とある人物が書を運んでいるという話を耳にした。
それは正しく戦の火種。新たな火縄の設計書が記された密書であり、武器商人がとある城に売り込む為に動いているらしい。
「隣国がそれを手に入れれば我らは戦で不利になる。くれぐれも手に渡らぬよう、あわよくば手に入れて帰ってくれ」
「承知致しました」
「お兄さん、休憩所をお探しですか?」
息を飲む美女に声をかけられ、男は足を止めた。
「あちらでお団子を売ってますので是非どうでしょう」
にこにこと眩いかんばせに男は思わず首を縦に振ったその時だった。
「あれ、利子。仕事中かな?」
やけに馴れ馴れしい男が一人女の後ろから歩いてきた。
「た…辰弥、さん?!」
「うちの女房の客引きが強引だったならすまないね。女房の仕事先の団子は絶品なんだ。お兄さんにご馳走するから是非食べていってくれないか?」
人好きする笑みを浮かべる町人の装いをした男も女かと見紛うほどの美男子だ。
「は、はい!ぜひに…!」
同じ男でも美男美女に声をかけられ断れようか。客となった男は興奮気味に首を縦に振った。
(何故こちらに)
勝手に夫婦にされたにも関わらず矢羽音を飛ばしてもあちらからの返事はない。密書を運ぶ男と和やかに話す辰弥をちらりと見た。
男のように振る舞い話す彼の姿は珍しい。二人きりになってもどちらとも分からない話し方をする上に、町に出る時は決まって女装姿なので男の振る舞いはしないのかと思っていた。
「ところで、商人さんは何を売りに?」
巧妙な話術で男が商人であり、物を売りに来たという話を聞き出した辰弥が改めて切り出す。辰弥に褒められて気を良くしていた男は利吉が求めている密書を躊躇いもせずに取り出した。
「こう言ったのを殿様がほしいってんでね。兄さんも見てみます?」
「私なんかが見せて頂いてもよろしいので?」
驚いた顔で差し出された密書を辰弥が見る。
「ここで会ったのも何かの縁、団子の馳走代ということで。ああ、奥さんにはちょっと刺激が強いかな?お茶を入れてきてもらえますかな」
一番密書に近付けるタイミングを逃して利吉は内心で舌を打つ。此処で下手に食い付いては疑われかねない。
「はい、ただいま」
笑顔を浮かべてお茶のお代わりを受け取りに奥へと入る。戻ってきた時には、男は既に懐に密書を仕舞う所だった。
「凄いでしょう兄さん」
「ええ、戦というのは良くないですが、こう武器という物には浪漫がありますな」
男に調子を合わせて笑う辰弥を横目に茶を啜る。
「では、私はこれで」
「ええ、いいものを見せて頂きました。道中お気を付けて」
頭を下げて去って行く男を追い掛けようと走り出す前に、後ろから腕を掴まれた。
「で、君は何をしているのかな」
「私は仕事です。そちらこそ聞いても答えてくれなかったじゃないですか」
はあ、と辰弥は溜息を零す。
「あの男は忍だよ?目の前で矢羽音なんて返せるわけがないだろう」
そんな気配もしなかった。
「何故気付いたんです」
「歩き方、喋り方…武器商人は本当なんだろうけどね」
だから利吉を遠ざけたのかもしれない。あの密書を狙う忍は一人だけとは限らないからだ。
「…まさか、辰弥さんも」
「なあに?」
すっかりいつもの調子に戻った彼はこてんと首を傾げた。
「あの密書、狙っていたのでは」
「私はたまたま町に来たら仕事をしている利子ちゃんに会って面白そうだから便乗しただけだよ」
男の去っていった道を見て、僅かに彼は目を細めた。
「あんな愉快なものが釣れるとは思わなかったけどね」
忍の目を欺いた忍は、やれやれと息を吐いた。
「私はあの男を追わねばなりません」
「どうして?」
「今回の仕事だからですよ」
掴んだ腕を彼は離してくれそうにない。普段なら大歓迎なのだが、如何せん間が悪い。
「もしあの密書が目当てなら、あの男はもう持ってないよ」
僅かに目を見開く。もしそうなら、ひとつ仕事をこなした事になる。
「まさか、貴方が」
「さあね。彼を追うなら急ぐといい。引き止めて悪かったね」
手を離して踵を返す男を追い掛けて、今度はこちらが手を引いて駆け出す。
「なに?」
「人のいない所へ」
町外れの森に入って人の気配が無いことを確かめる。
背を木に預けて欠伸をしている彼に詰め寄ると、口元が不敵に歪んだ。
「君のお目当てを追わなくていいの?」
「貴方が密書をもっているなら追う必要はありません」
「私が持っているとは一言も言ってないよ?探ってみるかい?」
胸元をはだけさせて見せる彼に思わず目を見張った。
「っ、待って下さい」
「待たない。折角君の方が可愛い格好しているのに、私をどうするつもりなのかな」
取られた手が彼の胸へと誘われる。何度も貪った事のある身体なのに、今日は何故かいつもと違うように感ぜられて心の臓がばくばくと脈打つ。
しっかりとしなやかな筋肉がついたその身体は無駄がない。
後ろに回った腕に引き寄せられて唇が重なった。
紅が彼の唇に移って赤らむ。
「っ、その手には、乗りませんから…っ!」
どうにか突き放して距離をとる。
「おや、残念」
ぺろりと舌舐りをする所を見ると全て彼の手で転がされていたようだ。
「密書はどこです」
「さあね。持って帰らなくちゃいけないの?」
「いえ…まあ、可能であれば…ですが」
出来ればこの男と対立はしたくない。これは情からくるものではなく、彼に敵わない事実を何度も目の当たりにしてきたからだ。
「なら、諦めて」
先程の甘い空気から凍てつくような空気に変わる。痛い程の冷気、これが彼の放つ殺気なのかと背を震わせた。
「…理由は、聞かない方がよさそうですね」
「賢い君なら早く手を引いてくれると思ったよ。密書は燃えた、誰の手に渡ることもないと依頼主には伝えておいてくれると助かるんだけど」
指先が冷たい。蛇に睨まれた蛙のように、まだ上手く身体が動かない。
「…分かりました、伝えておきます」
「ああ、それと」
辰弥は羽織を脱いで利吉の肩に掛けた。
「女の子は冷やしちゃいけないよ。じゃあね」
ぺたんと座り込んだのは気が抜けたからだ。すでにない彼の気配に深い息を吐いて髪を掻き乱す。
「全く…あの人は…!」
散々弄んでくれる。次に会ったら絶対に抱き潰してやる、泣いても止めるものかと心に決めて女装から普段の私服へと着替えた。
「新たな武器など世を乱すだけ、その情報を取り合わずに済むのなら構わない」
寸のところで依頼主である殿様から許しを得て報酬も手に入れた。製造所自体が火事になってイロハは何も残っていないらしい。
何処までが彼の仕業かは分からないが、一先ずは顔を見ようと忍術学園を訪ねた。
「辰弥さんなら戻ってませんよ?利吉さんが来られる前に出掛けられました」
ならば鬼城の方だろうか。忍術学園に入るのを止めて踵を返す。
何か胸騒ぎがする。どこかの拠点に居ればいいが、見当たらないとなれば──
焦る心を宥めながら、山道を駆けた。
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