にそこまで捲し立てると猫の方が怒りでプルプル震えてるのがわかった。
それなのに、少年の方が猫の方に意識がいっているのかこちらを見てすらいない。

「どんだけ世間知らずなんだよ。幼稚園からやり直すのをオススメするわ」
「ぐぬぬぬぬぬ……」
「グリム、ど、どうどう」

彼の黒い目がこちらを向いていた。
その中にある感情は怒りではなく困惑だ。

「ちょっとからかってやろうと思って声をかけたけど、色々と予想を超えてたね。んじゃ、オレは君たちと違って授業あるんで!せいぜい掃除頑張ってね、おふたりさん♪」
「コイツ〜〜!言わせておけば!もう怒ったゾ!」

入学式でも見た青い炎が顔の横すれすれに通り過ぎていった。

「うわっ!っと、危ねえ!なにすんだよ!」
「その爆発頭をもっと爆発させてやるんだゾ!」

相手を睨みつけると、どうだと言わんばかりに踏ん反り返っている。
腹立つ〜〜。

「へ〜ぇ、オレとやろうなんて良い度胸じゃん」

マジカルペンを握る。
あんな速度の炎なんて一度見れば十分だ。
ペンを振って風をおこすと簡単に炎は軌道を変えた。
どうだ!と彼の姿を探すが、まわりに集まりだしたやつらと何かを話していた。
おいちゃんと見ておけよ!!!って

「あ”ーっ!やべっ!ハートの女王の石像が黒焦げに!」

ちょっと余所見をしたらとんでもない方向に炎が向かっていってしまった。
逃げるにしても人が多すぎる。

「こらー!!!なんの騒ぎです!」

そして間の悪い時に学園長が現れた。
逃げようとしたグリムとレイそれにオレまで愛の鞭とやらに捕まってしまった。
ナニコレ無駄に痛い。

「この私から逃げようなんて100年早いんですよ!」

学園長の金色の爪がレイの顎をすくう。
いや、なんか近くね?

「ごめんなさい。一応止めようとはしたんですけど……」

横を向くとレイと視線がぶつかった。
やーい怒られてやんの。

「まったく……。君、学年と名前は?」

うえっ?!やっぱりオレも怒られんのかよ。

「エース・トラッポラ。……1年デス」

肩を落としながら名乗ると隣でレイとグリムが声を出さずに笑っている。
ちきしょー。

「では、トラッポラくん。グリムくん。そしてレイくん。3人には罰として窓ふき掃除100枚の刑を命じます!」










「グリムはさ、この世界のひと?なんだよね?」

街灯のてっぺんを雑巾で磨いていたグリムがそんな当たり前のこと返事をするまでもない、といった風に尻尾を軽く振った。

「この学校の事は知っていたのに、そのグレートセブン?っていうのは知らなかったんだ?」
「人間のことなんて興味ないんだゾ」
「そうなんだ?じゃあ、この世界で私たち本当に生まれたばっかりって感じなんだね」

でもまあ、言葉がわかるから良かった。
きっとこのままじゃ帰る方法を調べるどころか、知らない法律とかルールを破って犯罪者になりそう。
まずは図書館にある本でこの世界の知識を学ばないと。

「オイ、手が止まってるんだゾ!」
「あ、ごめんごめん」

汚れていた雑巾をバケツの中でゆすぐ。
春みたいに光が柔らかいのに、空は澄んで高い。
明るい木々の葉が通り過ぎる風にさわさわと揺れている。

「お昼寝したら気持ちいいだろうな」
「オレ様腹が減ったんだゾ〜〜」
「ん、多分もうすぐお昼になるよ。もうちょっとがんばろ」

メインストリートの奥にある運動場から声が聞こえる。
遠くに見える人影は、青々とした芝から浮いていた。

「あ!グリムあっち見て!飛んでる」
「ふああ、人間は箒がないと飛べないなんて不便なんだゾ〜」
「たしかに〜。グリムってすごいね」
「でも疲れるから抱っこするんだゾ」

よいっしょっと。
授業が終わる鐘の音が聞こえたので、グリム抱き上げて一緒に食堂へ向かう。
ゆっくりと歩いていると数人の生徒に抜かされた。
パタパタと横を走りさる彼の胸元に刺したペンの宝石がきらっと光った。

「すごいね〜。ここにいるみんな魔法使いなんだもんね」

朝みたいに誰かに話しかけられる事は、ない。
あからさまに無視されているわけではないけれど少し居心地が悪かった。

「ていうか、男子ばっかりだね。しかも顔面偏差値がカンストしてる。今更だけど、この学校こわ」
「人間なんてみんな同じ顔に見えるんだゾ」

先程からグリムは呆れたような口調だが、無視せずに返事をしてくれるのがうれしい。

「え〜?グリムったら褒めすぎだよ〜」
「全然褒めてないんだゾ……」

人の流れに乗って辿り着いた大食堂の中は学生でごった返していた。
大きな木の枝みたいなシャンデリアと礼拝堂みたいな大きな窓と高い天井。
厳かな室内も空腹の若者が集うと活気づき、ただの学食だ。
とりあえず、人だかりのできている方へ行くがイマイチ勝手がわからない。

「ねえ、グリム。クロウリーさんが朝言ってたのってここのことだよね?」
「あっちにうまそうなのがあるんだゾ!!」
「ちょ、グリム?!待って!!」

グリムが軽々と背の高い生徒たちの頭上を飛び越えて、見えなくなってしまった。
私も割と背の高い方だと思ったけれど、ここだと平均以下みたいだ。

「困ったな……」

周りもよく見えないし、どこに並んだらいいのかもよくわからない。
クロウリーさんは食堂を使っていいと言っていたけれど、お金のことも聞いていなかった。
誰に尋ねたらいいかもわからないし、人の多さと不安でちょっと気持ち悪くなってきちゃったな。
どん、と背中に走った衝撃に踏鞴を踏む。

「悪い、怪我はないか?」
「あ、いえ。大丈夫です」

恐らくこちらが邪魔な位置に突っ立ってたのが悪かったのだけれど、相手の男の人はこちらを気遣うように声をかけてくれた。

「ん?なんだ新入生か?」
「あ、えっと……そんな感じです」

両手でトレーを持った背の高い人は困ったように笑った。

「ははっ。はじめは面食らうよな。手前がパンやサンドウィッチの購買、奥に日替わりランチやパスタなんかの定食があるぞ」
「なるほど」

人の塊が数カ所にあるのは目的別に並んでいるのか。
納得したところでグリムの叫び声が聞こえた。

「レイどこ行ったんだゾ〜?!」
「あ、グリム!!」

べたと頭に貼りついたグリムを抱きかかえる。

「もう少し説明してやりたいんだが、連れが待ってるんだ」
「いえ、とても助かりました!ありがとうございます」

軽くお辞儀をすると、さっきグリムが乗っていたあたりにぽんと手が置かれた。

「またな」

器用に片手でトレーを持ったまま、反対の手をあげてテーブルの方へと歩いていった。

「はあ〜、背が高くてイケメンってだけでもやばいのに、すごい優しかった」

朝の男の子には話しかけられた事を感謝してたけれど、やっぱりあれだ。
アイツいつか泣かす……!

「そんなことより早く行かないと売り切れちまうんだゾ〜!」
「そだね。ってか、ここってツケで買えるのかな……」
「俺様はデッケー肉が入ったヤツにするんだゾ」
「はいはい。ご飯食べたらまた掃除頑張ろうね」








真新しい制服のごわごわとした感触が僕を落ち着かない気持ちにさせた。
新品の制服、新品の靴、新しく生まれ変わった自分。
歴史のある建物は過去の時間をその体に内包していて、体積は変わらないのに時間はどんどんと積み重ねられ詰め込まれていく。
それは圧縮されその見た目ではわからないような重さを持ち、時折それを感情として発する。
誰かがここで立ち止まり、思考し、また去って行った。

「俺は優等生俺は優等生俺は優等生」

初日の授業はきちんと受けられた。きっと明日からも大丈夫だろう。
服装の乱れなし。忘れ物なし。よし、あとは寮に帰るだけだ。
鏡舎にはいって大きく息を吸ったところで、バタバタと駆け込んでくる足音が重なった。

「その人掃除をサボる悪い人です!捕まえて下さい!」

声の主は見えないが赤い髪のクラスメイトが飛び込んできた。
捕まえる。捕まえる。ええっと

「いでよ!なにか重たいもの!!」

ドスンと大釜の下敷きになったクラスメイトに、後から息を切らして走ってきた黒髪の少年。
この名門校で二人はもうなにか仕出かしたらしい。
話しているうちに巻き込まれ、気がついたらシャンデリアが割れていた。
そう言えばこの学園に入学してからまだ時間が経ってないとはいえ、人と授業に関係ないことを話したのは初めてだなと思った。
呑気に話していたら退学の二文字に出会うことになってしまったのだが。
誰からみても立派だと言われる様な人間になろうと思った。
すぐには無理かも知れない、でもそう努力しようと思ったんだ。
だから俺はいまここで、退学になる訳にはいかない。









「懲らしめビィーム!!!」
「いや、なにそれ?!」

本当は魔法使えるんかい!と突っ込もうとして、結局なにもビームらしきものが出てないのを確認した。

「今日の午後すごいかわいいロボ…?の男の子が言ってたから効くかなって」
「そうゆうのいまやめてくんない?!」
「ゴーストも息が上がってるんだゾ〜」

ドワーフ鉱山に鏡を使って来たのはいいけれど、魔法石の手がかりを見つける前にゴーストに追われている。
何故か走って逃げているうちにゴーストも疲労を見せ始めなんとか巻く事に成功した。
が、鉱山の入り口だと思われる、暗い空洞の前て立ち竦んでいる。
ただでさえこの森は気味が悪いというのに、風が通り抜ける音なのか不気味な音が洞窟の中に響いている。
マジカルペンの小さな灯りを頼りに三人と一匹は団子の様にくっつきながら先へ進む。

「今日は絶好のバナナフィッシュ日和…だね……」

時折天井から落ちる水滴の音がやけに大きく聞こえる中で、一番青白い顔をした彼が言った。

「なんだ?そのバナナフィッシュ?と言うのは」

デュースが律儀に返答を返しているけれど、そんな魚聞いた事もない。
まあ、魚の種類なんてそんなに知らねーけど。
おおよそ只の作り話だろう。
何か話していた方が気が紛れると言うのはわからなくもない。
凹凸のある洞窟内の壁にグリムの尻尾が影を落とすだけで、心臓がどくりと脈打ちはじめるのだから。

「うん、すごく変わった習慣を持っていて…」

ゴォォォォン。

「い、いま」

なにか聞こえなかったか?と問うデュースに応えることは出来なかった。
明らかに怪物だと思えるものの姿が灯りに照らされたからだ。
一瞬悲鳴の様なものが喉の奥で暴れたが引きつった音しか出なかった。
ゴーストとは比べものにならない、その何か。

ゴォォォォン。

「い、ジハ、ワダザ…ナぃ」

人間でいる顔の部分からタールみたいな黒いドロッとした液体が硬い地面へと垂れる。

ゴォォォォン。


「っぎゃ〜〜〜〜〜〜!!!!」

誰のかもわからない悲鳴で金縛りにあった様に硬直していた身体が動き出す。

「いいからとにかく走れ!」

とにかく叫んできた道を戻ろうとする。

「でも、あれ魔法石じゃない?!」

悲鳴の様な彼の声に振り返ると、何か、の後ろに光るものが見える。

「クソッ」

デュースがマジカルペンを振って大釜を出すがそいつは一瞬動きを止めたが、構わずこちらへ向かってくる。

「ぶなぁ〜〜〜!」

グリムは一目散に入り口へ飛んで行った。
走るとペンの灯りが揺れて、足元まで気にしていられない。
何かが壊れた地獄みたいな声で叫ぶ。
外の灯りが見えて来た。
月明かりがここまでくれば安心だと告げる。
気を抜いたせいか鉱山の出口を三人まとめて文字通り転がりながら脱出した。








「大丈夫か?」
「あ、ありがと」

助けてくれたお礼を言うと、ぽかんとした顔で見返された。
エースはよくわからないしかめっ面をして手のひらを見ている。
怪我しちゃったのかな。

「えっと、デュース?」
「いや、何でもない。と言うか、もう少し鍛えた方がいいんじゃないか?」
「あ、うん。今まさに痛感してるところ」

お勧めの筋トレとかあったら教えてと続けると、エースに「そんな話してる場合じゃなくね?」と突っ込まれた。

「そうなんだよね」

久しぶりの全力疾走に乱れた呼吸を落ち着けようと深呼吸をする。
現役の男子高校生との体力の差に愕然とするが、それよりも今はさっきの怪物退治だ。
みんなで力を合わせたらなんとかできるかも知れない。
喧嘩する二人とグリムをどうにか宥めて作戦を話す。
正直作戦と言えるほどのものではないけれど、他に手立ても思いつかない。
案の定エースはそんな事をするくらいなら退学でいいと言った。

「私は魔法が使えないし、囮役をするよ」
「は?一番鈍臭くて体力もないくせに?」

エースが苛つきを隠そうともせずに嘲笑した。

「信じてるから。みんなのこと」

別に嘘でも何でもなかったのに、デュースが傷ついたみたいな顔をした。
三人の魔法は本当にすごいと思う。
私はなにも持ってないけど、一度ビルから飛び降りた女だ。
女は度胸!丁度、囮としてのギリギリ捕まるか捕まらないかの距離は保てると思う…。多分。
それに、さっきは一人ずつの魔法じゃじゃ足止めにもならなかったけれど、組み合わせ方によっては単なる二倍以上の力が出ると思うのだ。

「オマエらがいなくてもオレ様が子分のこと守ってやるんだゾ。そんで初日に退学したダサいやつらに代わって生徒になってやるんだゾ〜!」
「たしかにその手があったね」

わかりやすいグリムの挑発にあえて乗っからせてもらった。
自分もそうだったとはいえ、何故思春期って本気出すのをダサいって思うんだろう。
腰パンとか流行ってたし、そう思うとデュースって大人だな…。
協力するなんて嫌だと言っていたエースの顔が引きつるのがわかった。

「そこまで言うならやってやろーじゃん」

エースがデュースと私の肩を引き寄せながら悪い顔で言った。








「もうっ、ビルから、飛び降りたりしないって誓いますっ」

昨日から慣れない全力疾走をしているからか、喉から血の味がする。
走るのってこんなに苦しいことだっけ。
目的のポイントまで誘導が成功したのでその場に倒れこんだ。
あ〜〜〜、これ以上走ったら吐きそう。
三人の声がする、ちゃんと上手く行ったのかな?
バタバタと足音が近寄って来て、顔を上げる前に手を引かれた。

「寝てる場合じゃないぞ!」
「え?え?」
「早く立て!」

何かがゆっくりとした動作でこちらに向かってくる。
どろりどろりと、黒い液体を零しながら。

「魔法石は?!」

三人が一度顔を合わせてニンマリと笑う。
どんな宝石とも違う虹色の石がエースの手に握られていた。

「すごい…!」
「オマエが鈍臭くなかったらこのまま撒けたわけだけど、どうせだしパパッと倒しちゃいますか」

皮の手袋をした手がグッと押し付けられる。

「それ持ってちょっと待っててよ」

不思議な石だ。ひとつの石なのに色々な色が詰まっている。
グリムもエースもデュースもみんなボロボロだった。
走り過ぎたし変な奴に殴られるし何なら仲間割れもしたし。

「あーあ、誰かさんのせいで余計に疲れた。さっさと帰ろーぜ」
「レイのおかげで退学にならずに済みそうだな!」
「オレ様もう一歩も動けないんだゾ〜」

服は泥だらけだし擦り傷もいっぱいあるしもう足は棒のようだけど。

「あはははっ」
「なに急に笑ってんの?怖いんだけど」
「だ、大丈夫か?」

「なんかもう笑うしかないなって」

疲れたし怖かったけど、気持ちは清々しい。
こんな無様で達成感のある勝利ははじめてだ。

「みんなありがとうね」
「いや、お前とグリムのおかげだ」
「恥ずかしーやつ」

鏡を通って学園に戻るまで三人で押しくら饅頭をするみたいにしながら歩いた。








「いや〜、魔法が使えないヤツが入学初日で監督生とか」
「明日からは同級生だなレイ、グリム」
「上手くやっていけるかなぁ……」

この世界の事もわからないし魔法も使えないのに明日から生徒としてやってくなんて不安しかない。
そもそもこんな若い子たちと一緒にやっていけるのだろうか。
魔法士になりたいグリムはこれで良かったけど、私は雑用係のままで良かったのに。
まあ、なるようにしかならないか。

「んじゃまた明日な〜レイ」
「あ、うん。また明日」

二人が小競り合いをしながら去っていくのをぼんやりと眺める。
そっか、また明日も一緒に居てくれるんだ。
なんとなくこの世界に居ることを許されたような気持ちになった。

「グリム、明日からもよろしくね」

鼻歌を歌うグリムをぎゅっと抱きしめた。



“ 果てしない大空の端から端へと
君の飛翔を確かに導き給う方は、
わたしのひとりたどらねばならぬ長い道でも
 正しい歩みを示し給うだろう。”