「辰弥さん」
忍術学園に一番近い拠点に滑り込んで来た男に溜息を零した。
「今夜中だよ。どうしたの」
渋々布団から出て迎えると、頬にまでべったりと血が着いていた。
「…怪我?」
「全て返り血です。人を殺しました」
忍同士揉み合って片方が命を落とすことはよくある事だ。震える彼を居間に上がらせて桶に水を張る。
「早く洗わないと取れなくなる。ついでに傷も見るから」
囲炉裏の火を起こすと部屋が僅かに明るくなる。彼の体を手拭いで拭きながら細かく傷がないか確かめた。
彼の言うとおり大きな怪我はしていないようだ。汚れた衣を水に漬けて絞り、また新しい水を張って濯ぐ。本当は天日で干したいが夜中だとそれも叶わない。泥棒に合っても困るので家の中に古い竹を竿変わりにして着物を干した。
「…すみません」
「生きていれば儲けものだよ。怪我もないなら及第点じゃないかな」
突然彼の腕が伸びて抱き寄せられる。小さく震えているのは寒さのせいではなさそうだ。
「馬鹿だねえ、修羅の道だと教えたのに」
未だにこれに慣れないらしい彼は、人を殺すと必ず訪ねてくる。
震える背を抱き留めて、その背を優しく摩ってやる。
「貴方は、平気なのですか」
「慣れたよ。だからいいというものでも無い」
彼の目の下を指で拭う。
「その気持ちは、捨ててはいけないものだと私は思うよ」
慣れれば気は楽になるだろう。けれどそれは人の道から外れる行為に他ならない。
「今は忘れたいと言うなら、抱いてあげようか」
胸に顔を埋めた彼がぴくりと背を震わせたかと思うと、布団の上に縫い止められた。
「抱かせて、くれますか」
不謹慎ながらも捨てられた犬のようだ。その顔には弱いのだが口に出すつもりはない。
「明日は授業があるから、差し支えない程度なら」
「手加減できないかもしれません」
暗闇に溶かしたような声に思わず溜息が零れた。
「はあ、多少乱暴にされた所で慣れてるよ」
気に触ったのか言葉を搦めとるように唇を奪われる。
昂った捕食者の瞳に射抜かれて、今日ばかりは大人しく餌になってやろうと体ひとつ彼に明け渡した。
**
「おはようございます」
「おはよう」
すれ違う子供達への挨拶を返すのに上手く声が出なくて咳払いひとつ。身体は怠いが動けないこともない。
「なんて顔してるんだねアンタ」
伝蔵に呼び止められてパチリと瞬く。
「そんな変な顔してる?」
「少なくとも良い子には見せられん。ほれ、ここも白粉を叩いて来い」
伝蔵に指された場所は手鏡では見つけにくい所だ。相手が誰か気付いているのか、伝蔵は肩を竦めた。
「利吉は?」
「まだ寝てるので置いてきたよ。目が覚めたら来るんじゃないかな」
任務の話は知らない筈なのに、伝蔵は目を伏せた。彼に起こったことを知っていると言わんばかりの様子に辰弥は苦笑いを浮かべた。
「だいぶ気は持ち直しているから大丈夫だよ」
「世話をかけたな」
「いえいえ。ちょっと職員室に寄って来るね」
学園の門が開く音がする。利吉が着いたのだろう。
後で文句のひとつでも言ってやろうと心に決めて、先ずは白粉を叩くために職員室へと向かった。
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