一人の少女が死んだ。
戦争孤児らしく、どうにか一人で生き延びたらしい彼女は山で暮らしていた。
行くべき寺や神社を教えたが、動く気はないらしい。
仕方なく、生きる術を教えた。罠や仕掛け、獲物を捕る方法、食べられる草や茸、食べてはいけないもの。
ある日うさぎを捕った。自分の捕ったうさぎは美味しいと笑っていた。
屠ったのは山賊だった。
山小屋の片隅で震えている少女を意味も無く屠ったらしい。
すでにその山賊は誰も彼も話す口を持たない。
今腕の中にいる少女と同じだ。
これはこの世の常である。
少女の墓を建てた。
誰にも分からぬ程の小さな墓だ。
その横には彼女が頑なに離れなかった理由の、拙い墓石のようなものがひとつ置かれていた。

涙は出なかった。
ただ、気紛れに手を出すべきではなかったと、そう強く思ったのだ。

**

「辰弥さん?」
ひょこりと辰弥の職員室を覗き込んだ影に、次の授業のための化粧道具を整理していた辰弥は溜息で返した。
「利吉君、なに?」
忙しいんだけど、と顔を顰めると利吉は首を傾げてパチリと瞬いた。
「寝れてないんですか?」
「何でそうなるのさ…ってこら、離しなさい」
掴まれたその腕に目を細めると、利吉は辰弥を力いっぱい引き寄せた。
力では利吉が勝るがその力を上手く逃がして腕を解く。
「今…」
「縄抜けの要領だよ。忙しいから相手してる暇はないんだって」
きゅっと口を結んでから、利吉は辰弥の頬に触れようと手を伸ばしてくる。それを避けながら、化粧箱に道具を仕舞った。
「なにか、隠してますね」
「忙しいんだってば」
立ち上がる前に利吉の手が再び伸びてくるのが見えて、腕を引く。
立ち上がった利吉に思いきり腰を掴まれて抱き上げられると、流石に打つ手がなくなって息を吐いた。
「シナ先生、辰弥さんをお借りします」
通りがかりのシナの職員室に声をかけた利吉に、何を言っているんだと暴れたところで体躯と力の差で捩じ伏せられる。
早く逃げなければと疲れた頭で考えるよりも先に、辰弥のよく使う拠点に辿り着いてしまった。
板間の上に転がされると、利吉の真剣な表情が目の端に写って視線を背ける。
「なに…?」
「白粉を隈を隠すのに使っているでしょう?辰弥さん、何があったんですか」
どうしても口で説明させたいらしい利吉を見上げて、辰弥は視線を逸らした。
「なにも。離して、放っておいてよ。なんで君は」
滑りそうになる言葉を制して、はあと息を吐いた。
「少し寝るから」
「理由を聞かせてください」
「…利吉君」
いずれ、利吉も蝕むのだろうか。この身体に刻まれた厄災の烙印は、その対象を選べない。
「いやだ」
脳裏に鮮明に映る、血溜まりの中の少女。
刀の切り口が深い事から、苦しまずに逝けたのかもしれない。そうだといい。けれどその命を散らすにはあまりにもはやすぎた。
己の介入がなければ、彼女はまだ生きていられただろうか。あんなに小さく冷たい身体をこの腕で抱えるのは、もう嫌なのだ。
「…っ、…!」
頬が熱く濡れる。利吉が驚いたように目を見開いている。
「もう、嫌なんだ…っ」
誰かを巻き込むのも、近しい人を死なせるのも、関わった相手を不幸にするのも。
「辰弥さん…」
利吉の暖かい腕の中に抱かれて、その胸にしがみつく。そうして、辰弥はまるで聞き分けのない幼子のように泣いた。

「…ごめん、疲れていたみたいだ」
「いえ…私も、強引すぎました」
利吉を押し退けると、するりとその腕を抜けて床に転がった。本当だよという視線を送っても、利吉は反省する気はないようだった。
「私は、捨て子なんだ」
利吉が息を飲む。そんな親が存在することを暖かな家庭で育った彼は、恐らく想像もつかないだろう。
「厄災を呼ぶ、人を不幸にする。近付けば、破綻させる。そういう星回りらしくてね。それが、嫌だった。けれど生まれながらの罪を雪ぐなら人の為に生きなければならない」
辰弥は目を伏せた。名も知らぬ少女の、小さな死。これが世の常であるわけが無い。彼女が生きる道は他にももっとあったはずなのだ。
「だから君は、早く私のことは忘れて、幸せになりなさい」
悪の中に僅かな善があるように、善の中に僅かな悪を持つ人もいる。善は助け、悪は挫く。そうして生きてきたけれど、人の心というのは白と黒で判断はするものではない。
摘んだ悪の芽の中に大きな善があったかもしれない。けれどそれも知らずに屠ってきた辰弥は、確実に厄災であり、人を不幸にする存在なのだろう。
「嫌です」
その言葉に利吉を見上げた。
「そんな信じられないような顔しないでください。私は少なくとも辰弥さんに会ってからずっと、この出会いこそが幸だと思いましたよ」
引き寄せて抱き締められる。嫌だ。無条件に暖かいこの腕も、それを拒みきれない己も、嫌なのだ。
「慰めが欲しい訳じゃない。利吉君は君の父を超える忍者になるという目標を果たす為にも、逸早く私から離れることだ。君が私に向けるその感情も、早く他所へ向けたらいい」
胸に手をついて力を込めても、利吉は離す気は無いらしい。
「ずっと不思議でした。貴方がなぜ、そうも自分の事を疎かにするのか」
顎を掴まれて利吉の方を向かされる。黒曜石のような瞳の奥に僅かな光を携えて、利吉は苦々しく笑った。
「それが、貴方を蝕む呪いの正体…なのですね」
息を詰めた。薄々自分でも気がついていたのだ。
そう、これは呪いだ。辰弥が義母から受けた、真っ当に生きられない為の呪い。父から受けた清廉に生きられないような呪い。そして、師匠から受けた己を擲つ呪い。
「…今更、君に否定させるつもりはない」
「否定はしません。今の貴方があるのは、その呪いのお陰なのですから。ならば今度は」
利吉は至極嬉しそうに微笑んだ。
「私が、辰弥さんの呪いを解く番ですね」
「…っ、はあ、何を馬鹿な」
「私は本気ですよ。貴方が私の愛を受け取れないと言うのであれば、その澱みを祓うまでです」
抱き寄せる腕に力が入る。
「…苦しいよ…本当に物好きだな、君は。好きにしたらいい。私に架せられたのが呪いだとして、私が解呪を求めているとは思わないことだね」
ちょん、とつまむように口付けられて、ぱちりと瞬いた。
「上等ですよ、貴方が嫌と言ってもやります」
利吉が満面の笑みを浮かべて、辰弥の耳元に口を寄せた。
「それが私の愛の形ですから」

**

何度袖にしても諦めない利吉に、遂には己の過去すらも語り開いてしまったことを、ほんの少し後悔した。
利吉が特別になりつつあるのは間違いない。いや、きっと、恐らく出会った時から大切だったのだ。生まれたばかりの赤子が、この汚らわしい指先を嬉しそうに握っただけで、辰弥は救われてしまったのだから。
「私だけ特別ではダメですか」
仕事を終えたところで利吉に捕まり、拠点に連れ込まれてからそんなことを問われて、辰弥は瞳を瞬かせた。
「なんのこと?」
「私が辰弥さんを愛するのは、貴方が私に愛される資格があるということです。貴方が与える不幸を、私は受けたことがないですから」
思っても無かった言葉に思わず目を見開いた。
「資格…?」
「はい。貴方は十分に愛される資格がある。その相手を、私だけに絞るのはダメですか?」
利吉だけが辰弥を愛する資格を持つ。だからこそ彼は辰弥の呪いを受けず、辰弥もそれに甘えていいのだと、利吉はそう言いたいらしい。
「…はあ。君、本当に手段を選ばなくなってきたな」
「それこそが忍者の本質では?」
「三禁ともいうよ。欲を持たず、酒に溺れず、色恋に惑わず」
む、と利吉が不服を顕にする。
「けれど、世帯を持つ忍びもいます。優先事項でなければ問題ないのでは?」
忍者は任務が全てだ。それに捧げる気概があるのなら、過程の話は問題ないのかもしれない。
「……仮にもし、私が受け入れて、君のしたいようにすると。私も君を愛すると言えば…君はどうしたいの?」
利吉は驚いたように口を開けてから、ふにゃりと柔らかい笑みを零した。
「勿論、貴方と一緒に生きます。辛いことも、苦しいことも、貴方と乗り越えたい」
言葉にされて初めて気が付いた。己の運命だと諦めて、受け入れて、楽な方へ流れようとしていたのは辰弥自身の方なのだと突き付けられた気がした。
心の奥では常に抗いたがっていたのに。利吉と共に立ち向かう事を望んでいたのに。
「…後悔するかもしれないよ」
「しませんよ。私が悔いる事があるとするなら、貴方を失う時以外に有り得ません」
「そんなことない癖に、都合のいい言葉ばかり並べてくれるね。君は」
利吉はきっと、周りの誰が死んでもその傷を負って生きていく人間だ。だからこそ惹かれたのだ。その傷を一人で負わなくてもいいと、言ってあげたかったのだ。
「…はあ、どうやら僕の負けだな」
辰弥は大きな溜息を吐いてから、利吉に顔を近付けた。
「君がそこまで言うなら、君に愛されてみようかな。君にだけだ。だから何があっても死んでくれるな。君を助けるために私は居るのだから」
「お互い様ですよ、辰弥さん」
己に対する疑惑が全て晴れたわけではない。けれど何処か晴れやかな気持ちを抱えたまま、辰弥は利吉の唇を啄んだ。
「…っ!はじめて、辰弥さんから…口吸いして下さいましたね」
「君にだけと言ったのだから、せいぜい君に愛されるために励むとするよ」
そう告げて笑って見せると、利吉に勢いよく押し倒された。
「これ以上私を釘付けにしてどうするつもりですか?!」
「あはは」
利吉のその真剣な眼差しが、真摯な言葉が、あまりにも可笑しくて、嬉しくて笑い声が零れる。
「地獄の道中に付き合わせるつもりだよ」
辰弥は唇に弧を描いた。間違いじゃない。ここからは共犯だ。
そこまで言うのであれば、煤煙を討つ手伝いをしてもらおうじゃないか。
「上等ですよ。貴方が望むなら、何処まででも」
今度は利吉から唇が重ねられる。その口付けが深まるまで、そう時間は掛からなかった。

**

「なんでそんな大切な事、もっと早く教えてくれなかったんですか」
初めて聞いた辰弥の話に、利吉は思わず眉を寄せた。
辰弥の過去に気後れしなかったと言えば嘘になる。齢五つの頃に男に初めて抱かれたということ。その男こそが辰弥の師匠であり、捨てられた辰弥を拾った当時の城の忍頭だということ。
煤煙という名を深く刻んで、利吉は辰弥に詰め寄った。
「誰も巻き込みたくなかった。相手はそういうのを好む質の男だからね」
聞けばかのドクタケ城の稗田八方斎よりも劣悪なその男は、あらゆる城を唆して戦を仕掛けたり、女子供を笑いながら容赦なく葬るらしい。
その癖煤煙という男は警戒心が強いらしく、辰弥が己に関する情報を秘匿したのは彼を見つけ出して屠る為だと言う。
「…なんと言うか、妬けますね」
「冗談でもやめてよね。煤煙とはそういうのじゃない」
「分かってます…分かってますが、辰弥さんが人生を賭けて追っている相手なのでしょう?」
はあ、と辰弥は呆れたように息を吐いた。
「言わば身内の不始末を尻拭いするようなものだ。君に向ける感情とは比べるまでもないよ」
頬がかあっと熱くなる。辰弥はあれから少し変わった。
利吉から逃げなくなったし、利吉の望むことに積極的になった。それが自罰的な理由によるものではないかと心配していたが、少し様子が違う。
というのも、利吉の望みを受け入れるだけでなく、辰弥自身の望みについても利吉に話すようになったからだ。
これは目覚しい違いで、あの日から確かに辰弥と利吉との関係性の何かが変わったと言わんとしているようだった。
「…なんと言うか、辰弥さん…少し変わりましたね」
「君が愛してくれると言っただろう?…もしかして、嫌だった?」
覗き込むように首を傾げられて、ひゅっと息を飲んだ。
「まっ、まさか!嬉しいんです。何でも話してください。絶対に受け止めますから」
手を伸ばして頬を撫でると辰弥が擦り寄ってくる。
まるで猫のようだ。家で飼っている獰猛な猫とは、天と地ほどの違いがある。
「…本当に貴方というお人は」
「これでも必死なんだよ?何分愛されるのは初めての事だからね」
そう言って朗らかに笑う辰弥を思わず抱き締めた。そんなことは無い。けれど彼は知らないのだ。ずっと心を檻に閉じ込めて来なければいけなかった彼には、誰かの愛を勘違いに挿げ替えざるを得なかった。
「いずれ分かりますよ。私だけではないと」
「君だけに愛されて欲しいという話ではなかった?」
茶化して笑う辺りは相変わらずだと肩を下げる。
「そうして欲しいのは山々ですが、そうではないのが事実ですから」
額に口付けてから離れると、辰弥は顎に手を添えて考え込み始めた。
「話が脱線してしまったね。煤煙の足取りは漸く範囲を絞れたけれど、まだ特定には至ってない。これは私の命題だ、君を巻き込むとは言ったけれど五体満足で戻れるか…」
利吉は目を細める。そんなに強大な敵を前に、この人は本気で一人で戦うつもりだったのだ。利吉を加えて漸く二人。けれど利吉とて漸く掴んだ辰弥という存在を逃す訳には行かない。
勿論、己が死ぬつもりもない。
「私にも策を練らせてください。この話はまた後日、纏まればお話します」
「元よりここ10年前、ずっと雲を掴まされてきた。私の前に姿を見せても、やはりその先は分からなかった…今更時間が多少掛かろうが同じことだよ」
その言葉を聞いて安心した。辰弥も事を急いている訳ではない。着実に追い詰める方法を探しているようだ。
「ありがとうございます。纏まり次第、必ず」
「うん、期待しているよ」
「ええ、それでは。仕事に行ってきますね」
拠点を後にしようと立ち上がりかけたその時、不意に袖を引かれて振り返ると、頬を赤くしたまま唇を結んだ辰弥がこちらを見上げていた。
「…口吸い、しないの?」
反則だ。惚れた相手にそんなことを言われてしまえば、する以外の選択肢はないというのに。
「します。してもいいんですか」
「いいから聞いて…んっ、ぅ」
唇を重ねて舌を絡め取る。心地よさそうに辰弥の深紅の瞳がとろりと溶けていく。
尚更離れ難くなって、その身体をそっと抱き締めた。

**

「で、儂に手伝えということか」
「お知恵を拝借出来るのではないか、と」
伝蔵は腕を組んだまま肩を落とした。そんな父を伺うようにみて利吉は首を傾げる。
「…前々から、戦が始まる切欠が上手く出来すぎていることがありましたね」
「誰かが裏で糸を引いてるんだろうと思っておったが、可能性はあるな」
半助の進言を受けて、伝蔵は頷いた。
「私も、どうにもきな臭い話を何度か掴まされた事があります。もし、それらの裏に煤煙が居るのだとすれば」
「利吉君、その忍者は城仕えなのかい?」
「いえ、辰弥さんの話では今はフリーで活動している、と」
成程、と頷いて半助は何やら考え込み始めた。
「あやつめ、こんな大事な事を黙っておったのか」
「辰弥さんはお一人で全部決着を付けるおつもりだったそうで」
伝蔵の深い溜息が響いて、半助が苦笑いを浮かべた。
「なにか抱え込んでおるとは思ったが、あやつ一人では手に負えまいよ」
「しかし我々が手を出せるものなのでしょうか」
「ですので、お知恵を、と」
忍術学園が大々的に動くとなれば大義名分が必要だ。しかし現状において辰弥が齎した情報しかなく、学園や生徒に危機が及んでいるわけでもない。
だからこそ利吉はそれを承知で二人に相談に来た。
戦忍として名高い父、伝蔵と、兵法に詳しい義兄、半助であれば、なにか上手く絡め取る手はないかと考えたのだ。
「利吉君も、首を突っ込むつもりかい?」
「勿論。辰弥さんの存亡が掛かるとあっては、事情を知った今じっとして居られません」
「はあ。利吉、少し時間をくれるか。学園長先生に話を通すくらいは許されるだろう」
伝蔵と半助が顔を見合せて頷いた。学園長に利吉から直々に声を掛けるのは躊躇われたが、父が味方に付いてくれると言うのであれば、それだけで心強い。
「はい。よろしくお願いいたします」
手を付いて頭を下げると、ふ、と半助の微笑む声が零れた。
「大事なんだね、辰弥さんが」
「はい。どうしてもあの人と歩みたいんです」
そんな息子の様子に、何を思ったのか伝蔵は徐に立ち上がった。
「利吉、あやつのこと、頼んだぞ」
「…はい」
その言葉に利吉は大きく頷いた。
「土井先生、儂は学園長先生のところへ」
「はい、私も周辺の情報を探ってみます」
去っていった教師達を見届けて、利吉は職員室の外へ出た。
辰弥も今日は情報を得るために、絞り込んだ周辺の調査に向かっている。
「あれ?利吉さん?」
声を掛けられて振り返る。お馴染みの三人組に見上げられて、利吉は笑みを浮かべた。
「やあ、乱太郎、きり丸、しんベヱ」
「また山田先生の洗濯物ですかぁ?」
首を傾げたしんベヱに首を振る。
「今日は少し頼み事をね」
「なるほど…ちなみに、辰弥さんならいないっすよ」
「うん、知ってる」
穏やかな笑顔に三人が何かいつもと違うと顔を見合せた。
「何だか利吉さん、幸せそうですね」
乱太郎の満面の笑みに、利吉は首を傾げた。
「そう見えるかい?」
「何かすっげえお宝手に入れたとか?!」
「ものすっごく美味しいもの食べたとか??!」
きり丸としんベヱに詰め寄られて、いやいやと首を振る。
「君達は先生方に用事かい?」
「いえ、丁度通りかかっただけでーす!」
「そうか。私は仕事があるからそろそろ失礼するよ」
手を翳すとコソコソと話し始めた三人が、勢いよく手を挙げた。
「辰弥さんといい感じなんっすね!」
「怒らせちゃダメですよ!」
「お幸せに!」
そんなに分かりやすかったかと頬を抑えて、利吉ははにかんで手を振った。
辰弥からの連絡はないから、借りている家には帰ってないのだろう。
一先ずは己も繰り出そうと、学園の外へと飛び出した。

**

森の静けさに溶けるように辰弥は気配を消した。
奥から向かってくる忍軍に、彼は僅かに眉を寄せる。
偵察に向かうには人数が多い。周辺で戦の気配もない。
この先にあるのは小さな領地だけだ。
「よォ、十二番」
「…煤煙師匠」
十二番。辰弥がかつて勤めたアマガベニ城で呼ばれていた、名前とも言えぬ名。
「お元気そうでなにより」
「はっ、色々嗅ぎ回っているクセに良く言う」
巨躯に距離を詰められて、辰弥は呼吸を正した。
「久々にお会いしたくて」
「へェ。色が出来て初めての男が恋しくなったか?」
煤煙の大きな手が辰弥の下腹を撫でる。まさか。この男で、気持ちよくなった事など一度もない。
「そうだ、と言えば抱いてくださるので?」
煤煙は鼻で笑って辰弥から距離を取った。
「此処じゃなんの面白みもねェよ。どうせ犯すンならお前の色にも見せてやらねェと」
相変わらず悪趣味な男だ。心の中の悪態を気取られぬように微笑んで、煤煙に握らされた紙を掌で弄ぶ。此処で手を出せば周りの忍がどう出るか分からない。目の前に敵が現れたからと言って無策で飛び込むほど、愚かではいられなくなった。
「長らく貪っていない甘露の味見は、いいのですか?」
覆面を外し、艶やかに唇を舐める。股座から下腹部へ煤煙が撫ぜたように手を這わせると、近くに居た忍者が唾を嚥下する音が聞こえた。
「はっ、毒かもしれねェモンをこんな所で食らいたかねェよ。精々一人で来る事だ」
鼻で笑って去って行った煤煙と一軍を見送る。改めて握らされた紙片を開くと、この近辺にある城の脇にある砦を指していた。
煤煙のことだ、辰弥が煤煙を屠りたがっている事を知っているからこそ此処で何もせずに離れたのだろう。口の中から丸薬を吐き出す。口吸いの一つでもされたら飲ませるつもりだった毒薬だ。
懐に仕舞って一度帰ろうと踵を返す。
今迄の辰弥であれば、有無を言わさずこのまま乗り込んだだろう。しかし今は共犯者がいる。彼に心配をかける訳にはいかない。
「…城攻めか」
アマガベニ城は辰弥の手によって落ちた。城勤めに飽きた煤煙の手引きでもあり、辰弥自身が自由を求めて煤煙をも屠るつもりで、一人を除いて皆殺しにした上で火を放ったのだ。
それでも討ち漏らしたのは煤煙の掌で転がされていたからだ。所詮、作られた人形は持ち主の手を噛む事すらできない。
しかし辰弥は、もう意思や感情を捨てた人形ではない。不幸を撒くだけの厄災ではない。だから人に頼ってもいいのだと、身体に心に教え込まされた。
踵を返す。他に気配が無いことを確認して、辰弥は利吉と落ち合うための場所へと足を向けた。

「煤煙と会ったんですか?!」
「私は彼の最高傑作だそうでね、何かある度に色々されてきた。私自身にマークは付いてないけれど、時折情報は集めていたんだろうね」
辰弥の眉が寄る。心做しか辰弥の表情が分かりやすくなったような気がして、利吉は不謹慎ながら口元を緩ませた。
「利吉君?」
「いえ、素直に話していただけけるのが嬉しくて」
辰弥が僅かに息を飲んで視線を逸らした。耳の先が赤い。
「兎に角、だ。あちらが認知している以上、悠長なことは言ってられなくなった。幸い鬼城や忍術学園までは嗅ぎ付けられてない。私が囮になるから」
「ダメです。助っ人をお願いしてありますから」
辰弥の話を遮ると、むうと不服そうに唇を尖らせた。
「別に自暴自棄になってる訳じゃない。煤煙が私を呼んでる。彼は……私の性格上、必ず一人で来ると思っている」
利吉は思わずぱちりと瞬いた。今迄の利吉であってもそう思うだろう。けれど辰弥は、一人で乗り込むつもりではないらしい。
「色を仕掛けようと思う。利吉君は嫌かもしれないけれど」
伺い見るような視線に利吉は小さく頷いた。
「嫌です。けれどそれが有効なら構いません。その代わり、終わったらたっぷり抱かせてくださいね」
こちらの利点は辰弥が煤煙の手練手管をよく知ることだ。一方で、それは辰弥のやり方も知られている話にもなるがここ最近の大きな変化を煤煙は知らない。
辰弥を触らせるのは業腹だが、意表を突くには最善だろう。
「ここに居たのか」
「土井先生」
入ってきた半助が利吉の隣に座る。
「半助君、悪いね」
「いえ、いつもお世話になってますし」
向かい合った辰弥が肩を竦めて笑う。
「もっと気楽でいいよ。私の情報秘匿も此処までだ、君とは同い年だし終われば仲良くしてほしい」
驚いたように半助は瞬いてゆっくりと頷いた。
「利吉君、視線が痛いよ」
「……いいですねお兄ちゃんは、辰弥さんとそんな風に話せて」
「何言ってるの利吉君。私は君に改まって話せといった覚えはないよ?」
利吉と辰弥のやりとりに苦笑いを深めて、半助は座り直した。
「砦の情報を掴んだ。どうやらかなり前から煤煙一味が根城にしているらしい。今は固定の城に仕えず傭兵紛いのことをしているそうだ」
「半助君、君は此処で手を引いた方がいい。相手は煤煙だ、どんな非道に出るか分からない」
辰弥の真剣な眼差しと、利吉の表情を交互にみて半助は柔らかく微笑んだ。
「大事な弟の選んだ人だ、私にも一枚噛ませてくれないか?」
辰弥の眉が僅かに寄る。
「でも、学園が関わるのは」
「本当に何を水臭いことを言っとるんだ」
「山田先生!」
入ってきた伝蔵に半助が笑みを浮かべた。
「辰弥、学園のことは気にするな。学園長から半助と出張扱いにしてもらっているが、これは学園とは関係のない話だ」
「利吉君から頼まれてね。辰弥さんの為だというから手伝いたいと思って」
伝蔵と半助の言葉に、辰弥は戸惑うように視線を泳がせた。利吉と目が合うと、辰弥は覚悟を決めたように小さく頷いて見せた。
「…分かった。もしかすると見苦しい所をみせるかもしれない。煤煙は殺さなければ止まらない、彼は私が仕留める。…だから周りの忍者を抑えるのを手伝ってくれる?」
辰弥の言葉に皆一様に頷いた。それに何処か安堵した様な表情を浮かべて、辰弥は今回の策を切り出した。

**

「頭、忍者が一人訪ねてきました。十二番、と名乗っておりまして」
「通せ」
正面から来たらしい弟子の名に、ニヤリと笑みを浮かべた。
既に次の火種は放った。明日の日没と共に忍術学園へと奇襲をかける。
あの人形は無理矢理にでも手元に置けば、取り戻した感情をまた失うだろう。
煤煙の最高傑作。忍びの中の忍び。
感情を持たず、欲を持たず、色に惑わず、酒に溺れない。
見目の美しさも相まって人離れした人形で、まだ暫く遊ぶつもりだった。
アマガベニ城を落とす手筈を整えて十二番に実行させてから、己を追うように指示したつもりだった。しかしその陥落は予定よりも早く、上手く伝達しなかったらしい。
探し当てた時には、既に人のような心を宿していた。
上手く所在が掴めぬまま何度も取り逃したが、漸くまた手に入る。
「…煤煙師匠」
響いた声に煤煙はにやりと笑った。
「十二番…今は辰弥だったか。身体を開け、忘れたとはいわせねェ」
深紅の瞳が曇る。感情を宿さぬまま、辰弥は静かに着物を脱いだ。
「股がれ。やり方は、分かるな?」
「……はい」
一糸惑わぬその姿に、控えていた部下達の視線が色めき立つ。
そこに居るだけで冥府の花を思わせるような、静かで、艶のあるこの男が、再び己の手中に帰ってきた事実に、煤煙は喉の奥を震わせた。

**

「見張りは全て眠らせました」
「後は砦の中だね」
煤煙の部下は恐怖や洗脳によって支配されている可能性が高いという辰弥の話で、数の多い忍者を眠らせる事で煤煙だけを明確に屠るという策に皆が乗った。
辰弥が任務を遂行出来るように、砦の周囲の連絡網を断つ事で、利吉と半助は砦内に忍び込んだ。
既に辰弥と共に砦内に入っていた伝蔵の手引きで、目が覚めても動けぬように忍者達を縛って行く。
「しかし、大丈夫なのかい?色って」
「辰弥さんは男ですし、孕んだりはしませんよ」
半助の身体が動揺に揺れる。
「なんだお前、知らなかったのか?」
「あ、あはは…すっかり女性かと…」
呆れたように息を吐いた伝蔵に、利吉が苦笑いを浮かべる。
最後の仕上げとばかりに一番奥の部屋へと辿り着いた。
顔を合わせて頷き合うと、半助は外に向かって駆け出した。退路の確保は何より重要だ。
それにしても、この数を歴戦の伝蔵と半助が居たからこそここまで楽に進められた。あの二人の俊敏さや手腕、段取りの良さにはまだ叶う気がしない。それでも超えると決めたからには、少しの技術でも盗まねばと目を懲らしてきた。
「っ、あ…!」
耳立てていると艶のある声が中から響いてくる。
「中に五人か」
矢羽音になっている嬌声は、正直いい気分はしない。それでも出来る限りの安全策をとった辰弥の意思を、どうにか尊重したかった。
「煤煙を含め五人ですか」
「辰弥は文字通り丸裸だ。攻撃されては防ぎようもない。下手に動くんじゃないぞ」
「勿論です」
殺させる訳にはいかない。気を待つしかないのだ。その時間の長さを悔やみながら、利吉は唇を噛んだ。

「はぁ…っ、あん…!」
甘い声を上げながら、菊座で煤煙の魔羅を舐る。揺さぶる度に愉しそうに笑うこの男に、早く殺してしまいたいと思う心を押しとどめた。
他の四人の忍びも辰弥を見てその魔羅を大きくはしているが、煤煙の手前なにもできずにいるらしい。皆武装をしている様が目の端に映る。今行動に移してしまえば、こちらが不利だ。
辰弥が煤煙を殺すために牙を研いできたと、この男は思いもよらないのだろう。月影から学んだ道徳や仏道に反してでもこの男を葬って、己と同じような目に合う子を増やさないと誓った。
「…外が騒がしいな、見てこい…っ…!」
きゅう、と中を締め上げると煤煙が息を詰める。それを見てはっと息を飲んだ忍者は、一斉にバタバタと外へ出た。
「お前の此処の具合は最高だな…っ!」
下から突き上げられて、達したように身体を震わせる。
「ああ…っ!…は、ししょ…」
唇に舌を這わせ、口内に舌を捩じ込む。口の奥に隠した毒薬を、唾液と共に煤煙の喉の奥へと押し込み、舌を使って嚥下させた。
「っ…?!きさま、何を飲ませた!」
「師匠が、もっと気持ちよくなる、薬です」
ゆさゆさと腰を震わせると、中にじわりと熱いものが広がっていく。
利吉に抱かれる時とはまるで異なる、ただ相手を昂らせ搾取するだけの行為。早く利吉に抱かれ直したいと思う日が来るなど以前では想像もつかなかった。
びくりと煤煙の体が跳ねた。辰弥を毒に慣らした人物だ、煤煙を毒で殺せるとは思っていない。だからこの薬は、単なる強力な即効性の痺れ薬だ。
床の上に伸びて満足に舌も動かせないらしい煤煙は、肉棒を咥え込んだままの辰弥の表情を、痺れて動かないのか笑みを浮かべながら見詰めている。
死を予感しても笑う。煤煙は、そういう男だった。ただ、この終わりは予想外だっただろう。彼が思い望むよりも、つまらないものなのだから。
「今までありがとうございました、師匠。貴方に教わった技の数々、糧とさせて頂きます」
傍らにある煤煙の愛刀を抜く。その切先を心の臓目掛けて、思い切り突き刺した。

「辰弥さん!」
部屋を出ると縛られた忍者が転がされており、利吉が心配そうに駆け寄ってきた。
「終わったよ。運び出すのを手伝って貰えると有難いんだけど」
「お前さん、ちゃんと着物を着んか」
伝蔵に嗜められて頭を搔く。必死で服を脱いだことすら忘れていた。
部屋に入った利吉が、衣服の整えられた煤煙を見下ろした。
「…この人が」
「血は拭いておいたんだけど、私の力じゃ運び出すのは無理だ。手伝ってくれる?」
「ええ、勿論です」
伝蔵の助けもあり、半助の誘導のもと運び出された煤煙の遺体は一旦崖の上に安置された。
「あとは私が。三人とも、ありがとう」
学園へ戻って行った伝蔵と半助を見送って、辰弥は煤煙の頬を撫でた。
愛しい気持ちはない。人として育てられなかったから当然だ。けれどやはり、喪う気持ちには未だに慣れない。
煤煙が死んだことにより、彼の洗脳が解ける忍者も多いだろう。けれどあの砦に遺体を置いておけば要らぬ軋轢を生む。だからこそ、この深い谷の底にこの遺体を落とすと決めていた。
「…辰弥さん」
「大丈夫だよ、ありがとう」
利吉の気遣いに微笑んで、煤煙の身体を静かに谷底へと落とした。
ようやく終わったのだ。長かった。
煤煙の遺した忍術学園への火種は、学園の上級生が総出で解除に当たっているだろう。
利吉の元に戻ると、力が抜けてその場にへたりこんだ。
「お疲れ様でした」
「うん。君も。……ねえ、ぎゅって、抱きしめてくれないかな…?」
「お易い御用ですよ」
力強く抱き締める腕が頼もしくて、どこか切なくて。
辰弥はその腕の中で、声を殺して静かに泣いた。

**

宿で湯浴みをした後、二人並んで借りている部屋へ戻った。
「空いていて助かりましたね」
「うん。それにしても…」
布団の上に転がって利吉を見上げた辰弥が、どこか虚しく笑って見せた。
「一つ成したあとの達成感…虚無感にも近いかな。本当に巻き込んでごめんね」
「結局は忍術学園に手を出すつもりだったようですから、辰弥さん一人のことでもありませんよ」
辰弥の上に被さると、白い手が頬を滑る。
「ね、利吉君。今まで」
辰弥の紡ぐ言葉の先を察して、己の人差し指を押し当てた。
「謝らないでくださいね。だって、貴方はこうして私と歩く道を選んでくれたのでしょう?」
そこにどれ程の葛藤が、痛みがあったかは利吉には計り知れない。それでも辰弥は乗り越えた。
「だからこれからの話をしましょう。先ずは父と母に挨拶…ですかね」
「ふふ。その前に、鬼城を辞めないと。織之助は緩いけれど、ケジメは付けなきゃいけないからね」
辰弥の深紅の瞳の奥に光が灯ったような気がして、利吉は小さく頷いた。
「その前に、する事があるのでは?」
我ながら意地悪な問いだと思う。今までも渋々受け入れてくれていたこの人が、利吉の成すことに対して承諾する瞬間が好きなのだ。
「このまま寝る?」
「…冗談ですよね?」
思わぬ返しに頬が引き攣る。笑みで返す辰弥に、まだ叶わないと肩を落とすと、首の後ろに腕が回って引き寄せられた。
「利吉君、抱いて欲しい。君で全部上書きして欲しいんだ。…だめかな?」
傾げられた小首に、深い息を吐く。ここ数年ずっと恋患っていた相手からそんな風に聞かれて、断れる男など居ないだろう。
「手加減出来なくても、怒らないでくださいね」
「いいよ、君の好きにしてくれて。…僕も、それが嬉しいからね」
寝間着が解くと辰弥の裸体が晒される。恥ずかしそうに身を捩る様まで愛おしくて、食らいつくように唇に吸い付いた。

**

「えー、たっちゃん、本当に辞めちゃうの?」
鬼城の城主、織之助の至極残念そうな声に辰弥は苦笑いを浮かべた。
「元々目的を果たすまでという約束だったからね」
何処か清々しい表情の辰弥に、織之助は肩を竦めて見せた。
「ま。うちの忍者達を育ててくれたし、仕事としては十分なんだけどさぁ…次のあてはあるの?」
「まだ決めてないんだ。またフリーに戻るか、どうするか。暫く忍術学園の方は続けるつもりなんだけどね」
織之助は隣で涼しい顔をしている利吉にちらりと視線を投げた。
「祝言あげる…ってことでいい?」
「どうして」
「はい、そういう事です」
辰弥の疑問を遮るように利吉が発言する。そんな利吉をじっと見詰める辰弥に、織之助は満足そうに笑い声を上げた。
「あっははは!寿退職ってことじゃん!なら、うちからもお祝い渡さなきゃね。新居が決まったら教えて」
「はい、必ず」
恭しく頭を下げる利吉を不服そうに見守る辰弥が、否定の言葉を返さないのが何よりの証拠だと織之助は微笑んだ。
「ね、二人とも幸せになりなよ?なっちゃいけない、望んじゃいけない人なんてこの世にいないんだからさ」
織之助の言葉に瞬いた辰弥は、ふわりと柔らかな笑みを浮かべた。
「うん、ありがとう織之助。お世話になりました。また遊びにくるよ」
深く頭を下げた辰弥に満足そうに頷いて、織之助は去っていく二人の後ろ姿を見えなくなるまで見送った。

「本当に決めてないんですか?」
「君の手伝いをするのに、忍術学園の所属が枷になることもあるでしょう?かといって家でじっとしてるのも性に合わないし」
神出鬼没、いると思ったらいなくなっている。そんな辰弥がじっとしている所が想像出来ないのは利吉も同じだ。
「…私の手伝いをして下さるんですか?」
「利吉君は何かと危なっかしいからね」
覗き込んでくる顔に、うぐと言葉を飲み込んだ。辰弥の方が危なっかしい気もするが、フリーの忍者として仕事をしている以上、利吉ともどんぐりの背比べといったところだろう。
「辰弥さんが手伝って下さるなら頼もしいですよ。ちゃんと危険な依頼は手伝いをお願いしてるじゃないですか」
「うん。その為にも、やっぱりフリーに戻ろうかなあ。私だって、利吉君の心配をしてるんだからね」
きゅ、と辰弥に手を握られてどきりと胸が跳ねた。身体を重ねる関係なのに、こんな事で動揺してしまう。
「烏滸がましいかもしれないけれど、君の帰る場所になるのは御免だ。ずっと背中を預けてたい、離れていてもね」
「とんでもないですよ。私も、そうでありたい。やはりまだ修行が足りませんね」
肩を竦めた利吉の前に躍り出た辰弥が、つま先を伸ばして利吉に口付ける。
「そんな所も可愛くて好きだよ」
はにかみながらそんなことを言われて、顔を手で覆う。
「…供給過多なので勘弁してください」
「ふふ。ねえ、拠点に着いたら沢山抱き締めてもいいかな?」
軽く駆け出すその足取りに眩しさを覚えて目を細める。これがこの人の本来の笑顔なのだと思うと、胸がすいたように晴れやかな気持ちになる。
「ええ。丁寧に抱いて差し上げるのでそのつもりで」
「出来もしないことを言わない方がいいよ」
並んで笑いながら森の中を進む。光差す町まで、あともう少しだ。


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