煤煙が死んだ。
この手で漸く仕留めたのだ。
血を吐きながら今際の際まで、この世を思うままに貶めてやったと豪語した男の幕引きは、随分と呆気ないものだった。
刺し違えてでも殺すつもりだった。
文字通りの満身創痍。全身傷だらけで、特に右足の傷が深い。
事切れた男の隣に寝転ぶと、雨が降ってきた。体温と血が奪われていくのを感じて、嗚呼、この人生もここまでなのかと目を閉じたのだ。
**
ふと意識が浮上して目を開ける。
見た事のある天井に泣きそうな顔が割り込んできた。
「辰弥、さん…」
握られた手に身体を起こそうとすると全身に激痛が走って息を詰める。奥の方から慌てた様子の声が聞こえてきた。
「まだ安静に…!すごい怪我だったんですから!」
朧気な頭が此処は忍術学園の医務室なのだと漸く理解をして、再び横になる。隣にいる男の顔を見上げて思わず笑ってしまった。
「男前が台無しだよ、利吉君」
声が掠れる。何とか音になったのを確り聞き取ったのか、利吉は手を握ったまま俯いた。
「すみません、身体を見せて頂きました」
伊作が水を飲ませてくれた。潤った喉にふうと息を吐いてゆるゆると首を振る。
「ありがとう。女じゃなくて幻滅した?」
「まさか、辰弥さんは辰弥さんですよ」
どうやら死にそびれてしまったらしい。
全て秘密を抱えたまま死ぬつもりだったのに、なんて考えが過って笑うと傷に触るのか腹が痛む。
「生きていて、よかった」
利吉が漸く顔を上げて声を絞り出した。
「そんなこと言うのは、君くらいだよ」
辰弥自身投げ出してもいいと思った。あの男に勝つためにはその気概がなければ不可能だった。
念入りに下準備をした甲斐あって、ようやく屠れたのだ。
「伊作君、辰弥さんを頼むよ」
「はい」
出ていった利吉の後ろ姿を目線だけで追い掛けて、ふうと息を吐いた。少し身じろぐだけで全身が痛い。
「こんな大怪我、久々なんだけど…治るものなのかな」
「峠は超えました。じきに痛みもおさまりますよ」
痛みには慣れているが医療の知識は無い。年若くしてその豊富な知見に有難いと肩を竦めた。
「前ほど動けるようになる?」
「急所は全て外れてましたから問題ないと思います。右足は時間がかかると思いますが…」
穏やかな会話が日常に帰ってきたことを知らしめる。なんとも皮肉なものだ、捨てるはずの命がこうして拾われて帰ってきたなどと。
「僕も、辰弥さんが生きてて良かったです」
伊作が安心したような笑みを浮かべてくれた。
「ありがとう」
痛みで熱を出していたのか、額の手拭いが滑り降ちる。
「利吉さん、ずっと此処で辰弥さんを看病していたんですよ」
「…私がここに運ばれてから、どのくらい経った?」
「3日です。此処には新野先生と利吉さんと僕しか出入りしていません」
「忙しいのに色々配慮してくれてありがとう。鬼城に帰れたらいいんだけど」
「まだ無理しないでください。少なくとも明日までは安静に」
既にほぼ傷は塞がっているのだろう。取り替えてくれた包帯は綺麗なものだった。
「うん、そうだね」
長期の休みらしく学園は静かだ。色んな偶然が重なってこんな形になっているのだとすれば、善行をひとつではまだ足りぬと神にでも言われているのかもしれない。
挨拶をして出ていった伊作を見送って、まだ回復していない体力のためにもう暫し眠りにつこうと瞳を閉じた。
**
「おはよう」
仕事を済ませて医務室に向かうと、既に起きていたらしい辰弥が座って待っていた。
「寝てなきゃ駄目じゃないですか」
「もうかなりいいよ。まだ痛いけれど、昨日ほどじゃない」
微笑む彼は何処か憑き物が落ちたような清々しい表情を浮かべていて、何故かその様子が酷く胸を掻き乱す。
「っ、本当に、肝が冷えたんですからね…!」
その体を抱き締めると年甲斐もなく涙が溢れ出てくる。頭を撫でる指先があまりにも優しくて、やはりこの人を喪わずに済んで良かったとまた泣いた。
「落ち着いた…?」
「ええ、お騒がせしました」
この人には情けない所ばかり見られている。好いた相手の前でくらい格好をつけたいのにままならないものだ。
「何があったか、教えてくださいますよね?」
「私を此処に運んでくれたのは、君?」
「ええ」
多くの忍が息絶えていた。彼が一人で相手をしたのはその傷から見て取れるほどに彼はボロボロだった。
そんな彼の近くで倒れていた大男は、天を仰いだまま世界を喰らわんとするような笑みを湛えて死んでいた。
「あの男は煤煙。私の師匠だよ」
「…え」
それから彼は煤煙に忍の術を全て習ったこと、今まで自らの情報を出さずに居たのはあの男を捕らえて葬る為だったと話した。戦の種を撒いて回る男をどうしても仕留めなければならなかったのだと。
「警戒心の強い男だからね、上手く近づくために私だと気付かれてはいけなかった」
十年もの間準備をしたという。今回漸く尻尾を出したと。
「…貴方が、何故人と距離を置くのかと不思議でなりませんでした。刺し違えるつもりだったんですね」
唇を噛む。あの男が手練であったことはその躯体からも見て取れるほどだった。
「弟子が師を超えるのは難しい。準備をしていてもね。みすみす殺されるか、刺し違えてでも殺せるか…どちらかだと思ったんだよ」
それでも、彼は生き延びた。発見が少しでも遅れていたら手遅れになっていたかもしれない。
人を食ってかかるような態度を取るのに、仕事に対して真摯に取り組む人。そんな彼だから自分は惹かれているのだ。
「もう、隠し事はないですか…?」
その手を取って詰め寄ると、彼は困ったように笑った。
「うん。私の使命はひとつ果たしたも同然だからね」
彼を救えた嬉しさと、頼って貰えなかった悔しさを綯い交ぜにしたまま、もう一度その身体をそっと抱き締めた。
「もう、こんな真似しないでください…」
「今日の利吉君、なんだか子どもみたいだなあ」
背を摩る手が心地よい。耳元を彼の声が掠めていく。
「利吉君、君が本当に私で嫌でないのなら」
瞬いて彼の顔を覗き込む。
「恋仲になってあげてもいいよ。君が望むなら祝言でも」
突然の言葉に思わず自分の頬を抓った。夢では無い。
「ほ…本当ですか?!」
「嫌かい?」
「嫌なわけありません。…辰弥さん、熱があるとかではないですよね」
額をそっと合わせると僅かに熱い。酷い怪我だったのだ、無理もないだろう。
「ちゃんと怪我が治ったら全部また聞きますから。今は治すことに集中してください」
「うん、そうだね」
辰弥が目を伏せると同時に伊作が医務室へと入ってきた。
「おはようございます。調子はどうですか?」
「昨日より痛みは引いたよ」
微笑む彼に眉を寄せる。
「伊作君、辰弥さん熱があるようなんだ」
「炎症か化膿の可能性がありますね、包帯を変えるので利吉さんは外に…」
流石に邪魔かと奥歯を噛むと辰弥がゆるゆると首を振った。
「いいよ伊作。彼なら全部知っているし、君一人じゃ大変だろうから」
「…そうなんですね。であれば手伝って頂けますか?」
「ああ、勿論」
頷いて包帯を外す。怪我の痕がまだ痛々しい。
これだけの怪我だというのに、笑みをこぼす彼の強さに胸が締め付けられる。
早く良くなるように祈りながら、消毒する伊作を手伝った。
**
倒れていた彼を見つけて2週間が過ぎた頃、そろそろ忍たま達が休みを終えて帰ってくるという話を朝一番に帰ってきた父、伝蔵から聞き出した。
「お前が居らんから母さんが心配しとったぞ」
「すみません。実は」
父には話しておかなければと思った。彼のことを以前から知っているらしい父は、時折辰弥に対して慈しむような顔をする。
「…よく連れて帰ったな」
「はい。会いに行かれますか?」
「いや。まだ動けんのだろう?」
「…動けるようになれば鬼城に帰るかもしれない、とも」
最早前のように生活できるかも怪しい程の怪我だ。それでも歩けるほどに回復したのは偏に新野先生と伊作のお陰だろう。
「あやつのこと、全て聞いたのか」
「何があったかは。…話してくれただけ有難いと思わなければなりませんね」
溜息混じりに告げると伝蔵はギョッと目を剥いた。
「なんだどうした?随分殊勝な」
「惚れた相手に頼られない悔しさでどうにかなりそうでしたので」
やれやれ、という声が降ってきて顔を上げる。
「それでもお前が追うと決めたのなら儂が言うことは無い」
そうだ。何があっても追うと決めた。彼しかないと。もう他には誰も考えらないと。
それを告げたことも無いのに、呆れ顔で笑う父に力いっぱい頷いた。
「はい。ありがとうございます、父上」
「何だ急に。ほら、さっさと戻りなさい。気になって仕方ないと顔に書いてある」
「そこまでではないと思いますが…分かりました、失礼します」
一礼して医務室へと向かうと、縁側に座る人影を見つけた。
「おや、おかえり利吉君」
ゆっくりと立ち上がる姿に肩を貸す。長らく寝ていたせいで足の筋肉が落ちているからと最近歩く練習をしているらしい。
とはいえ、一番深い右足の傷の事もあってか、以前のような歩きはまだ難しいようだ。
「悪いね」
「いえ。かなり元気になられましたね」
これは本心だ。あの体から二週間ほどでここまで歩けるようになるとは思わなかった。
「あとは歩ければ問題ないんだけれど…伝蔵君はなんて?」
「そろそろ休みがあける、と」
ふむ、と彼が顎に手を添えて思考する。
「紙と筆を用意してもらえるかい?」
「構いませんが…貴方は」
「読み書きならできるよ。折角上手く欺けて居たのになあ」
残念と肩を竦める様は悪戯が見つかった少年のようだ。
「あと幾つあるんです」
思わず口をへの字にすると、くすくすと笑みを零す声。
「このくらいじゃないかな?鬼城と学園長先生に手紙を書くから届けてもらえると有難いんだけど」
音信不通が長引けば楽観的な織之助も流石に心配するだろう。分かりましたと頷いて、医務室に戻る辰弥に手を貸す。
「お帰りなさい。利吉君も一緒でしたか」
「新野先生、お邪魔しています」
ぺこりと頭を下げて辰弥を布団に寝かせる。
「休みがあける前にせめて職員室に戻りたいのですが」
辰弥の言葉に暫し悩んだ末に新野先生は頷いた。
「状態もかなり良い。傷の経過も順調ですしあとは右足くらいでしょう。あとは定期的に様子を見る形で明日から職員室で過ごして貰って構いません。ただし、くれぐれもまだ激しい運動は控えるように」
耳が痛い程念を押されて、辰弥は苦笑いを浮かべながら頷いた。
文机と紙と筆を運び込んで辰弥が手紙を書く様子を隣で見つめる。
「入門表のサインはどうしていたんですか?」
「いつも拇印で通してもらって居たよ。秀作君にも悪いことをしたなあ」
言葉ではそう言いながらも悪びれた様子も無いままに、書き上げた手紙を手渡された。
「学園長先生への手紙は急がないから、先に鬼城に頼めるかな」
「ええ、お安い御用です」
本当は片時も離れたくないと言えば、また重いと笑われるだろうか。手を振る彼に見送られて、学園を後にした。
鬼城では辰弥について色々な憶測が飛び交っていたと城主の織之助が教えてくれた。
ここまで長く連絡が無いのは始めてだったと、心配したと言いながらも手紙を読んだ彼は目元を和らげて優しい笑みを浮かべていた。
「りきっちゃん、たっちゃんといい感じっぽいじゃん」
突然そんな話を振られて目を点にする。
「はい…?」
「すげー大変な人だと思うけど、よろしくね」
年下であるのに、一国をまとめ上げている少年のその度量の深さにいつも己の小ささを思い知らされる。そんな彼から辰弥という人を任されて胸が熱くなった。
「…はい!」
手紙の返信を受け取って、鬼城を後にする。良く足を運んだこの場所に彼が帰れるのかは怪我の経過次第だ。
今の彼は満足に歩けない。動けない。
だからこそ追う必要も無く、閉じ込めておける。
彼の回復を願う一方でそんな暗い想いに気が付いて溜息を零した。
我ながらどうかしている。あの日、恋仲になってもいいと怪我の痛みに耐えながら告げた彼の顔を思い出して首を振る。
今更離してやれない。自分の未熟さも織り込み済みで、それでも傍に居たい、いて欲しい。
帰ったらあの言葉は本気だったのかもう一度聞いてみようと心に決めて、忍術学園への道程を急いだ。
「今更そんなことを気にしとったのか」
篝火が点り始める時刻に医務室からそんな声が聞こえて立ち止まる。父が辰弥の見舞いに来ているようだった。
「私もまだ、未熟ですから」
「あの忍の話はよく聞いておった。確かに一人で挑む辺りは未熟だな」
呆れたような声に、辰弥の声が強ばる。
「返す言葉もありません。ご子息にも色々と手伝って頂いて」
「何、あやつの事は気にしなくていい。好きでやっとるんだからな。今は治すことに専念しなさい」
「…はい。ご心配痛み入ります」
「はあ、お前さんのそれは慣れん。此処に来るよう声を掛けた時に言っただろうに」
「しかし、礼を欠くのは」
「身辺整理をしようとしても無駄だ、大人しくいつも通りにして構わん」
身辺整理、という言葉が妙に引っかかって戸を開く。
「辰弥さん!父上…!」
「おかえり、利吉君」
「分かりやすく立ち聞きなんぞしよって」
顔を歪める伝蔵の隣に座る。
「すみません、込み入った話のようだったので」
見舞いに来ないといいながら足を運んでいる辺り、父も相変わらず素直ではないと肩をすくめる。
「ところでお二人の関係についてもう一度伺っても?」
「君のお父上や学園長先生には私の謀に多くを聞かず付き合って頂いていたんだ。年長者に若輩者が申し訳ない事をした」
「とは言え今更態度を変えても忍たま達も不思議がるだろう。変な所で真面目な奴に今まで通りでいいと言っとる所だ」
言いたいことは理解したが二人の関係性については何一つ分からない。踏み込みたい気持ちを堪えて、それよりも引っかかった言葉の意味を問おうと前に出た。
「それでですか…で、身辺整理というのは?」
「大きな目的を一つ果たした以上、色んな草鞋を履く必要が無くなったんだ」
情報収集の為に色んな所に所属をしたと彼は言っていた。
「…まあいい、あとは二人で話しなさい」
「本当に良いんですか?」
「何度も言わせなさんな。辰弥、お前が今回拾った命、大切にしなさい」
「…ありがとう、伝蔵君」
穏やかな微笑みを浮かべて医務室を後にした父の背中を見送って戸を閉める。
「貴方の謀の全容がまだ見えないのですが」
「こうなると面倒だから話したく無かったんだよ」
おどけて見せる彼に眉を寄せると小さく吹き出す音が聞こえた。
「ふふ、全部顔に出ちゃってるよ?貫けば真になる事もある。私もまだまだだね」
彼がまだ未熟だと言うのなら、自分はその更に半分だ。未熟というのも烏滸がましくなってしまう。
「辰弥さん、返信をお持ちしました」
「ありがとう、早かったね」
「早く会いたかったんです。…抱き締めても良いですか?」
問うと彼は深紅の瞳をぱちりと瞬かせた。
「どうしたの急に、いつも勝手にするのに」
「いえ、その…傷に障っては、いけないと思いまして」
しおらしい姿を見せられて父に嫉妬したと言えばまた呆れられるだろうか。そんなことを思っていると彼の手が広げられた。
「大丈夫だよ、おいで」
その胸にそっと身体を滑り込ませる。首元に顔を埋めると擽ったいと笑われた。
「手紙、読んでる間は外しましょうか?」
「好きにしていいよ。というか君も最近休み無しでしょ?」
頬を彼の手が滑る。指先が相変わらず冷たい。
「体は資本だからね、明日は私の部屋に帰れそうだしそっちでゆっくり寝て行きなよ」
彼にそう言われてどっと疲れが押し寄せてきた。何故今まで気付かなかったのだろうか。
名残惜しさを感じながら身体を離して手紙を渡す。
「そうさせて頂きます」
「うん、おやすみ」
「おやすみなさい」
部屋を出て辰弥の職員室に向かう。ヘムヘムが掃除してくれていたのか、長らく部屋の主が留守でも埃は無かった。
布団を敷いて横になる。風呂に入りたいが流石にもう身体が動かない。
最近の疲れが纏めて押し寄せてきたかのように重たい身体をそのまま眠りの淵へと沈めた。
**
学園の休みがあけた。
結局辰弥の職員室への移動を手伝ってから仕事が忙しくなってろくに顔を出せていない。
彼は大丈夫なのかという不安と早く逢いたいという焦りばかりが募る。
結局、再び学園に顔を出せたのは一週間ほど経過してからだった。
「あれ、利吉さん」
「お久しぶりですね!」
入門表にサインをして職員室への道中にくのたまの二人に声を掛けられて足を止めた。
「やあ。望ちゃん、麻子ちゃん」
「こんにちは。山田先生の所ですか?」
「辰弥さんの所かもしれないよ」
察しのいいくのたまたちに笑顔を向ける。
「辰弥さん足の怪我大変そうだもんね」
「まだ怪我治ってないのかい?」
とはいえ、彼女達の口振りから学園での仕事はしているらしい。
「あ、既にご存知でしたか。仕事で怪我をしたらしくて杖をついてらっしゃるので」
「今は職員室にいらっしゃると思いますよ!」
「うん、ありがとう。それじゃあ」
二人に軽く手を振って職員室へと足を急がせる。扉の前で声を掛けるとどうぞ、と返ってきた。
「失礼します」
「うん、見苦しい格好で悪いね」
小さな椅子のようなものに座っているのは怪我の負担を無くすためだろう。
「利吉君、久しぶり」
「はい、毎日通いたかったのですが仕事が立て込んでいて」
「君の忙しさは分かってるよ。色々話したいことがあったから来てくれて良かった」
浮かんだ苦笑いに、機嫌を損ねていない事に安心したような残念なような複雑な気持ちを抱える。
「身体の傷はまだ激しく動くと良くないけれど生活出来るほどには治ったよ。あとは足だけだね」
動かさなければならない場所ということもあって治りが遅いのだろう。
「あまり無理はしないでくださいね」
「こっちの台詞だよ、あまり無理してご両親に心配かけないようにね」
それを辰弥が言うのかと、自分を棚に上げすぎではないかと口を開こうかと思ったが、話の腰を折りそうなので止めた。
「それで、話とは」
「うん、話したいことはみっつ。まず鬼城は辞めたんだ」
「…へ?」
思わず気の抜けた声を上げてしまった。
「治る見込みはあるとはいえ暫くは動けない。彼らは情報を得るために忍が欲しかったと言っていたから、後のことは凛と繕に任せると文に綴ったんだ。完治すれば顔は見せに行くつもりだけれどね」
それで身辺整理と父が言っていたのかと合点がいった。
戦乱の世では状況が逐一変化する。
怪我のこともあるが、情報を積極的に取りに行く必要がなくなった彼からすると鬼城の足手まといになると考えたのだろう。
「これからはどうするおつもりですか?」
「本格的に学園に身を置こうと思ってね。伝蔵君と学園長先生にお願いしたんだ。選り好みしないからって」
彼が言っているのは座学の授業の事だろう。字が読めない忍を演じる必要ももうないという事だ。
「シナ先生と分担してくノ一教室と忍たまの特別講師を偶にすることになった。まあ怪我が治らない間は実技には手を出せないからね」
その方が安心だ。下手に傷が開いては元も子もない。
「なら、何時ここに来ても貴方が居るんですね」
「暫くはね」
「拠点をまた巡るおつもりですか?」
いつになく楽しそうに見えるのは気の所為ではないだろう。
「それは僕の趣味みたいなものだから」
怪我が治れば休みの日に転々と動く彼が今から既に目に浮かぶ。
「ふたつめに…新野先生、土井先生、シナ先生に私の性別と年齢を教えておいた。万が一の時の為に知っておいた方がいいだろうと思ってね。くのたま達に教えるかどうかはシナ先生にお任せしてる。他の人達は…必要になればという感じかな、伊作には知られているけれどね」
学園長先生と伝蔵君はもう知っているから、と彼は笑う。確かに色んな情報が一度に公開されると場を混乱させかねない。とはいえ、今まで隠していた情報を惜しみなく公開する気概の彼に、彼の戦いはひとつ終わったのだと我が事のように実感してしまった。
「最後に、君だよ」
言葉の意図を汲みきれずに瞬くと、辰弥は右足を摩った。
「言ったでしょう?君が望むなら恋仲にもなるし祝言も挙げると」
「ほ、本当なんですか」
思わず彼に詰寄る。椅子の分いつもより座高が高くて見上げるような形になった。
「嫌なら」
「嫌なわけがないでしょう!」
思わず立ち上がって抱き締める。
「私からの気持ちを、もう躱さないと誓ってくれますか?」
「重いからたまに取り零すかもしれないけれどね」
くすくすと笑う様に、肩を落とした。嘘でも受け取ると言わないあたり辰弥らしい。
「追いかけても、逃げないでいてくれますか?」
「それは気分次第だよ」
ひとつでもうんと言ってくれないのかと眉を寄せると、背に彼の手が回った。
「でも、君が好きと言ってくれるなら、私も好きだと返すことはできるよ」
胸の奥が満たされて熱くなる。
「好き、なんですか?」
「うん。ずっとね。返せなかったんだ、何に巻き込むか分からなかったから。酷い男だと罵ってくれてもいい」
頬に手が添えられて、自分が泣いている事に気が付いた。
「…辰弥さん、好きです」
罵ることなんてできるはずも無い。彼の気遣いに守られていたのだと知ってしまった。
溢れ出した言葉が止まらない。
「好き、好きなんです」
「うん」
「ずっと、愛しています」
「私も…好きだよ、利吉君」
唇を重ねると瞳が閉じられた。そのまま貪りたくなる気持ちを堪えて、辰弥の肩を掴む。
「これ以上は…我慢が効かなくなるので」
「傷に障るといけないもんね?」
「その見透かしたように言うのやめてくださいよ」
「ふふ、ごめんね。君が可愛いからつい」
彼から施される触れるだけの口吸いの心地良さに思わず頬が緩む。
「私が一人前になったら、祝言を挙げさせてください」
「その間に気移りするかもしれないよ?形だけでも捕まえて置かなくていいの?」
相も変わらず狡い人だ。そんなことを言われては黙ってはおけない。
「両親に話をして準備を進めておきます。気移りしたら容赦しませんよ」
「分かってるよ。宜しくね、旦那様」
どきりと大きく胸が脈打つ。本当にこの人は色々と心臓に悪い。
「おや、お嫁さんの方が良かったかな?」
「旦那でいいです。あ、そうだ」
白い首元に顔を埋めて、ちゅ、と音を立てて吸い上げる。赤い鬱血痕が着物でギリギリ隠れる場所に出来て、満足だと頷いた。
「これが消える前にまた帰ってきますから」
「白粉で消えるけど」
「消さないでください!」
「そうはいっても良い子達に見せる訳には行かないでしょう?まあ、早く帰っておいでよ」
伸ばされた手が頭を撫でる。
「はい。では父上にも挨拶してきますね」
「うん」
一礼して扉を閉める。今なら空を飛べても可笑しくない心地だ。浮かれた感情が表に出ていると父に窘められはしたものの、こんなに満たされる気持ちは始めてで少し恐ろしい。
それでも、この幸せをより確実なものにしなければと息巻いて次の仕事へと向かった。
**
「もう良いでしょう。傷に気を遣う必要はありません。…よく頑張りましたね」
新野先生からそんな言葉を聞いた日、辰弥の傷が全て完治したと分かって胸の奥が暖かくなった。
「新野先生、ありがとうございました」
「いえいえ、治ってよかった」
一礼して医務室を出た彼の後を追って新野先生に一礼すると呼び止められた。
「利吉君、念の為にこれを」
「これは?」
「痛み止めです。治ったとは言えたまに疼いたりする時もあるでしょう、そんな時はこれを飲ませてあげてください。貴方に渡すのが確実かと思いまして」
既に彼との関係は教員達の間には父経由で伝わっているらしい。感謝の意を込めて再度頭を下げた。
「ありがとうございます。では」
戸を閉めて門の方へと向かうと秀作と立ち話をしている辰弥の姿があった。
「あれ。利吉さんも一緒にお出かけですか?」
「ああ。この人だけでは危なっかしくて」
「普通だよ、ちょっと過保護すぎない?」
そんなやり取りを前に秀作が首を傾げた。
「…ふふ、仲睦まじくて何よりです。ともあれ、お気を付けて」
「うん、ありがとう秀作君。いってきます」
見送られて外に出ると辰弥はめいっぱい伸びをした。
「んー!なんか久々に外に出る気がする」
「学園の外は怪我以来だと思いますよ」
苦笑いを浮かべた彼の足先が鬼城の方へ向く。
「そういえばそうだね。じゃ、行こうか」
鬼城の面々に改めて挨拶をして回ると、涙ぐんだり安心した顔をしたりと様々な反応が見れた。
織之助は終始穏やかな顔で、別れ際には「お幸せにね」なんて言葉を投げてきた。
「辰弥さんに会えて皆さん嬉しそうでしたね」
「…何も話せない私に凄くよくしてくれた。ここも、学園も。本当に感謝しきれないよ」
帰りの道中そんなことを話した。彼が胸の内に秘めていた感謝も言葉に出せないほど、あの男に必死だったのだとしたら。暗い炎が身を焼く。
「利吉君?」
静かに手を引くと振り返った彼が首を傾げた。
「…拠点に行こうか」
微笑みを返して彼の歩が進む。掴み返された手をそのままに、ひとつのあばら家に向かった。
「うーん、かなりガタがきてるなあ」
無理もない。長らく放置されていた建屋は雨風は凌げそうだが少し埃っぽい。まだ日が高い事もあって、色んな荒が見てとれてた。
土間に隠してあった煎餅布団を敷いて彼は手を差し伸べた。
「おいで」
思い切り抱き締めると、痛いと苦言を呈されてしまった。
「何を考えているか知らないけれど、この身体は君が拾ったんだよ」
利吉の手を取って着物の隙間に滑り込ませる。あの痛々しい傷が、すっかり治っていることに安堵して、唇を貪った。
「貴方の眼中にあの男しか居なかったのかと思うと、妬けてしまって」
「馬鹿だねえ、私の心を絆たのは君だっていうのに」
着物を脱がせると辰弥の瞳が蜜のように蕩けた。
「久しぶりだから、満足させられるか分からないよ」
「想いがやっと通じたんです。満足いかないはずがない」
既に溢れる想いでいっぱいなのに、これ以上満たされることがあるだろうか。
「私が抱いてもいいよ?」
「嫌です。ちゃんと気持ちよくしますから」
控えめに頷いた彼の身体に掌を滑らせる。随分久しぶりだからか、褌を解くと彼の魔羅は既に熱を持ち始めていた。
「…ふふ、何だか恥ずかしいな」
「今更じゃないですか」
何度も身体を重ねたが、彼にそういった感情は無いのだと思っていた。
「それでも、だよ。だって私はもう心まで剥き出しなのだから」
息を詰める。偽りで塗り固められていたものではなく、今此処にあるのは真実の彼自身なのだと言われたのだ。
「優しくしたいので、あまり煽らないでください」
「それこそ散々好き放題してくれたのに今更だよ」
少し痩せた彼の体に口付けながら、先走りで濡れた菊門に指を食ませる。それだけで身を捩る様に、随分と敏感になったなと過去に思いを馳せた。
窄まりを丁寧に開きながら、陽根を扱く。溜まっていたのか射精までさほど時間はかからなかった。
「は、ぁ…っ、きみの…は?」
辰弥の指先が利吉の魔羅に触れる。
「貴方の中で、イきたいので」
その手をそっと制すと、彼の首が縦に揺れた。
十分解れたそこに先端を塗りこめる。
「入れますよ…?」
こくこくと何度も頷く様に堪らない気持ちになって、焦りと欲を抑えながらゆっくりと中へと入っていった。
「っあ!」
それだけで達した辰弥の腹は白い精に濡れている。搾るような中の動きに耐えながら、何とか奥まで肉棒を埋めた。
「は…あ。ここ、まで…はいってる」
摩られた腹に、中が締まる。
「っ、あまり煽らないでください…!優しく、したいので」
「いい、よ。きみのすきにして」
ちかちかと目の前が瞬く。
「なっ、にを」
伸ばされた腕が首の後ろに回って抱き寄せられた。
「ちゃんとぜんぶ、うけとめるから」
今まで逃げてきた分も受け取らなかったものも全て。だから君の好きにしていい。
「…っ、後で怒らないでくださいよ…!」
呼び覚まされた獣が、目の前の馳走を喰らい尽くす。許される心地良さも、受け入れて貰える嬉しさも、全てを快楽にすげ替えて。
啼いた彼の声が今までよりも一等色艶に満ちていて、それがまた欲を昂らせる。
精魂尽き果てて二人横になる頃には夜もすっかり更けっていた。
「…からだがいたい」
「すみません、久しぶりだったので無理をさせてしまいました」
手拭いで身体を清めてやりながら額に張り付いた前髪を払ってやる。
「怒ってないよ、私がいいと言ったんだ」
掠れた声に水筒の水を少し飲ませてあげた。
「辰弥さん、もう他の誰にも抱かせないでくださいよ」
「どうだろう。教員と言えど忍だし、君だって仕事で抱いたり抱かれたりすることもあるでしょう?」
彼の言わんとしていることは分かるが、好いた相手を他人に抱かせてやるほど懐は広くない。
「私は全部そういうのは断ってるんです」
「別に外で子供をこさえていても構わないのに」
「あんまり言うと怒りますよ?」
中に吐き出した精もなんとかかきだせた。
「貴方が孕めたらいいのに」
ぽつりと呟いた言葉に辰弥がぎょっと目を剥いた。
「女の方が良かった…?」
「まさか。貴方だから好きなんですよ。まあ男でも孕めたらお願いしたいですが」
「君の恐ろしさが改めて身に染みたよ」
そこまで言うほどのことだろうか。首を傾げて唇を重ねる。
「無理をさせたのでゆっくり休んでください」
「…うん。おやすみ」
瞳が閉じられるとすぐに穏やかな寝息が聞こえてきた。着物を羽織らせて隣で横になる。
添い遂げられた喜びに浸りながら、身体を抱き寄せて眠りについた。
**
個々の行いが世の中に劇的な変化を齎す訳では無い。
以前までと変わったことと言えば、先生と呼ばれる事が増えたとか、座学も教えることになったとか、外出する機会が少し減ったとか、可愛い恋人が祝言を挙げたいと必死だとか、髪が後ろで結べるようになったとか、そんなことくらいだ。
「辰弥先生、少し相談に乗って頂けますか?」
「土井先生…半助君なら私が相談に乗らなくても授業については君が先輩でしょう?」
職員室に訪れた珍しい客人を招き入れて、辰弥は肩を竦めた。
「まあまあ、授業のことじゃないんだ…ゆやさんになにかプレゼントをしたくて」
「いいんじゃないかな、彼女なら何でも喜んでくれそうだけれど」
「そう言わず…だから悩んでるんだよぉ…」
半助は正体を明かしてから、こうして二人の時は旧友のように話すようになった。
「本人に直接聞いたらいいのに」
「お気持ちだけでと言われてしまうんだ…」
「定番だと櫛だけど、巾着とか…」
戸の前に気配を感じて言葉を切る。
「辰弥さん、海です」
「どうぞ、入って」
「失礼します…あれ、土井先生もご一緒でしたか」
入ってきた彼女が顔を上げる。
くのたま達には結局詳しい話は伝えていない。混乱させないようにというシナ先生の配慮だが、利吉が浮かれている様子が彼女達には手に取るように分かるらしく、怪我をしたことも相まって色んな噂が流れている。
「どうかした?」
「えっと、次の座学の後少しお時間を頂きたくて」
「うん。いいよ、今からでも構わないのに」
半助に目配せすると小さく頷いた。
「そうそう。私に気にせず聞きたいことがあるなら」
「あ、あの、利吉さんが…来られているので」
少し学園が騒がしいと思ったらそれが原因らしい。成程と頷いて半助に笑みを向けた。
「半助君、あとは宜しくね」
「相変わらず何やってるんですか…」
呆れた笑みに肩を竦めて気配を消し、天井裏に潜る。
結局は根本の性分というのは変わらない。前と違うのは気恥しさが入り交じるようになった事くらいだろう。
部屋で利吉の応対をしているであろう半助と海に心の中で詫びながら、食堂で茶でも飲もうと足を向けた。
君との日々