氷帝学園の敷地は無駄に広くて最初に見た時はテンションが上がったけれど、通っているうちに何事もコンパクトにまとまっていた方がいいなと思うようになった。それでも春休みぶりに登校すると整備された木々や花、最早荘厳な校舎も綺麗だなあなんて思った。
 新しいクラスを知らせる張り紙の前にはたくさんの人が集まっている。2年から3年に上がる時にはクラス替えはないと思っていたのにどうやら違うらしい。とぼとぼと張り紙から少し離れた所に立つ。流石にあの人混みを掻き分けて確認する度胸はない。せめて半分くらいに人数になるまで待とうと木陰の中へ入った。
 なるべくお金持ちの人と強い部活に入っている人が少ないクラスがいいなあ。なんて言うか実力主義を歌っている学園なのにクラスはみんな平等にシャッフルするのは如何なものだろうか。推薦で入学した生徒や寄附の金額が多い生徒は特別クラスとか作ればいいのに。凄い人達は凄い人達でまとめて管理しておいて欲しいと言うのが私たち一般平凡生徒からのお願いだ。
「なんやレイちゃん前行かへんの?」
「……」
「相変わらずつれへんわ」
これ見よがしにため息をつく姿はおおよそ中学生とは思えない謎の色気がある。そんなものはみんな道頓堀に捨ててからこい。大体の厄介ごとはこの忍足侑士と言う男のせいだったのを思い出した。ため息をつきたいのはこっちだと思いながら、どうかクラスが遠く離れていますようにと祈った。
「なに?もう張り紙見てきたんじゃないの?」
立ち去ると思っていた男が未だに隣に留まっているので仕方なく声をかけた。
「レイちゃんひとりにするなんてあかんやん」
「何度も言っているけどあんたに構われる方が面倒なんだってば」
いくら端っこの方に寄ってるとはいえさっきから視線が痛い。これだから有名人は嫌だ。
「なんやの、そないなこと言うたらあきまへん」
「うわ、出た〜!腹たつNo1.お母はんシリーズじゃん。新学期早々辞めてよね」
思わずチッと舌打ちをしてしまったが、忍足の低音ボイスのお母さん言葉はなんかもう未亡人感がすごいので青少年の健全な育成に害を及ぼすと思うんだ。せっかく晴れて気持ちのいいスタートが切れるかも知れなかったのに、登校して5分でもう疲れた。
「飴ちゃんで機嫌直しいや」
「あんたのせいで疲れてるんですけど!」
差し出されたチュッパチャップスを殴る勢いで奪い取ると忍足は笑っていた。なにが「堪忍してや」だ。なにがツボったんだか知らんが、腹を抱えて笑うなんて失礼なやつだな。強奪したキャンディーはプリン味で私にはよく分からないがこう言うところがモテるのか?と思った。チュッパチャップスはコーラ味が一番美味しいと思うんだけどな。
「ほら、もう見れるんとちゃう?」
「あー、うん。分かったからもうどっか行きなよ」
しっしっと追い払うように手を振るも逆に近づいてくるので別行動をするのは早々に諦めた。
「忍足とクラスが別ですように」
せめてもの抵抗で張り紙に向かって一礼二拝する。私は平穏な学校生活が送りたいだけなのだ。
「レイちゃん聞こえとるで。まあ違うクラスなんやけど」
「そうなの?先に言ってよ!」
にこにこと笑顔で返すとしょんぼりしてますと言った顔で忍足が言った。分かっててやってるんだろうけど、それがね、余計に腹立つのよ。
「だから言いたくなかったんや、レイちゃんH組にはおらんかったわ」
「ふうん、あ!私C組だ」
興味持ってえな、としなを作りながら忍足が言う。本当に中学生かきみ。
「ほん、じゃあ宍戸たちと一緒やな」
「ん、あー、あの髪の長い人か」
「ほんま名前覚えへんなあ」
他人の名前を呼ぶイベントを発生させないようにしているので、脳内メモリに入力する必要がないのだ!
「じゃあ私行くから」
クラスも確認したしC組とH組じゃあ使う階段が別だ。これで暫く会うこともないだろう。忍足もわざわざ遠回りするつもりはないようであっさりと頷いた。
「ほなレイちゃんまたな」
 軽く手を上げて去って行く忍足の背中を見送る。またなってもう会うこともないと思うんだけど。選択授業だってH組とは絶対一緒にならないし。まあいいかと私も自分のクラスへと向かった。

◇◇◇

 俺が彼女を見つけた理由は彼女が教室の中で浮いていたからだ。自慢ではないが六回も転校生として過ごしていれば、転校生としての振る舞いみたいなものが身に付く。転校生と言うのは良かれ悪かれ異物なので、時には無条件に敬われ時には理由なく排除すべき対象になる。小学生の頃の俺は神様みたいだなと思った。受け入れられる事があっても打ち解けられる事がないところ、とか。
 それは関西から関東へ出てきたのが関係しているのかも知れないけれど。だからと言ってはなんだが、壇上で挨拶をしている最中には大体の内部の状況がわかるようになった。おそらく担任の教師よりは正しく理解していたはずだ。
 彼女は浮いていた。しかし、いじめを受けているといった感じはなかった。彼女のことをクラスメイトたちは水槽で飼っている金魚かなにか、そういった別の生き物みたいに扱った。その理由が暫く眺めていてもわからなかったので隣の席になった女の子に聞いてみたらあっさりと判明した。
「綾波さんってお母さんが昨年亡くなってこっちに住んでいる親戚の家に引っ越してきたらしいよ」
 同級生たちは彼女をどう扱ったらいいのか計りかねているだけなのだ。身近な人の死を経験した事がないので畏怖しているのだ。そして両親以外の人間と暮らしていくことを憐れんでいるのだ。
「なんか話しかけても距離があるって言うか、取っ付きにくい感じがするんだよね」
 その子の瞳がほんの僅かな短い時間、嫉妬の色に瞬いた。



 おじいちゃんもおばあちゃんもとても優しい。新しい学校に通うために自転車も買ってくれたし、お弁当だって作ってくれる。お線香の香りがする畳の部屋も落ち着くし嫌いじゃない。なのに、お母さんがいなかった。
私の心とは裏腹に、成長期の身体は何の断りもなく伸びていく。それが気持ち悪くてご飯が食べられなくなった。これ以上柔らかい肉がついたら女になってしまう。それだけは嫌だった。私はまだ子供でいたかったのだ。
 おばあちゃんはなにも言わずにお弁当箱を一番小さいものに変えてくれた。毎日色々なおかずが詰まったそれを開けるたびにおばあちゃんの優しさが苦しくて泣きたくなった。それだけはどれだけ時間がかかってもちゃんと身体の中に入れた。

「レイちゃんって教室でご飯食べへんの?」
 彼女はコンビニのパンやお菓子のような栄養補助食品を食べていると勝手に思い込んでいたので、一番端の教室の外側の壁に寄りかかって、小さなお弁当箱に色とりどりのおかずがぎゅうぎゅうに詰め込んであるその美しいお弁当を親の仇と言わんばかりに睨みつけて咀嚼してるのを見て驚き思わず声を掛けてしまった。彼女は迷惑そうにこちらを一度振り返ってからまたおかずの侵略へと戻ってしまった。ひとくちひとくちが呆れるほど小さくそして何度も噛んでからやっと飲み込む。お腹が空いてないのか、嫌いな食べ物なのか、はたまた食事と言う行為をするのが初めてなのか……、そう思わせる迫力があった。
「消化に悪そうな食べ方やな」
それで思わず思いついた事を口にしてしまったのが、彼女は我慢ならないと言った風に叫んだ。
「おばあちゃんが作ってくれたんだから残すわけにいかないでしょ!」
彼女は怒っていた。教室では見かけない姿だったのでまじまじと見つめてしまった。箸を持つ手が震えていたので泣くのかと思ったけれど最後まで涙を流すことはなかった。
「俺が食べよか?」
同情ではなかったが、どうしてそんなことを言ったのかはわからなかった。
「あんたなんて嫌いよ」
彼女はぐしぐしと強く顔を擦るとチャイムが鳴るまでゆっくりと食事を続けた。そして二度と俺の方は見なかった。



◇◇◇



 新しいクラスといえども三年目ともなると大体交流するグループは決まっていて数日間でそわそわとした雰囲気は落ち着いた。初日から本を開いていたのが功を奏したのか、優しいクラスメイトに恵まれて必要以上に構わずに放って置いてくれた。ひとつ誤算だったのは本が好きだと思われて委員会が図書委員会になったことだ。
 いや別に本は好きなんだけども。部活にも入ってないので時間もあるけれども。
 氷帝の図書館は新しくて清潔なのは好きなのだが、二階部分の床が金属で網目になっているので一階部分が隙間から見えるのがちょっと怖い。カウンター業務は接客しなくちゃいけないので返却本を書架へ戻す作業を買って出たのだが、中々これが辛い。下を見ないように見ないように抱えた本を戻して行く。これペンとか落としたらやばいやつではと思ったら背中がぞくりとした。いや気をつけるのは下にいる時か?!
「レイちゃんなにしとるん?」
「ひぃあ!!」
耳元でしっとりとした低い声が響いて思わず短い悲鳴が出た。キョロキョロと辺りを見渡して他の利用者がいないのを確認してから背後にいる男を睨みつけた。
「セクハラで訴えるよ」
忍足はポーカーフェイスのまま両手を上げてホールドアップの意志を示した。
「そない驚くとは思わへんかったんや、なにレイちゃん図書委員なん」
「そう、だからこれ以上は業務執行妨害で締め出すよ」
本当は肩パンのひとつも食らわしてやりたいのに両手で本を抱えているので手が出せない。ふん、次会ったら覚えておきなさいよ。
「いやや、俺かてレイちゃんのこと心配しとるんやで?」
そんな真顔で言われても。と言うか心配される謂れがない。
「それなら名前で呼ぶのやめてよ」
「それは無理やけど」
大げさに肩を落としてため息をつく。本当に喧嘩売っているようにしか思えないんだけど、湿度の多いため息に突っ込むのをやめる。忍足に話し合いが成立すると思ったら大間違いなのだ。
「じゃあ早く出てって。部活中なんでしょ」
ジャージ姿の人が全く訪れない訳ではないけれど、図書館ではかなり浮いている。よくここまで入って来たなあと変なところに感心した。
「あ〜、そやねんけど。飴ちゃんポケットにはいっとるから全部あげるわ」
「別にいらないんだけど、あ、ちょっとなに?!」
おもむろにジャージの上着を脱いだ忍足がその脱ぎたてのジャージを私の腰に巻いた。うわあ、図書室のクーラーが寒いくらいだったので腰に巻かれたジャージが生暖かく感じる。私の嫌がるそぶりを見て忍足が更にぎゅっと結び目をキツく縛った。ぐえ、内臓出るかと思った。
「またジローが来たら追い返してええから」
「ええ?ちょっと」
よく見たら柱の影に寄りかかって寝ている人が居た。いつからそこに居たんだろうと思っていると、その人を荷物みたいに背負って忍足は階段を降りていってしまった。本を足元に一度置いてジャージのポケットを探ると赤い包装紙のキャンディーがいくつも入っていた。
「あ!チャオだ!!」
包装紙を開くと透明な飴にチョコレートソースが閉じ込められているのが見える。誰も見ていないのをいいことに口に放り込んだ。歯に当たってカラリと音を立てたそれは痺れるほど甘かった。



「おい、」
「なんやの跡部がジロー連れてこいって言うたんやん」
ドサッとコートへ入る前に忍足がジローを捨てるのを見て視線を地面に寝そべる大男へ移した。
「んぅ〜、何で半袖なの〜?寒そうだC」
落とされた衝撃で起きたのか、目を擦りながら上半身を起こしたジローはまだ寝ぼけているように見える。
「ジローちゃん?今日のミーティングは全員参加言うたやん。ほんでな跡部レイちゃんかて年頃の女の子やん?そないなのにあんな無防備で大丈夫かいな」
時々忍足はクラスメイトの話を一方的にする。いや、しょっちゅう綾波レイと言う奴の話を勝手にしている。こっちは見たこともないと言うのに。
「あ”?寝言は寝て言え」
これ以上時間を無駄にするつもりはないので睨み付けると忍足もジローもこちらを見ていなかった。おい。
「普通気にするやんか。なんで図書室の二階透けとるん?どこのエロ親父のアイデアやねん」
「あ〜、ぱんつ見えちゃうもんねぇ」
確か図書室を別館に移す時に予算が足らず空調が効率的に使用されるよう二階部分の床を排水溝の蓋のように金網にしたと聞いた事がる。おそらくこいつらはその事を言っているんだろう。確かに利用者が少ないが、女子生徒の利用を考えると早急に改善するべきだろう。まあそれくらい俺様が進言してやってもいい。いや、それより地区予選の話だ。
「こらジロー、いちごパンツとか言うたらあかん。今日見たのは忘れるんやで」
「ごめんだC」
ダメだこいつら放って置くと埒があかねえ。
「チッ、おい樺地」
「ウス」







 東京の祖父母の家は母と住んでいたアパートと同じくらいの広さしかなかった。はじめて中に入った時はこんなに小さい一軒家ってあるんだなと思った。お風呂は体育座りをしないと浸かれないくらい小さくてでも深くてびっくりした。それでどこかの地方の人は死んだ時に座った格好のまま埋葬されるのを思い出した。それにはどんな意味があるのだろう。
 誰もいない休日の昼間にちゃぶ台に半分身体を突っ込みながら寝転がって天井を眺めながら考えた。つけっぱなしだった小さいテレビがドラマか何かを流している。台詞は頭の中には入ってこない。丁度集中している時に周りの騒めきが遠のいていくのと同じ感覚だった。じいちゃんが蘭を育てている二重になった磨りガラスの簡易温室から湿った土の匂いがした。
 平和な昼下がりの午後に目を瞑りながら妙にお節介なある男の声を聞いた。うとうとしていたから夢を見たのか、それともなにか思い出している途中だったのか、じっとりとした関西弁は子守唄に聞こえた。こんな天気の良い日には、運動するのにぴったりだろう。そう思っていたのに、彼がテニスをしているところはちっとも思い描けなかった。だって走ったりしなさそうだったから。忍足でも転んだりするのだろうか。
 ガラリと引き戸が開く音がしておばあちゃんが買い物から帰ってきた気配がした。お帰りって言いたかったのにもう瞼も唇も動かなかった。かろうじて頭上にふわふわと揺蕩ってる意識がおばあちゃんが笑っている気がする、と言っていた。





「うわっ」
 駐輪場に自転車を置いて裏門から学園に入り人通りの数ない所を歩いていると、灌木の中に埋もれるようにして寝ている男の人が居た。こんな所で眠れるものか半信半疑だったけれど(枝が刺さって痛そう)静かに上下する胸を見て本当にぐっすりとかつ心安らかに眠り込んでいるのがわかった。しかもよくよく顔を眺めているとかなりのイケメンだと言うことも分かった。
 寝顔を眺めて十数分、ぶるりと身体が震えて両手で二の腕をさする。春だと言えどもまだ風が冷たく動いていないとまだまだ寒い。そろそろ教室に向かおうと思ったが。
「この人どうしたらいいんだろう」
 運ぶ?いやこんなでかい男子引きずっても無理だ。人を呼ぶ?先生を呼ぶのは彼にも私にもデメリットしかない。氷帝学園の教師に気安い親戚のお兄さんお姉さんタイプはいないのだ。そして、こんな時に気軽に連絡できるような友人と呼ばれる人間関係を築いてこなかったので却下。ほっとく?でも風邪引いちゃわないかな……。私の良心がこのまま通り過ぎるのを良しとしないので決心をして声を掛けた。
「あの、どこの誰だか存じ上げないのですが、その、寝るなら保健室とかの方がいいと思います」
想像通りちょっと大きな声を出したくらいじゃ目を覚ましてくれなかったので、ゆさゆさと肩のあたりを揺らす。
「授業始まっちゃいますよ」
そうだ私も遅刻はしたくない。遠慮なく揺さぶっているとようやく目を開けてくれた。
「ふあぁ〜〜〜あ、いちごちゃんだ」
「(いちごちゃん?)こんなところで寝てたら風邪引いちゃいますよ」
一件落着、その場を立ち去ろうとしたら手首を掴まれた。
「あ、あの?」
「教室一緒でしょ〜?いこ〜〜」
 勝手に手を引っ張って歩き出してしまったので引き摺られるようにしてついていく。方向からしてどうやら同じクラスのようだった。やっぱりうちの学校変な人多いなあ。自転車で通えるからって安易な理由で受験するんじゃなかった。機嫌が良さそうに鼻歌を歌いながら歩く色素の薄い髪を見ながら後ろをついていく。
 不意に前を歩いていた男の子が立ち止まった。ああ、教室に着いたのかと大きな背中から覗き見てやっと気がついた。
「あげるね」
 ぎゅっと手のひらに押し付けられたものはいちごみるく味の飴だった。最近よく飴玉貰うなあとそれをブレザーのポケットにしまっていると、先に教室へ入った男の子の声が聞こえた。
「なんで宍戸俺のこと置いていったの〜?!酷すぎだC!!」
そう言えばなんでいちごなんだろ?引き戸の前で考えてみるも思い当たる節がなかったので、そのまま自分の席にひっそりと座った。



「それでそれで、ちゃんとお礼もしたんだよ。俺ってマジ優C」
「ほーん、いちごパンツのいちごちゃんにいちごの飴あげたんか。ってあほ!」
「痛E〜、跡部忍足が殴った!!」
「俺様には関係ねえだろ」
「なに言うとるん、部員が世話になったんやから部長からお礼言うんは当然やろ」
「アーン?その女に伝えておけ。俺様がキングだ」



◇◇


 芥川くんと言う人はどこでも寝てしまうらしい。そしてこの変な人もテニス部だった。しかも強いらしい。氷帝学園の部活動はかなり力が入っているので、うちで強いってことはかなり強いってことだと思う。
 去年を振り返ってみるにそう言う何かしらに秀でた人と器量が良い人には関わらない方が平穏に学校生活を送ることができるのだけれど、たまに変な人がいて読書バリケードが通じなかったりするのだ。芥川くんも稀有な一人なようで勝手に寝たり起きたりしている。猫みたいに気ままで自由なので情が湧きそうで怖い。そう言えば宍戸くんを訪ねにやってくる後輩と思しき男の子が犬っぽくてかわいい。宍戸くんが名前を呼ぶと付いていないはずの尻尾がぶんぶん音を立てて振られているのが分かる。他のクラスメイトも同じようで皆ほんわかした顔でドアから中に入ってこない男の子を慈しんでいる。なんだか結局この学校に入ってから楽しく過ごしてしまっていて、ちょっとだけ苦しくなった。



「おはようさん」
「……」
「びっくりせえへんかった?」
下駄箱で靴を履き替えていたら忍足に捕まってしまった。まだ部活中のはずなのになぜだ……。忍足は挨拶を返さない私の態度に気分を害するでもなく話を続けた。なんだか私の方が大人気ない事をしている気分になって返事を返した。
「なにが?」
「なにがって宍戸めっちゃ髪短なったやん」
どうやら昨日の事を言っているらしい。わざわざそれを見た感想を聞ききたと言うのなら、かなり酔狂な男だと思う。
「ああ、あれね。そりゃ驚いたけど……なに、突然バスケがしたくなっちゃったの?」
「それは宍戸に言うたらあかんよ。いや、おもろいから今から宍戸のとこ行こか」
上履きに片足を差し込んだところで引っ張られたので、それが脱げて地面に足をついてしまう。
「ちょっと、急に引っ張らないで」
「すまん、靴下汚れへんかった?」
怒るつもりはなくていつもの癖で咎めるような声が出ただけなのに忍足が片膝をついたのでギョッとしてしまう。
「へ、平気だから」
そんなに人通りはなかったものの何人かの興味深そうな視線が刺さるので恥ずかしくなって顔に血が集まってくる。これだから有名人と一緒にいるのは嫌なのだ。忍足は視線に気がついてないのか、気がついていても気にならないのかその格好のままだ。他になにか言われる前にと慌てて靴下をはたいて上履きの中にねじ込んだ。
「レイちゃん足きれいやんな」
「変態!!」
私のローキックが綺麗に忍足の体にヒットした音が聞こえた。