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三国恋戦記 
ノーマルエンド後風味
(主要人物が長安にいます)

花ちゃん≠夢主です




週に五日会社に行く。
定時は十八時、帰るのは大体二十一時。
ブラックではない、でも疲れた。

意味のない作業、辻褄合わせの事務、たまにとるクレームの電話。
些細な事の積み重ねで私は疲れていた。
本を読むことが好きだった、でも大学で文学を専攻しても就職には役に立たなかった。
立てようとも思って無かったのだけれど。

久し振りに訪れた図書館で本を借りた。
普段は歴史物はあまり読まないのだが、ふと中国史の棚で気になった本があったので手に取ってしまった。
面白くなかったらすぐに返せばいいやと思って借りたのだ。
三国志に関する内容のようだが、どうやら戦の再現が出来る様に駒が入っているらしい。
カラカラと音を立てるその本は、表紙の文字が少し掠れていた。

金曜日、私は事務なので明日からの二日が休みだ。
月曜日までに急いでやらなくてはいけない作業はなかったが、先輩が残業していたので先の分まで片付けて置く事にした。
飲みの誘いを断って駅から遠いアパートに帰る。
ああ、トイレットペーパーがそろそろなくなるんだったな、と思い出したものの嵩張るので明日でいいやとスーパーにだけよって帰宅した。
すぐにベッドにダイブしたい気持ちを抑えて先にシャワーを浴びる。
熱いお湯を浴びると生き返る気がした。
買ってきたお弁当をスマホを操作しながら食べ終えてベッドに倒れ込んだ。
休日を歓喜出来るほど、希望はなく借りてきた本のページを捲る。
勝手に歴史が纏められた本かと思っていたら、どうやら創作の物語のようだった。
恋愛小説と言っても過言ではない内容に、読み進める手が止まらない。
現代からトリップした少女が、不思議な本の力を使って争いのない世界を目指す。
誰を救うか選ぶ事によって結末が何通りもあった。
全員を救うのは無理だ、だって対立したそれぞれの立場の十人がいるんだから。
でも、可能なら
私は全員を救いたいと思った。

そして、毎日当たり障りなく仕事をこなしているだけの自分を振り返って自笑した。
いつの間にか土曜日になっている。早く寝よう。
電気を消して眠りについた。







気がつくと知らない場所にいた。
寝る前と同じ部屋着のままだったので、山の中にいる自分が浮いている。
夢ならば、もっと外出に適した服装をしてればいいのに。
夢は結構見る方だが、それにしてはあまりにもリアルでびっくりする。
裸足で土を踏みしめる感触が本物のようだ。生い茂った木立が風で揺れる。
そう言えば、こんな場所が出てくる本をどこかで読んだ気がする、と思ったがうまく思い出せない。
仕方がないので、歩き回って見る事にした。
自分が山を登っているのか降っているのかよくわからない。
草を踏みしめる音がどこからか聞こえる。なんだか嫌な予感がする。
大体夢って言うのは、追いかけられて逃げ回る悪夢が定石だ。
すぐに走り出せるように身構える。
悪い予感は悪い現実を引き寄せる。
数人の人相が悪い男たちがこちらに気がつき、すぐに向かってきた。
大河ドラマでも見た影響なのか現代では見ないような服装をしている。
夢ならもう覚めて。
走っても走っても森の中だ。途中何かに躓いて転ぶ。
夢なのに物凄く痛い。男達が持ってるのは刃物ではなかったか。
転んでこんなに痛いのだから切られたら物凄く痛いんだろうなぁ。
腕を捻りあげられる。殺す気がないのなら、もうちょっと優しくしてくれ。
ギラギラした目で見られて不快感が襲う。思わず全力で振り払ってしまったら、思いっきり殴られた。
地面に突っ伏して目だけで相手を見上げると、刃物を振りかざしている所だった。
衝撃の前に目が覚めるといい。
ゆっくりと瞼を伏せた。


「翼徳様、全員捕らえました」
「よし!戻って兄いに報告しよう」
「襲われていた女子を一人保護しましたが、気絶しているようです」
「近くの村の子?」
「いえ。異国の装束を纏っていた為、この付近の村の者では無いように見受けられます」
白くて長い服の上に淡い色の上着を来ている。どちらもこの国ではあまり見ない形だ。
「怪我してるみたいだし、連れて帰って兄いに指示を仰ぐ。そうだな。えっと、オレが背負ってく」
「承知しました」
部下からぐったりと意識を失っている少女を受け取る。
思いの外軽くて生きているのか心配になったので、口元に耳を寄せると微かに呼吸している。
初対面ではあるが「この子が生きていて良かった」と思った。瞼を閉じたその顔に覚えがないけれど、なんだか懐かしい気持ちになる。
「何か持ってなかった?これくらいの大きさの文字が書いてある物とか」
「書簡ですか?いえ、持っていなかったようです」
「そっか、わかった」
何でオレそんなこと聞いたんだろう。部下も意図する事が分からないようで不思議そうな表情をしていた。
「?」
抱き上げた少女は、人形のように青白い顔をしていて胸がぎゅうと掴まれたみたいに苦しくなった。




「で、翼徳殿はどこの馬の骨とも知らぬこの子を連れて来たって言うわけね」
「芙蓉、そんな言い方はないだろう」
「だって玄徳様」
「怪我もしていたようだし、そのまま放って置くわけにもいかんだろ」
「玄兄、いくら被害を受けた民であっても身元が分からないのでは困ります」
「彼女の目が覚めたら本人に聞けばいい」
「さすが兄い!オレこいつが起きるまでここに居てもいい?」
「ああ、目が覚めたら俺も呼んでくれ」
「玄徳様!ここは長安なのですよ」
「そうです、何かあってからでは遅いのでは」
玄徳は少女の頬を優しく撫でる。
「こんなに赤くなって可哀想に」
その慈愛の満ちた瞳に、忠告をしていた二人は主人の意見が変わらない事を理解した。
「翼徳、お前が拾ったのだから最後まで責任持てよ」
「うん!」
「もう、犬や猫じゃないんだから」
芙蓉は最後まで納得の行かない表情をしていたが、玄徳が決めたならば従うしかない。翼徳を残して三人は、部屋を後にした。

窓から差す光は暖かく、翼徳は久し振りに柔らかい気持ちになった。
「早く起きね〜かな〜」





「ん」
目を覚ますと知らない天井が見えた。
起きた、と言うのに自宅ではない。夢の中で寝ることってできたんだなと思う。
傾いた陽射しが部屋の中まで伸びている。
季節から推測するに三時頃だろうか。
起き上がるとほおが引き攣るように痛んだ。
窓の装飾がどことなく中華っぽいなと思いながらベッドから降りると柔らかい物を踏んでしまった。
「ひっ」
悲鳴を喉で殺して少し離れた所に足をつける。
屈みこんで見ると、どうやら人が丸まって寝ているらしい。
虎か何かかと思った。胸を撫で下ろす。
もしかしたらこの人は私についていてくれたのかも知れない。
明るい色の髪の毛にそっと手を触れる。
思ったより柔らかい髪が気持ちいい。
何度か手を往復させていると、もぞもぞと動いた。
「あれ、オレ寝てた?」
ぱちぱちと瞬瞳は澄んでいて悪い人には見えない。
「お前起きたのか!痛いとこないか?!」
「大丈夫です」
掛けられた言葉がこちらを気遣うものだったので、安心して返答する。
痛いけれど、そんなに酷いものではなさそうだ。
「山の中で賊に襲われてたから助けたんだ。名前は?」
「ありがとうございます、綾波レイです」
「ふうん、それ全部名前?」
「えっと、名字が綾波で名前はレイです」
「そっか、レイ……。あ!兄いのとこ報告しに行かなきゃ!!」
「へ?きゃあ!」
何の事か分からないうちに脇に抱えられる。
床で丸まっている時から大きいなとは思っていたが、相当身長が高いようで抱えられると怖い。
「あ、あの!」
抗議の声も虚しくそのままスッタカターと部屋の外へ出られてしまった。
この建物は広いようでたくさんの廊下とドアの前を通り過ぎる。
すれ違う人の視線が痛い。皆洋服とも和服とも違う衣装を身に纏っている。
「兄いー!」
私を抱えた人は片手で軽く扉を押したように見えたのに、扉は大きな音を立てて開いたのでその音にびっくりする。
「翼徳、また壊すなよ?芙蓉に怒られるぞ」
「兄いそんな事よりレイ起きたんだ!」
両手で猫を持つみたいに抱え直されて正面を見る。黒い髪の優しそうな人がこちらを見ていた。
お兄さんにしては全然似ていないな。
「お前なぁ……」
呆れたような声を出しているが、表情は優しい。
二人の関係が何となくわかった気がした。
「えっと、初めまして綾波レイです。助けて頂いたようで、ありがとうございます」
「ああ、それはいいんだが……それ全部名前か?」
この世界の人は日本と氏名のつけ方が違うのか、先ほどと同じことを聞かれる。一体何がどうなっているんだろう。これが今流行りの異世界転生というものなのだろうか。
「名前はレイです」
ひとまず、これからは下の名前だけ伝えた方がいいかもしれない。郷に入っては郷に従え、だ。社会人に必要なのは、暗黙のルールを何も言わずに飲み込む事だ。
「レイか、いい名前だ。俺は玄徳、そこの大きいのが翼徳だ。それで傷はもういいのか?」
「はい、ご迷惑をお掛けしたみたいですみません」
「それは構わないんだが、あー、レイは何であんな所に居たんだ?」
「えっと、気がついたら山の中だったといいますか……」
思わず本当の事を言ってしまった。さすがに玄徳さんも顔を顰めている。
「お前捨てられたのか?」
「え?」
「こら、翼徳。そういうことは思っていても直接口に出すものじゃない」
「えっと、そういう訳ではないんですが……元々一人で暮らしていましたし」
そう言うと玄徳さんはもっと悲しそうな顔をしてしまった。
何だろう、一人暮らしってあまり歓迎されないのかな?
確かに恋人もいないんだけど、そんなに寂しくはないんだけどな。
「家は近くなのか?」
取り合えずざっくり住所を伝えるが二人とも首を捻ってしまった。
「なあ兄い」
「うーん、そうだな。レイ遷都したばかりで城内は落ち着かないかもしれないが、暫くここにいたらどうだ?」
「えっと、でも」
遷都って何だっけ。ゆるキャラしか出てこない。
「そうしなよ!オレお前ともっと話がしたい」
「まあ難しく考える事もないだろう。帰りたくなったらいつでも言ってくれ。それまではほおの痣もあるしゆっくりすればいい」
「はい……」
何だかここへ住むという話になってしまった。きっと夢の中なのだから、意味なんてないのかもしれない。
「やった!安心したら腹減ってきた〜、兄いなんか食べ物頂戴」
「そうだな、今はこれくらしかないが食うか?」
「わーい、レイも食うだろ?」
翼徳さんから餡子が入ったお菓子を半分分けて貰う。
「おいしい」
初めて会う人との会話に緊張していたのかもしれない。
甘いものが心に染み渡る。
「ん、足りないし雲長兄いと芙蓉のとこにも行ってくる」
「丁度いいからレイを案内してやってくれるか」
「うん!」
そのあと翼徳さんと一緒に雲長さんと芙蓉姫さんの所へ行った。
私の説明に二人は怪訝な顔をしたけれど、翼徳さんが食べ物を強請っているうちに話が有耶無耶になってしまった。
どうやらここにいる人達は優しい人ばっかりのようだった。
「あれ?孔明がいない、ま、いっか」
何箇所か部屋の説明をされてから、翼徳さんがある部屋を覗き込んで言った。
「ええと、今歩いてきた所は好きに出入りしていいんだ。だけど、ここから向こうへとあっちには行っちゃだめだよ」
「わかりました。何から何までありがとうございます」
「オレ明日も休みだからレイのとこ遊びに行くな!あ、夕飯も一緒に食べていい?」
「もちろんです」
一度説明してもらったが、建物の中はどこも似たり寄ったりですぐ迷子になりそうだ。
私はその時薄っすらとした予感を感じていた。
------この夢は暫く覚めないという予感だ。
それと気になるのが、寝る前に読んだ本『九天九地盤』の世界とこの夢が似ている事だ。
その疑問は翼徳さんと夕食を食べながら会話をした事でより確信に変わった。
ここはあの本の世界なのかも知れない。
自宅のベッドより硬くて広い寝台の上で、これからの事を考えた。
これから何をすれば良いんだろうなんて考えるのは久しぶりだった。繰り返しじゃない明日なんていつぶりだろう。不安が少しとワクワクする感覚が胸に広がった。

その日は夢も見ないで深い眠りに落ちた。