ロンドンの冬はひどく寒かった。

日本ではそれほど寒くない地域に住んでいたのでそう思ったのだろう。
ホワイトクリスマスを楽しみにしてたのだが、ロンドンは雪はあまり降らないそうだ。
よくぱらぱらと雨が降るので期待していたのだが、気温が低いだけでは降らないのかと残念に思った。
はあ、と溢れた吐息が真っ白になる。
身八つ口から外気が入ってきて身体が震える。
身体を冷やさない為にはもっと何かしっかりしたものを羽織るべきだろう。

頭上には冷たいグレイの空がかかっていた。


部屋に入ると暖炉がついていた。
とても暖かい。思わず声が漏れてしまった。
ストールを脱いで暖炉のそばにかけると、すぐについていた雪が溶けて水になっていく。
そういえば昔誰かが雪が溶けたら春になるって言っていた。
グレイさんが飾ったのか暖炉の上には小さなクリスマスの飾りが置いてあった。

この地域のクリスマスはとても華やかだ。
家も街もお店も全部クリスマス一色になる。
日本人にはあまり馴染みがないので最初は戸惑っていたけれど、美しい装飾や楽しそうに歩く人々の横顔を見ているうちに楽しみになってきた。
ただのツリーを飾ってケーキとチキンを食べる日じゃなかったんだなと感心した。
教室のみんなで先生にはアドベントカレンダー(毎日違う術式が発動するビックリ箱仕様)をプレゼントした。
先生はとても迷惑そうだったけれど、私たちの今の全力を注いだので是非毎日開けてもらいたいと思っている。
グレイさんには個人的にレターセットを贈った。
Gのアルファベットがあしらわれて、とても綺麗だったから。

今日は夕方から有志で行うクリスマスパーティに参加する。
パーティといってもいつもの教室でみんなでお酒を飲むだけなのだが。
イギリスは社交が好きなんだなぁと思う。魔術師なのに。不思議だ。
暖炉の中で薪が燃えている。
暖炉は暖かくなるまでに時間がかかるが燃え尽きてもしばらく暖かいという利点がある。
それにあたたかい光を見ていると心まであたたかくなっていくような気がする。
心なんてそんなものが私についていれば、だけれど。









「漱石」

ぼんやりとしていたら目の前にブロンドの髪があった。
濃い青のドレスの上にかかる金色の糸はさらさらと流れている。
美しすぎて異形だ。こちらに合わせるなら天使か。

「すみません、ぼうっとしていたみたいです」
「見れば分かる」
「ええと、ライネスさんはお酒が強いんですね」

蝋燭のぼんやりとした灯りの下で、グラスの中の葡萄色が艶かしく揺れる。
蛍光灯の光で見るより黒っぽくて身体から出てきてしまった血液みたいだと思った。

「こんなものはただの水だよ」
「なんだか熱いです」
「随分とやわに出来ているんだな。帰りは送ってもらうといい」

腰掛けていた椅子から降りて騒ぎの中心へと歩いていく。
どの瞬間を切り取っても絵になる、所作の隅々までに品があった。

みんながいるところが明るく見えて、そして遠い音がどんどん吸い込まれてとても静かだ。
窓が曇っていて外がよく見えない。
でもきっととても寒いんだろう。
ああ、今すぐ内臓まで全部冷たくなってしまえばいいのに。






片付けをして外へ出るとあちこちが薄っすらと白くなっていた。

「おわー!!!雪だー!!!」
「おいっ、やめろ」

ゆっくりと雪が落ちてくる。
月の光が反射して夜なのにぼんやりと明るい。
火照ったほほに静かな空気が心地いい、街を彷徨うのにうってつけだ。

「先生、よいお年をお迎えください」

楽しそうにはしゃぐみんなに声をかけるのは憚れるので先生にだけ声をかけた。
さくさくと雪の上に足跡がつく。
足音さえも雪の中に吸い込まれて消えた。


「…送っていく」

紫煙の匂いがあとから追ってきた。





黒い髪を持った少女は袖口から覗く細い指を合わせた。
いつもより華やかな衣装に雪が積もっている。
ゆっくりと赤みの差した唇が動いてから夜の闇の中へ向かって歩き出すのを見送った。
腕がぴくりとはねたのを、らしくないと思いながらシガレットに火をつけた。

「グレイ、そいつらを頼む」

雪の中を走り回る生徒のお守りを弟子に押し付けて、薄い体の少女を追いかけた。
ゆっくりと歩く少女の黒髪は凍えているのか雪が溶けずに白いままだ。
吐く息さえが透明で肺まで冷えているのが分かる。
煙草の煙が風に乗って流れる。
彼女は歩みを止めてこちらを振り返った。
家まで送ると伝えると、首を僅かに傾けて曖昧に微笑んだ。

「寒くないのか」

あまりの薄着に思わず声をかけてしまう。
魔術師だって寒いなら着込んだ方が早いし楽だ。

「雪がきれいなので」

街灯に照らされて空から落ちてくる雪の形をうっとりと眺める。
仕方なく手袋を外して、むき出しの手を掴むと氷のように冷たい。
反射的に掴んだ手を離しそうになったが、もっと強く握る。
この熱が彼女に移ればいいと思う。

「生きている人って火傷しそうなほど熱いんですね」

前を向いたまま彼女は言った。
一方的に掴んでいた手はどちらともなく絡めるように結び直した。

雪の降る静かな夜を二人は手を繋いで無言で歩いた。
少女はその静寂が自分に与えられた幸福だとわかっていた。

朝が来ると雪はまるで最初からなかったみたいに跡形もなくなっていた。